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障害者への偏見が無い人とは?
- 障害者を可哀想だと思わない人の方が、障害者への偏見が無い気がします。
- 障害者へやたら親切にする方が偏見があり、健常者と同じ気持ちで接していない気がします。
- 障害や環境・関係によりますが、障害者へは普通の態度で接することが大切です。
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質問者が選んだベストアンサー
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はじめまして 私は年配の方や障害者の方に手を貸してあげたいとつねに思っています。 ただし、手を出す前に、 状況を見る(自分でやろうとしている方には見守ってみる) 明らかに車椅子が超えられない段差 白杖の方が車道、線路にでそう お年寄りが荷物で階段を辛そうにしている 他は信号、踏切が間に合わなさそう などで、必ず一声かけてから手を貸します。 「ご一緒しましょうか」って。 それでも不必要と怒られたりしたこともあります。 でも日常では、障害者はわがまま?と腹立たしく思うこともしょっちゅう。(サービス業なんですけど、度が過ぎたことを要求されたりして) 健常者、障害者と分けることも必要なことでは。時として、自分でできることを人にやらせる、傲慢な方に出会いますね。そういうときははっきりと伝えます。 健常、障害関係なく、困ったら人に頼っていいと思うし、出来るのにやらないのは(人にやらせて当たり前とか)は怒られるべき。 当たり前を声にだしたら差別?冗談じゃないです、健常者だってどんだけ辛いことあるか!って感じです。 話しがそれましたが、TPOにあった対応こそ、五体満足に生まれた人の役割だと思っています。 乱文失礼しました
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身近に障害者がいる人は、相手がどうしてほしいかどこまで必要か、分かると思います。しかしそのような人はまだまだ少ないため、初めて接する時はどこまで親切にすべきか分からず、「ここまでやっとけばいいだろう」の安全圏で行動すると思います。結果、偏見らしきものがあるように見えてしまうのです。 要は予備知識や実体験がどの程度あるかです。 他回答にもありますが、悪意はない筈です。
お礼
ありがとうございます。 悪意はないでしょうね。ただ身近にいて長く付き合いがあっても、対処法で接していたらお互いの距離は縮まらない気がします。
- epsz30
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大変難しいお話ですが、「障害者などへ偏見を持たない」という事を突き詰めれば、 最終的には、「健常者と同じ扱いをする」という部分にたどり着く気がしてしまいます。 障害者への労わりや親切心というのは、健常者とは違うから・・ という部分から発生してくる問題だと思うので、 ある意味、すべてをひっくるめて「偏見&差別」になってしまう気がします。 確かに質問者の仰るとおり、親切心の表現が障害者などへは 過剰な反応や態度になりやすいとは思いますが、 そこには「悪意」は無いと思うので、「偏見」とするには少し抵抗を感じます。 受け取る側が、それを偏見とするのであれば、 「親切心」そのものが「偏見から来るもの」という捉え方も出来るので、 障害者だからといって特別に手を貸したり、優しく接する事も禁止して 健常者とまるっきり同じ様に接してもらう様にしなければなりません。 実際問題、障害者にとってはそうなって貰っては困る問題だと思いますし、 健常者の手を借りて生活しないと生活出来ない人も居ると思うので、 親切心から生じる差別や偏見は「悪意ある偏見」とは別物として 障害者側も理解し受け入れるべき問題だと思います。 「障害者を可愛そうだと思わない人」というのは、 特に優しく接する事もしなければ、障害者だからといって手を貸す事も無いと思うので、 障害者の手助けをしている人達は、心のどこかで必ず「可愛そうだから」という 気持ちを抱えている気がします。※仕事として障害者と接している場合を除く。 大変難しい話ではありますが、質問者の考えや質問自体も、 ある意味「偏見」であるという部分も把握して考えてみてください。
お礼
私も極端に階段も自力で上がれというパワフルな思想があるわけではありません。 簡単ですよね。その人はより親切にして、甘くして、実際は視野から外している。そう対処するのは。 目線を合わせているようで、実は向き合ってないというか。 でも、仰ること大変参考になりました。ありがとうございます。
補足
障がい者をテーマにして、何かを述べると過度な反応に遭い、質問自体の成立を阻まれたり、質問者こそどうよ?と差し戻されたりしますね。
先程回答させていただきたのですが、感情的で質問に答えていないと思いまして、もう一度答えさせてください 私も特別扱いは逆差別に感じます。 本人が何を望むかはそれぞれですが、過度の親切心は障害者のかたのやる気を、意欲を、削ぐのではと。 それぞれ出来る事をし、障害ではなく個性と捉える。 私は間違ってるかもしれないんですけど、そう感じます。
お礼
ありがとうございます。 質問を振る(お題を出す)者としては、 一概には言えない、人それぞれ、等と構えては、回答する方もやりずらいと思い、 少し、極端に書いています。 疑問が湧いてそれを探ろうとする時に色んな角度から見た方が良いと思います。 批判するように見えるのかもしれませんが、質問を遮断するのはどうかと思います。 何も言えなくなってしまいますよ。
補足
障害者がテーマの場合、当たりがキツイのは覚悟していましたのでご心配なく。
- akibonx
- ベストアンサー率18% (31/168)
この二者で、偏見がある偏見が無いとするのはちょっと乱暴過ぎます。家族に障害者がいて親切にする人もいるし、障害者を人間と思ってない人もいると思います。やはり障害者は健常者とは違うと思うのです。私も頭の手術の後遺症で片麻痺と言う障害を持ちました。親切にしてくれる人の中には、いつ自分も交通事故や病気で障害者になるかもしれないと考えている人もいるかもしれません。ですから、可哀想だと思わない人が偏見が無い、親切な人は偏見があるなんて考えは改めた方が良いと思います。
お礼
ありがとうございます。参考になりました。 人間て、保障を得ると怠けたり、図々しくなったり、努力しなくなったりすると思います。 (もちろん人によります) 先の震災の被災者や障害者もそういう人はいます。 でも、そういうことを言うと怒りを買い、そんな話には蓋をされてしまいます。 昔は、障害者というとコミュニケーションをとるのが難しく、避けたり嫌煙する人も多く、 また、その行為を非難する人も少なかったです。 今は、人権が大事にされてきたし、より親切にする接し方も浸透してきました。 その「より親切にする」のも昔の「避ける」のも同じ面倒な人への対処ではないかとふと思いました。 じゃあ、偏見が無い人ってどんな人だろうと考えると、そう感じる人は今まで2人います。 相手がトロイ時には「お前、早くしろよ」と言い、伝わらない時は「何言ってんのかわかんねーよ。ハッキリ喋れよ」という人。 もう一人は、何かできない事があっても、「もーしょうがないなー。何でこんなことできないの?^^」と言い手伝う人。 その人らは、相手が障害者とか解ってないんじゃないかと思う位、健常者と同じように接します。 しかも、その障害者と仲良くなるんです。 障害者と接する仕事をしている人は、言葉の禁句も踏まえたり、相手を傷つけないようにしたりします。 普通の人でも時には、小さい子どもに接するようにその人の通常より明るく振舞い、優しい言葉を使います。 なんか、空々しいものを感じます。表面上は優しいけど、素の自分で接していないというか。 でも、障害を持つ人は、そんなウソぽい接し方が嬉しいのでしょうか。心地よいのでしょうか。 楽ちんであれば、そんな接し方を受け入れてしまうのでしょうか。 ただ単に、より親切に、より特別扱い。という接し方でなく、もっと違うスタイルがあるんじゃないかと思ったので、探るべく質問しました。
補足
この例の場合、高齢者と子どもだとしたら、問題なく感じてしまいます。