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どうして知的障害児に偏見を持ってしまうの?
私の学校の近くに、知的障害児さんたちが働いてる作業所があります。 先日、私と同じ年で知的障害者の女性とバスの中で知り合いになりました。その女性といろいろと話したのですが、とても優しく言葉のコミュニケーションもしっかりとやり取りできる子でした。 私は以前から、知的障害者=話の疎通が取れない・変な顔つきをしている・自己中心的などといった完全に偏見の目で見てました。 おそらく知的障害者の方と実際に話す機会がまったくなかったのも影響してると思いますが、今までこんな酷い事を思っていた自分が悲しく恥ずかしいです。 もし知的障害児に偏見を持ってる人がいる人がいたら、その理由を教えて下さい? 今度、作業所にボランティアに行ってきます。
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質問者が選んだベストアンサー
軽度の知的障がいの兄を持ち、現在大学で福祉系を専攻している者です。 障がいにも重度、軽度がありますので、質問者様とお知り合いになった方は軽度だと思われます。 自分は、小中高、そして職場と兄の友達とお話したことがありますが、 やはり意思の疎通が上手くできない方もいらっしゃいます。 障がいにも部類がありますので、何とも言い難いのですが。 人間の心理として、「普通」というのを中心に考えることが多く、 それが「普通」ではないと判断した場合は、 偏見又は過小評価ということが起こります。 「あの人より頭がいい」「あいつはチビだからモテない」など。 「普通」という定義がどの程度かは人それぞれですが。 それに似たようなもので、偏見などが起こるのだと思います。 障がい者の方と接することがあまりない方は、特にこのようなことが多いです。 見た目だけで判断される。これが兄にとっては一番辛いようです。 よく家に帰ってきて泣きながら愚痴をこぼしてました。 「障がいを持つ人と関わるとやっかいだ。」 こんな発言をする人も過去に身近な人物の中にいました。 まずは自分と障がいを持つ方との関係を対等にして、 コミュニケーションをとることが大事だと思います。 何か主旨から外れてしまった感がありますが、 一つの戯言として流していただいても結構です。 それでは失礼致します。
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- usgs
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1993年にTBS系で放送されたテレビドラマでも。 名作中の名作。 古本屋で購入。全2巻。 内容はドラマに忠実で、セリフも思い出せる範囲ではほぼ同じ。 問題はエピローグ。 加奈子と伸吾がマンションから引っ越し、その6年後。 ドラマ内では、確か麻利夫&美雪の息子=誠は先天的な身体障害者で、歩けずにベビーカーに乗っていた。そして、加奈子&伸吾の双子の娘=由加・実加が「こっちへおいでよ~」みたいなことを言って、それを誠が追いかけようとして突然二足歩行。美雪と麻利夫は涙混じりに誠を抱きしめ、それを見守る加奈子と伸吾… という感動的なエンディングだったはず。 が、コミックでは誠くんの描写はバッサリカット。ただ由加と実加と誠が仲良く遊んでハッピーエンドのような終わり方だった。むしろ、由加実加と誠が、将来加奈子と麻利夫のような運命を辿ることさえほのめかす勢いだ。(それはそれで面白いかも知れないけど。) 確かに、「身体障害者の息子を持つ"けれど"幸せ」という表現は、あたかも「身体障害者の息子を持つことは不幸である」と言っているようなもので、ドラマを放送してクレームが付いたのかも知れない。けれど、美雪から誠へ向けての愛の表現がバッサリ無くなってしまっている。ドラマでの、ドロドロした愛から家族愛へとストンと落とす、せかっくの気持ちの良さが半減してしまって勿体ない。これでは平凡・円満が一番だよーという凡庸なオチのように見えてしまう。 突然私事ですが、母は僕のことを「五体満足に産まれて良かった」と口癖のように言っていたけど、あれも聞く人の立場によっては相当失礼な表現かもしれないなと。 難しい。 ..こんな感じではないでしょうか
- patofu
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中学3年間、妙になつかれていたので知的障害者の子と接していました。 話の疎通が取れない・変な顔つきをしている・自己中心的は当てはまっていますよ。 おそらく軽度だったんだと思いますが、重度の子と接するのは覚悟がいるなと 中学生ながらに思っていました。 軽度の人に接したからといって、全てを好意的に解釈しようとする心も 偏見に満ちた心となんら変わるものでもありません。 知的障害者ではなく、その人は何が出来る、どの程度のことをこなせる、と考えていかなければならないでしょ。 これは一般人にも言えることだけど。 両極端に走る。そんな人はきっと痛い目を見ますよ。 それと知的障害者の人と接する時は、自分が上の立場だと思って接してください。 対等という言葉はありません。 してはならないことをした時は毅然としかる。できないことが出来るようになる時は褒める。 これは対等という関係から生まれるものではありません。 少々の我侭も許せる余裕を持たなければ関係を築くことは出来ません。 対等に、と思った瞬間に、あちらに振り回されて、疲れ果てて、結局は相手を傷つける。 偏見や、見下すとは違った視点を持つことが大事なんですよ。
お礼
こんばんは。皆様、とても詳しいアドバイスありがとうございました。