• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:劣等感をなくしたい)

劣等感をなくしたい

このQ&Aのポイント
  • 子供3人の母親が劣等感を抱えながら育ち、今でも子供たちのことで劣等感を感じていると相談しています。
  • 子供たちが他の子より劣ってしまうと劣等感に襲われ、それを子供たちにも植え付けたくないという思いがあります。
  • 病院以外で劣等感を克服する方法やアドバイスを求めています。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • key00001
  • ベストアンサー率34% (2878/8340)
回答No.8

丁寧なお礼、有り難うございました。 > 喜びを教える…私にも出来ますよね? > やれば出来ますよね…? 喜びを教えるコトは、出来るコトですよね? 出来ないコトは出来ませんが、出来るコトはやれば出来ますヨ。 社会でもそうですが、出来るコトを「出来ない」って言う人は、ホントに多いです。 「出来ない」って言った瞬間に、出来ないコトになってしまいます。 でもホントは「やらない」です。 「やれば出来るかも?」って思うことは、挑戦すればほとんどは出来ます。 「やり方が判らない」とか「やるのがめんどくさい」は、「出来ない」とは絶対に違います。 判らないコトを判る様になるのが成長で、めんどくさいことを成し遂げるのが喜びとか成功でしょ? 実はオリジナルは、江戸時代の米沢藩主で名君の誉れ高い上杉治憲(鷹山)の言葉で 「為せば成る 為さねば成らぬ 成ることも 成らぬは人の為さぬなりけり」 です。 やれば出来るよ。 でも、やらなきゃ出来ることだって出来ない。 「出来ない」って言うのは その人が「やらない」ってコト。 私じゃなくて、偉い人が言ってる言葉ですから、ウソじゃないですヨ。 「出来ない」って言うのは、勝手に「ウソの限界」を決めちゃうコトでしょ? 「どうして出来ないんだ!」なんて言っちゃダメだと思いませんか? もし叱るなら、「どうしてやらないんだ!」です。 「だって出来ないんだもん・・」って言うなら、一緒にやってみればいいです。 そしたら、ほとんどのことは「ほら出来た!すごい!」です。 人間に出来るコトは、「出来ること」です。 「自分は出来ない」のは、完全に正確じゃありません。 「自分は挑戦しない」です。 さすがにイチロー選手みたいに200本安打なんて、私は出来ませんけどね。 でもそれは、私が「目指してない」から・・・。 ただ家族への愛情などは、誰もが目指させるし目指さないとダメですよね? イチローであろうが、オバマ大統領だろうが、負ける理由も必要もありません。 挑戦さえすれば、誰もがチャンピオンになれるコトだと思いますよ。 たとえチャンピオンになれなくても、挑戦者で居続けるコトは出来ます。 挑戦し続ける限り、絶対に敗者にはなりません。 でも挑戦をやめた瞬間に、敗者です。 挑戦するか?挑戦し続けるか?は、自分で「やるか?やらないか?」だけで、出来ないコトじゃありません。 なのに、それを「出来ない」って言った瞬間、可能性があるのに、やらないから「不可能」になってしまいます。 ゆっくりでも、上手くなくてもいいから、とにかく「やる」「やってみる」が大事だと思いませんか?

noname#145439
質問者

お礼

本当にその通りですよね…。 私は親に否定されることが恐くて 新しいことを挑戦するのを止めたんです。 少しでも劣等感を感じない方法はまだ幼い私には余計なことは「やらない」ということだけでした。 成長していく中で このままではいけない…と思い出会ったのが私も「為せば成る為さねば成らぬ…」でした。 どんな些細な挑戦でも私にはとても恐く…親に…というより私自身が上手く出来なかったら…という恐怖で苦しみました。 劣等感を克服する為に「為せば成る…」は私にとって呪文の様なものでした。 ことわざや偉人の言葉に助けられながら少しずつ改善されていきました。 子供たちへの劣等感を感じて 私は劣等感に苦しんだ過去だけがよみがえり 克服する過程でのことを忘れてしまっていたのですね。 忘れてしまっていた自分の気持ちがどんどん思い出され なんだかとても落ち着いてきました。 自分自身も…子供たちへも…きちんとした対応が出来る気がします。 …というより やります。 子供たちの母親は私だけなのだから…私が子供たちを苦しめることはしてはいけないですよね。 key00001様に出会えたことをとても嬉しく思います。 再度のご回答 感謝致します。 ありがとうございました。

その他の回答 (7)

  • ekopon
  • ベストアンサー率10% (111/1076)
回答No.7

ひとことで言えば「ことばの虐待の連鎖」なんでしょうか・ 比べてしまう・ひどいこと言ってしまう…ということは 程度の差こそあれ子育ての中で誰でもあることです。 私は4人の子持ちです。「鈍くさいウチの子」をなんとかたくましくさせようと ボーイスカウトに入れました。 そのうち役が回ってきて数人の子供の班を任されるのですが、 よその子の面倒を見てよくわかりました。 「ウチの子、いいとこあるんだ!」と。 ことわざで「隣の芝生は青い」「隣の花は赤い」とはよく言ったものです。 お子さんのいいことろを書き出して壁に貼っておきましょう。

noname#145439
質問者

お礼

私は虐待されてたのでしょうか? そうは思っていませんでしたが 私もまた虐待してしまっているのですよね。 私が育った経緯は正直とても辛いことが多くありましたが それと子供たちは全く別で考えていたのに同じことをしているのですよね。 確かに 出来ること、いいところ…よりも 出来ないこと、良くないところを見てしまっている気がします。 ご助言感謝致します。 ご回答ありがとうございました。

  • key00001
  • ベストアンサー率34% (2878/8340)
回答No.6

私も劣等感の塊ですよ。 でも私の場合、質問者さんよりは、劣等感と上手く付き合えてると思います。 また、劣等感が無ければ、自分では無い様にも思いますし、「劣等感を無くす」では無く、劣等感があったからこそ、それを穴埋めする努力が出来たと思っています。 ただ劣等感は、非常に恐い部分もあります。 私の経験ですが、分不相応な進学校にマグレで入学してしまい、「きっと周囲は自分より賢い」と思い込んで、劣等感を持ってしまった結果、成績も学年でビリの方になってしまいました。 ところが卒業の学年になって間もなく、進学の相談で担任の教師から、「君は入学した頃は、成績は上位だったのに・・」と言われ、「えっ!そうなの?」と目からウロコでした・・。 この「思い込み」はホントに恐いです。 劣等感は、自分で「事実」として確認し、認識した場合、それを頑張る動機(ヤル気)としてバネに出来れば、武器に出来ます。 例えば数学の成績が悪いと言う事実を認識して、それに劣等感を持てば、数学を頑張るのか、逆に得意な国語で得点を稼ぎ、私立文系を目指すなど、正しい対策が出来ますからね。 でも「事実」じゃないのに、自分で自分が劣ると思い込んでしまうと、ヤル気が出ない原因になってしまいます。 こちらは例えば、数学でテストの点数が悪く「自分は数学はダメなんだ・・」と「思い込んで」しまったけど、「事実」は周囲はもっと点数が悪く、実は数学はトップクラスだったとすれば、対策しても、その対策は間違いである場合が有りますよね? こちらだと、最悪の場合、本来は優れた理系脳の持ち主が、むしろ本来は苦手な私立文系を目指してしまうコトになってしまいます。 質問者さんが「感じる」劣等感は、「事実」でしょうか? 「感じている」「思い込んでいる」だけではありませんか? そもそも劣等感って、間違い,勘違いである場合も多いです。 人間の能力なんて、そんなに差は有りません。 男性の100m走ですと、世界最速は9秒くらいで、確かにソレはスゴイ記録ですが、普通の人でも倍は掛かりませんし、健常者ならまず3倍は掛かりません。 所詮は〔14~5秒±6秒〕くらいの話しなんです。 学生の体育レベルだと、12秒~13秒だと「速い」と言われ、14~15秒は「普通」と言われ、それ以下だと「遅い」と言われます。 ところが十の位が変わり、20秒台になると、世の中には眼の色を変え、「ダメ!」と断じる人も居ますし、それに劣等感を感じる人が居ます。 30秒,40秒ともなれば、社会生活に関わってくる様な問題もあるとは思いますが、「普通」に比べてわずか5~6秒の遅れは、実際的な問題など全く有りませんよね? 100m20秒の人は、速く走れない人ですが、走れない人ではありません。 そもそも「得意じゃない」「好きじゃない」と、「苦手」や「出来ない」は、イコールではありません。 「ピーマンは好きじゃない」人は、ピーマンを食べられますが、「ピーマンは苦手」な人は、ピーマンが食べられないんです。 ピーマンが苦手な人は、自分で食事を選べない状況で、ピーマンを供されたら困る人なんです。 質問者さんは、「上手く出来ない人」かも知れませんが、「出来ない人」ですか? 人よりちょっと遅いとか、ちょっと不出来な部分はあるかも知れませんが、「やれば出来る人」とか「何とか出来る人」じゃないですか? 100m20秒の人だって、真剣に訓練すれば、17~18秒とか、もっと早く走るコトだって出来ます。 出来るのに、劣等感を持ってしまって「出来ない」って考えたら、出来るコトだって出来ません。 ご家庭のことやお子様のことも、人より時間が掛かったり、多少要領が悪くても、「やれば出来るコト」が殆どでしょ? 人より劣る部分を自覚したら、「だから頑張る」とか「他のことで挽回する」で良いんですヨ。 質問者さんが周囲から、誤った劣等感を植え付けられたなら、ソチラが間違いなんです。 それで苦しんだのが、質問者さんですから、質問者さんがマネしちゃダメですヨ。 最初から上手く出来る方が良いですが、そんな人は余り居ません。 苦労して出来る様になるのが「喜び」です。 その喜びを教えるのが、教育ではないでしょうか? 「出来ないこと」を叱る必要は有りません。 「出来ないこと」は不可能だから、叱る方が間違いですから。 実は上で書いた「ピーマンが嫌い」は私なんですが、マジでピーマンは無理で、私にとっては「出来ないこと」「不可能」に近いんです。 これを「食べろ」と言われるのは、苦痛でしか有りません。 でも「やれば出来ること」を、「出来ない」と思い込んで「やらない」時には叱って下さい。 ピーマンと味が似てると感じる「ししとう」は、いやいやながらも食べられますので、これは叱られても受け入れますヨ。(笑) そして出来た時には、「出来た!すごい!」「ほら、やれば出来るじゃない!」って、喜びを教えて上げて下さい。 出来れば、「次はもうちょっと速く」とか「もう少し難しいヤツに挑戦」なども必ず出来ます。 これはお子様だけじゃなく、質問者さんご自身にも、叱ったり、声を掛けて上げて下さいね。 そう言う意味では、劣等感も「出来ないこと」に感じるのでは無く、「やれば出来ることをやらない時」とか、「上手く出来ないから、意欲を無くした時」などに感じるべきなのかも知れませんね。 100mを9秒で走れなくても、走ることは出来る様に、人が出来ることのほとんどは、上手く出来なくても「出来る」ことですから。 それなのに「走れない」って言う誤った劣等感を感じた時、「いや、違う!」となるから、劣等感を感じることが武器になったり、劣等感に価値を感じたりしていた様です。 劣等感は、あきらめ(諦観)では無いですからね。 私は過去、劣等感がそのまま諦観になってしまう経験をしたから、劣等感が恐かったんです。 今は、「自分は劣っている」と言う劣等感にはその先が有って、「だからどうする?」まで考えるので、上手く付き合えてるんですね。 回答させて戴いて、私も一つ発見が出来ました。 有り難うございます。 沢山の劣等感を感じられる質問者さんは、それらを感じる都度、「いや、出来る!」とヤル気に変えられたら・・・いずれ「何でも出来る人」になっちゃいますよ。 劣等感を無くしたり鈍感にはならないで、「だからどうする?」まで考えて下さい。 質問者さんは、誰より劣等感で苦しんだ人ですから、誰よりも劣等感を知ってる人でもあります。 だからこれからは、劣等感で人を苦しめるのでは無く、ご自身にもお子様にも、劣等感を利用して下さい。 これは「やれば出来る」ことだと思います。

noname#145439
質問者

お礼

とても共感致しました。 私の感じる劣等感はほとんどが事実ではないと思います。 私も癖の様にすぐ劣等感に結びつけ 思い込み 被害妄想になり…と大丈夫だと言い聞かせてもなかなか気持ちが切り替わることは困難でした。 長い時間をかけ 自分をコントロールできる様になり 時には劣等感を武器に出来ていたと思います。 子供たちに対して劣等感を抱くとは思っていなかったので自分自身のことなのにとても混乱してしまいました。 子供たち3人を世界記録の100m走で例えると 10秒、15秒、10秒という感じの時もあります。 劣等感を抱く必要もないし 寧ろ褒めてあげるくらい普通以上の結果を出すこともあるのに 私の感じている劣等感の意味がわかりませんでした。 もう大丈夫だ…と思っていた私自身の劣等感のせいだとはすぐ気づきましたが 否定されてきた私には褒めるということが出来なかったのかもしれません。 それがいつの間にか 私が経験したことと同じことをするようになり 改善されつつあった劣等感をもっと強く感じる様になってしまったのかもしれません。 出来ない…のではなく やれば出来ることですよね。15秒の子供は私の子供の頃に言動がとてもよく似ていて 「出来ない」が口癖です。 私が劣等感を与えてしまったのですよね…。 私と同じ苦しみは味あわせたくなかったのに… 今からでも劣等感を抱いてしまった我が子の気持ちを楽にさせてあげられるのでしょうか? 喜びを教える…私にも出来ますよね? やれば出来ますよね…? なんだか出来る気がしてきました。 とても気持ちが楽になりとても勉強になりました。 ご助言感謝致します。 ご回答ありがとうございました。

  • rockfish
  • ベストアンサー率18% (117/643)
回答No.5

謝ればいいんじゃないですか? 子どもたちに対して失言だと思ったなら謝れば いいと思いますよ。 大人だって完璧じゃないわけですし、それを子ども達 に教えるいい機会でもありますし、何よりも悪いとおも ったわけですから。 何も問題ない感じしますけど・・・。 ふつうに頑張ってるお母さんだと思いますよ。

noname#145439
質問者

お礼

劣等感を感じてしまうと冷静な母親ではなくなってしまって… 冷静になってから謝ることはありますが繰り返すばかりで根本的に自分をなんとかしないと…と思いました。 何も問題ない… 頑張ってるお母さん… なんだかとても気持ちがホッとしました。 ご助言感謝致します。 ご回答ありがとうございました。

  • aymhfgy
  • ベストアンサー率43% (1472/3372)
回答No.4

劣等感というものが本来は持っても必要のない勘違いの感覚だということを深く悟ってしまわればこの悩みからも解放されるように思えます。 如何にも自分よりも優れていて完璧に感じることが反対に質問者さまが出来て当たり前だと思っていることが出来なかったりするものです。 ひとは皆、自分が劣っていると感じる面を強く感じてそれぞれに苦しむものだと思えます。 でも醜い感情だとご自分を責めてしまわれる質問者さまは心の澄んだところのある方だと思えます。 本当は皆、勘違いして苦しむものだということが分るのには時間が経るかもしれません。 でも、皆、心情的にはドングリの背比べみたいなもので完璧な人などひとりもいないということが実感出来てきたら今の辛さが薄れてくると思います。

noname#145439
質問者

お礼

とても共感致します。 劣等感に押し潰されそうになった時には 被害妄想も同時に起こりました。 とても辛く自分自身から逃げたくなることもありましたが それでもいろいろ経験し沢山の人と触れあう中で 誰もが持っているものであり そこまで気にする必要はないんだ…と学びました。 もう私は大丈夫だ…と思っていたのに まさか我が子の成長の過程で 我が子に対して劣等感が出てくるなんて思いませんでした。 結局は私自身の劣等感ということですよね。 もう一度自分を見つめ直してみます。 ご助言感謝致します。 ご回答ありがとうございました。

  • makaay5
  • ベストアンサー率32% (255/790)
回答No.3

テニスやゴルフでプロを教えるようなレッスンプロがいます。彼らの中には理論や技術があって精神的なものプロとして挫折したかたや、理論は優れていても体格などの身体面で恵まれずに大成できなかった人もいると聞きます。選手として2流であったけれど、コ~チとしては1流になれる素質があった。質問者様は選手としては評価されなかったかもしれませんが、コ~チとしてはどうなのか?と聞かれたら「それは分からない。未知数だ!」と回答者は答えますけど 回答者は嫌になるくらいに不器用です。人間関係はそこそこにこなしますが、手先は目も当てられません。どこにいっても、それが劣等感でしたが、普通にこなせるか、やや出来るくらいになれたときに気がついたことがあります。器用な人間より「不器用な人間に教えて伸ばすのが上手い」という事です。「心に傷を負った人間でないと傷を持つ人間の気持ちは分からない」とかいうと仰々しいですが、劣等感でさいなまれた質問者様ですから、子供がそういう気持ちを抱かないように教えて伸ばしていくこともできると思います。短所も見方や考え方・のばし方で才能にかわるのかな?とも個人的には思います

noname#145439
質問者

お礼

「不器用な人間に教えて伸ばすのが上手い」 「心に傷を負った人間でないと傷を持つ人間の気持ちは分からない」 私はコーチとしては適しているのかもしれませんね。 しかし親として 自分の経験を活かせていない不甲斐ないコーチですね。 劣等感を抱かせない為に…私がしてほしかったことして…してほしくなかったことをしない…ですよね。 とても勉強になりました。 ご回答ありがとうございました。

  • blazin
  • ベストアンサー率50% (20252/40150)
回答No.2

何に対する劣等感なの? 子供たちが他の子よりも「劣っている」と。 じゃあ貴方は。 どの部分をバロメーターにして。 子供の優劣を感じているの? 学力の部分?テストの点数? 運動が出来る出来ないの部分? 優劣は別にあっても良いんだと思う。 個人差ってあるから。 器用な子もいれば、偏った子もいる。 大器晩成タイプの子供もいる。 ゆっくりと成長していく子供もいる。 それも個性でしょ? 貴方は自分のかけがえのないお子さんを。 どういう「計り」で捉えているの? 劣等感の裏返しとして、優越感があるなら。 貴方はどういうお子さんの状態をうんうんと。 笑顔で受け止めたいと思っているの? どういう状態が「ある」事が。 貴方にとって納得が「いく」状態なの? 貴方の子供だよ。 当然貴方の影響を強く受けている。 仮にお子さんが精神的に不安定でも。 それはある意味自分を見ているようなものでしょ? 子供時代には自分の「味方」が居なかった貴方。 自分で自分を必死に肯定して、 大丈夫大丈夫と言い聞かせて。 貴方は一人で自分を支えてきた。 でも、少なくとも貴方のお子さんは。 貴方という最大の「理解者」がいるんだよね? 誰よりも比べられる事がしんどい経験をしてきた。 比べる事はあってもいいと。 でもその対比によって。 片方は認められ、片方は否定されると。 否定された側の感覚を。 貴方はきつくきつく感じながら。 ある意味必死で自分をスクエアに保とうとしてきた訳でしょ? 優劣はあっても良いと。 順位が付く事もあっていいと。 でもそれは。 あくまで狭い範囲の、 今行っている作業やプロセスに対する評価だと。 それを持って。 その人「全体」の評価に「されて」しまう事。 貴方はそれが一番つらかった筈なんだよね? 何かが出来ない「駄目」が。一部分の「駄目」が。 貴方全体の「駄目」のように伝えてしまう。 貴方のご両親はそうだった。 気付かないうちにそれをやっていた。 でも。 貴方は自分のご両親とは違う。 貴方は「気が付いている」から。 それをやったら。 どれだけ心が砕けてしまうか。 貴方は「分かっている」人だから。 分かっているからこそ、 貴方はお子さんの置かれている状況に、 自分を強くダブらせちゃうんだよ。 ダブらせた貴方は混乱する。 そして当時の貴方のような状況を防ごうとするのではなくて、 当時の貴方の「親」のような対応をなぞっているんだよね? 親に沢山沢山言われた部分を。 貴方は子供に「言いたく」なっている。 でも、それって廻り廻って自分を否定しているようなもの。 折角積み重ねてきた貴方、という貯金を。 一気に貴方は今崩している。 それはもったいない。 何の為の貯金だったか。 貴方は残念ながら守られなかった存在。 その分を、 貴方は大切な人を守る、見守る存在になる事で。 自分の経験値や積み重ねてきた貯金を「活かす」事で。 貴方なりに自分という「生」の意味合いの中で 昇華しようとしている筈。 だからこそ貴方は。 3人ものお子さんに恵まれたんじゃない? 人一倍愛を持って育てなさいと。 子供を育てる中で、 自分を育てなさいと。 それぞれのお子さんの「個」を見つめなさいと。 一人一人違うと。 違いをそのまま受け止めなさいと。 自分がしてもらえなかった部分を。 お子さんにはしっかりと惜しみなく与えて。 お子さんの成長の中に。 貴方自身の成長を見ていきなさいと。 貴方はそういう役割を、 3人のお子さんの命とともに授かっているんだと思う。 劣等感という言葉「自体」から離れる。 それをやったら頭でいじり出すから。 貴方の歴史の中の問題を。 新しいプロセスに持ち込まない。 黙っていても。 お子さんはお子さんなりにやっていくよ。進んでいくよ。 貴方はそのナビゲーターでしょ? 時には強く言う事があっても良い。 でも、子供を「評価」しない。 「だから」駄目なんだとか。 出来なかった事、上手く行かなかった事に対しては。 なぜそうなったのか? じゃあどうすれば今より良くなるのか? 気持ち良く前を見ていけるように。 貴方は丁寧に声を掛けてあげればいい。 比較級ではなくて、 あくまでお子さんの成長のプロセスの中で受け止めてあげる。 貴方はそれが「出来る」人なんだと思う。 お子さんは敏感だよ? 不安定なお母さんを見ている。 貴方の顔色を窺うように、機嫌を取る様に向き合ってきたら。 貴方はどう思う? それでも「いい子」なら嬉しい? 眼差しに奥行きが無くても嬉しい? 貴方はお子さんを「ほぐしてあげる」存在なんだよ。 お子さんにはお子さんなり世界がある。社会がある。 当然ストレスも。 それをニュートラルにしてあげるのが家族でしょ? そして気持ち良く送り出してあげるのが家族でしょ? 貴方もお子さんと一緒に成長していく事。 頭で考えるのではなくて、 一人一人を丁寧に感じてあげる事。 その丁寧さこそ。 貴方が自らの歴史から導き出した、 お子さんに提供できる最高のアプローチなんだからね☆

noname#145439
質問者

お礼

何に対する劣等感なのか… 劣等感を克服する為に私なりに努力してきて完全ではなくても なんとか自分をコントロールできていました。 まさか子供たちに対して劣等感が出てくるなんて思ってもいなかったので 正直 振り出しに戻った感じでとても辛いです。 親に否定される辛さは誰よりもわかっているはずなのに 同じことを感じて同じことをしてしまった自分がとても情けないです。 確かに 私は否定的なことや他人より劣ってしまったことに対して 何でも劣等感に繋げてしまいがちです。 劣等感…が頭に浮かべば過去の自分の感情が沸き上がってきます。 劣等感という言葉から離れる…ということがとても大切な気がしました。 とても助けられました。 ご回答ありがとうございました。

  • sorakana
  • ベストアンサー率26% (21/79)
回答No.1

それは子供たちが他の子供に対し劣等感を感じているのでしょうか?それなら何かをいってあげるのが母親です。 しかし読んでる感じ、貴方が勝手に劣等感を感じていられているようです。 もしそうならそのことを子供達にいうのは本当にやめた方がいいです。 幼いころから自分が受けてきたものを、自分の子供に対し思う、してしまうことは心理学的によくあることです。 ですが、よくある有名な?言葉があるじゃないですか。 「子供が元気に育ってくれさえすればいい」 この言葉を劣等感を感じたときに思い浮かべることができれば、なんとかその思いにあらがえるかもしれませんね。

noname#145439
質問者

お礼

子供が生まれた時には健康であることだけが望みでした。 今でも元気でいてくれさえすればそれでいい…と思っているのに 意に反して出てくる自分の感情がとても辛いです。 劣等感が強すぎて 忘れてしまう子供たちへの望みを意識して常に思い浮かべておく…ということですね。 ご助言感謝致します。 ご回答ありがとうございました。

関連するQ&A