- 締切済み
創価学会員の方に質問です。
学会員の方だけに質問します。一般の方は偏見や憶測だけ で書かれるので、事実と違う方向へ行きますので。 私は生まれた時から両親が入信していて、いわゆる二世 です。現在妻と二人の子に恵まれ何とか人並みに幸せな 生活を送れていると思っています。 妻は学会員ではありませんでしたが、私が結婚時に折伏し 現在は私以上に活動に励んでいます。 質問なんですけど・・・それは宗門と争いになって以後、 「だいたい宗門は戦前から堕落していた・・・」とかの 記事が創価新報などに載っていますが、会員には一切 そんな事実を知らせずに、「僧俗和合で」と言って 宗門に多大な寄付をし、肥え太らせたのは、他でもない 学会だと思うのです。 しかもそれは純真な学会員の浄財ですよね。そして 正信会との問題でも日顕さんを守り、正統な御法主として 祭り上げていましたよね。でも今ではボロクソに書いて いますよね。確かに日顕さんもとんでもない事をたくさん されていますが、それを厳護してきたのも学会です。 自分たちがして来た事は棚に上げ宗門ばかり責めるのも ちょっとどうかなと思っています。 そして最後の質問・・・以前は現在富士大石寺にある 「大御本尊が全ての根本」という事になっていましたが 今ではそれも聞かなくなりましたが、現在はその辺の 重大な件はどのような方針になっているのでしょうか? 一般会員には知らせて欲しい事柄と思います。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
みんなの回答
- sgi1962
- ベストアンサー率12% (46/367)
宗創戦争・・・・・早い話が日顕と池田さんの私闘ですよ、ただそれだけ
- fantasista1967
- ベストアンサー率59% (13/22)
ここは議論する場所ではないので、連続して書くのは憚れますが反論があったので、少々補足です。 > 信徒の浄財を、それが多額であればあるほど、渡す側にも > 重大な責任があると思うのですが? > その回答の方がよっぽど筋が通らないと思います。 文面を見ると、質問者の方がかっての学会・宗門の実務的側面を本当に理解しているのか非常に不安になるとともに、一体何を問題視しているのか理解に苦しみます。 ●確かに供養などの金額は少ない金額ではないが、無尽蔵に出していたわけではない (学会(員)にだってそんな余裕はない)。むしろ「もっと寺の寄進をしろ」などと 要求していた宗門を学会側は抑制してきた。 ●信徒が供養したものをしっかりと管理し、効率的に活用していくのは 宗教法人日蓮正宗の義務である。ましてや、宗門は信徒を 教化指導 していく立場にあると自分たちで自負しているのであればそんなことは 当たり前のはず。 ●それでも信徒団体として、生活や行状に堕落の兆しあれば、そのつど 宗門側に指摘して改善を求めてきたのは、過去の記録からも明らか。 これ以上に学会側に何をしろと? 宗門を子ども扱いして、彼らが論難しているように、本当に宗門をただの「学会の一葬祭部門」にして管理下に置けば良かったのですか?そんな馬鹿な話はないはずです。僧侶と信徒の、まさに異体同心の関係を学会側は目指していたのです。 > 脇書きを勝手に削除したり、字を長くしたりという改ざんを、 > 学会は平気で行い、それを信徒に与えています。知っています? まさか、学会員からこのような、無意味な、すでに破折された論難を聞くとは思いませんでした。 まず、脇書ですが、これのどこが問題とお考えですか?脇書はご本尊の相貌に何の関係もありません。脇書までがご本尊の相貌に入るという御書がありますか?ないはずです。脇書を削ったと宗門が騒ぎ立てていますが、そんなに脇書が重要なら、宗門の寺院には脇書が消されたり切り取られたりしているご本尊が非常に多数存在しているという事実を宗門はどう説明するのでしょうか?一例を挙げれば、常泉寺の寺宝目録によると、日興上人の御真筆御本尊のうち、「嘉元四年三月一日」「徳治三年十月九日」「正和三年十月十三日」付の三体の御本尊の授与書きが「削損不明」となっていますし、また、日有上人の「文明五年十二月廿九日」付の御本尊の脇書きは「切損不明」すなわち切れて無くなっているとあります。さらに近例で言えば、昭和30年代に本山が発行した日寛上人の御形木御本尊からは「常在寺常住」という脇書が削除されています。ちなみに、明治時代に品川・妙光寺が下付していたは日応上人の御形木御本尊には、「皇威宣揚征露戦勝之攸」という脇書が付されています。これもご本尊の相貌に含まれると考えられますか? それから、脇書は「一機一縁」のご本尊である証であるから、授与された者以外が拝しても功徳がないとかいう無知なことを言う者がいますが、「一機一縁」とは大聖人があらわされたご本尊のうち、一閻浮提総与の大御本尊と門下に与えられた御真筆のご本尊を区別するために用いられる用語です。それを知らない人がいることに付け込んで、あたかも個人しか功徳の出ないようなご本尊が存在するようなデマを撒き散らしているのです。そんなご本尊がどこにありますか?それならば、かって宗門が末寺ごとに下付していた日寛上人や日布上人や日応上人のご本尊は一体なんだったのでしょうか?宗門の主張だと、これも一機一縁だからニセ本尊ということになりますね。 あと、字を長くしただの加筆しただの、妙観講の人たちはよくこの写真を見せて言ってきますが、ちょっと待てといいたいですね。この並列された写真にある御本尊(!)は本当に同一のものですか?一見、とてもよく似ています。しかし、細かく見ていくと、花押の位置や大きさ、太さまでもが違います。加筆したならばどうしてこんな現象が起きるでしょうか?妙観講によれば、この写真は大石寺保管の日寛上人書写のご本尊の写真をコピーしたものということですが、それと学会が御形木ご本尊として下付している淨圓寺所蔵の日寛上人御書写のご本尊が同一のものであるという立証責任は妙観講側にあります。彼らは一度たりともこれらが同一のものであると立証したことはありません。おそらくこれは、室町・江戸時代に行われた数多くの模写・模刻の一つでしょう。模写・模刻には手本の御本尊を横に並べて写す臨写と、御本尊の上に薄い紙をのせてその上から字をなぞる方法などがあります。そのうちの一つを持ち出して、騒いでいるというのが実情でしょう。その証左として、この加筆問題に関して騒いでいるのは妙観講だけです。宗門本体が機関紙や広報誌など公式のもので(脇書や開眼などについては騒いでいますが)これを問題にしたことはないはずです。なぜ宗門が騒がないのか?騒ぐと公式の場で学会側に論破されるのを恐れているからです。 日蓮仏法は行学が大事です。しっかり地元の組織に付いて行じ学んでいってください。
- fantasista1967
- ベストアンサー率59% (13/22)
私個人の見解です。 > 「だいたい宗門は戦前から堕落していた・・・」とか・・・ > 宗門に多大な寄付をし、肥え太らせたのは、他でもない学会だと思うのです。 少し、物事を大雑把に捉えすぎかと思います。 確かに学会は宗門の過去の堕落振りを批判しています。しかし、今ほどではありませんが、戸田会長時代の聖教新聞にも坊主批判は度々出ています。この意味では、これは第二次宗門問題以降に始まった話ではありません。勿論、当時の宗門(僧侶)批判と今日の宗門批判ではトーンが違うのも確かですが、当然ながらかつては宗門にも学会(員)に協調的な動きは全体としてはあったとしう事情も見逃してはならないと思います。たとえば、僧侶の中には学会員の展開する折伏に同行したり協力したりする者も少なからずいたわけです。腐敗堕落といっても、宗門という全体の組織の一部分もしくは一個人の現象としてあるぶんには、いわば部分切除ですむような事柄ですから、そこを改善してもらえれば問題ないわけですが、現在のようにあたかも癌組織が全身に転移するかのように宗門組織全体としての問題となってしまえば、「では、そのもともとの元発病巣はどこにあったのか?」という点を追求せずにはいられないわけです。 また、学会は宗門に対して多大な浄財をつぎ込みましたが、別に宗門に遊興費を与えるために浄財を渡していたわけではないのは明らかです。爆発的に進む広宣流布運動を支えるために、多くの寺院も建立しました。戦前のような雑草だらけの境内ではいけないと、さまざまな協力も惜しみませんでした。また、僧侶が生活に困ることがあっては、仏道修行の妨げになると、いろんな面で支えていきました。しかし、誰も「高級クラブに入り浸れ」とか「ゴルフ場の会員権を買ったほうがよい」とか「車は真っ赤なスポーツカーに」とか一度も言ったことはないわけです。彼らが勝手に堕落していったのです。それを学会のせいにするのでは筋が通りません。ましてや、上記のように、度々、堕落した僧侶には苦言を呈してきたのです。 > 正信会との問題でも日顕さんを守り、正統な御法主として・・・ > 確かに日顕さんもとんでもない事をたくさんされていますが、 > それを厳護してきたのも学会です。 正信会の相承批判については、なぜ彼らが相承の有り無しに噛み付いたのか、またその情報源はなにかという点に注意が必要ですが、それは論点がそれるので、学会の対応にのみ限っていえば、それではあの当時それ以外のオプションがありえたのか?というのが私個人の感想です。勿論、学会内部においても阿部信雄に対する評価云々もあったでしょうが、それが宗門側の決定であり、そう決定したと言うのであれば、当時の体制下では、学会側にはそれ以上どうこうすることはできなかったはずです。であれば、その決定は与件として僧俗和合の体制構築に努力することに学会側の努力が払われたことは当然のことだったのではないでしょうか。 > 以前は現在富士大石寺にある >「大御本尊が全ての根本」という事になっていましたが > 今ではそれも聞かなくなりましたが、現在はその辺の > 重大な件はどのような方針になっているのでしょうか? この件に関しては、何も変わっていません。 現在の創価学会の教学関係書をご覧になってください。 また、現行の創価学会版の勤行要典をご覧になっても、根本が変わっていないことは一目瞭然です。
お礼
ご回答ありがとうございました。納得できる部分も、 出来ない部分もあります。 >彼らが勝手に堕落していったのです。それを学会のせいにするのでは筋が通りません それでは全く学会には責任が無かったのですか? 勝手にしたから向こうのせい?おかしいですね。 信徒の浄財を、それが多額であればあるほど、渡す側にも 重大な責任があると思うのですが? その回答の方がよっぽど筋が通らないと思います。 >根本が変わっていないことは一目瞭然です。 根本が変わっていなくても、日顕のご本尊の代わりにと 与えられた「日寛上人」のご本尊ですが、脇書きを勝手に 削除したり、字を長くしたりという改ざんを、学会は 平気で行い、それを信徒に与えています。知っています? 信じられないなら、下記URLを参考にして下さい。 http://www13.ocn.ne.jp/~ryouran/html/souka_4.html もうちょっと信徒のために真剣になって欲しいですね。
お礼
ご回答ありがとうございました。 私も今までの人生を学会および御本尊様とともに、 歩んで来られたのは、幸せな事だったと思っています。 でも一生懸命拝んでいた「日顕さん」の御本尊を、 ある日突然、「こんな物は拝みたくないでしょう」と 幹部の方が今のご本尊に変更されました。 じゃあ今まで真剣に拝んでいた御本尊は、何だったの? と言う疑念が湧きましたし、宗門との争いで、御本尊の 下付が事実上停止という事態にはなりましたが、 だから学会が下付していいのか?とも思いました。 昔は一枚一枚「表装」されていたものが、今では、 一枚刷りの簡易印刷になったりしています。 いろんな複雑な思いが交錯しています。 それでも我が家はこれからも、学会員であり続けると 思いますが、まだ学会では「大石寺」に安置されている 大御本尊が根本なのは、変わらないそうですが、 その大御本尊が、日有上人の時代の偽作である、との 数々の論証も出てきて、それを見ると納得させられる程の 内容で驚きと不安を隠せません。 これが真実ならば、宗門と学会共倒れになるほどの 重大問題と思います。論証されている方は学会の教学部 にも負けないほど学んでおられると思います。 信じる信じないは別にして一度読まれて見て下さい。 http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/itamandarasingi.html これ以上は意味がない書き込みになりますので、 これにて終了したいと思います。