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初めて死を意識したとき
昨日、家庭教師の生徒のところへ行くと、思いっきり落ち込んでいました。 断片的なことしか聴き出せなかったのですが、動物の臨終の瞬間に出くわしたことで、「生の儚さ」と「自分の無力」を感じてしまっているようです。キーワードとして、「安楽死」という言葉が出ていましたから、その動物が徐々に苦しみながら動かなくなっていく様を見ていたのだろうと想像します。 初めて「哲学している」高校二年生の男子生徒に、アドバイス・故事・良書、何でもよいので一言かけてやってください。
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質問者が選んだベストアンサー
・・・何にせよ、みんな結局死ぬんですよ。。 それなのに、何故「自分の無力さ」を感じるのですか? あなたは、絶対的な<死>に対して、一体何ができるというのですか? ・・・後悔をするということは、現在の世界と自分を完全に否定する――即ち現実逃避をするということですよ? 素直に現実は、受け入れましょう。そして、十二分に活用してしまいましょう。。 それよりもあなたにとってまず、「他(自分以外の何か)」が<死ぬ>ということは、どういうことですか? 少なくとも「あなた」という存在は、「意識」「感覚」「この世界との直接的な接点(いわゆる身体)」の3要素から成り立ちます。。このどれか一つでも欠けてしまうと、あなたの存在が失われるわけです。。 では、「他」は、一体どのようにして存在しているのでしょうか。。 ・・・結論からいうと、その媒介となっているのが、「自分自身」なのです。。 どういうことかというと、例えば僕があなたの質問を見る前は、僕はその「質問」も「あなた」も知りませんでした。。ましてや、「その友人」や「動物」などもってのほかです。・・・つまり、あなたは(僕にとってですが)存在していなかったのです。。 あなたにとっても同じ事です。。 あなたはこの回答をみるまでは、この回答のことなどもちろん知らないわけです。。という事は、あなたにとって「この回答」も、「僕」も存在していないのです。。(この「存在」という点に関しては、ハイデガー氏の書物を友人に薦められました・・・結局読んでませんが) ・・上記に関してどう思われても結構です。。要するに僕がいいたいことは・・ ――あなたの存在ははっきりとあなたの物であっても、それ以外のものはあなた次第で存在もするし、消滅してしまったりするのです。他の存在=自分自身の記憶の断片でしかないのです。。 ・・このことをあなたがどう解釈されようと、それは僕の知ったことではありません。。自分勝手の様に聞こえますが、本当に、個人の「理解の仕方」というものには、全く手も足もでないのです。。 ・・・<死>とは、それ自体をどのように存在し変えてしまうかで、そんなに恐ろしかったり、悲しんだりするものではないんですよ。。 それは、生きるという事と、全く同じなのです。。 なんだか、支離滅裂で長ったらしくて威張りくさった文章になってしまいました。。僕自身言語能力が非常に乏しいため、皆様方が読みにくいことこの上なく、非常に申し訳なく思っております。。それなら書くな!とかクレームが来そうですが、せめてものお役に立ちたい一心で書かせていただきました。。
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- mktoolll
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人は、自分自身の無力を感じることで精神的豊かさを育てるチャンスを得るような気がします。 情操教育の為のペットとは、生きているときの時間の共有による心の豊かさ以上に、「死」の瞬間を見届ける時の寂しさや悔しさや無念の気持ちを体験する事がより豊かな人生観を育ててくれるという考えの元飼われているような気もします。 その少年が今回の「死」の体験を通して、生物への優しさを発見できる事を願います。そして、その「優しさ」こそが、ペットが一生をかけてプレゼントしてくれた宝物だということに気付いて欲しいと思います。 形あるものは全て風化し、生あるものは必ず死ぬ。だからこそ、私たちはこの限られた時間の中で何をするべきなのかを少年が見出せるチャンスです。 悲しみから見出せるのは絶望だけではないことを教えてあげて欲しいです。
お礼
ありがとうございます。 説明不足でしたが、死んだのはペットではなかったようです。しかし、犬か猫か、哀れを誘うような、かわいい動物ではなかったかと思います。 私も今回のことで「優しさ」がうまく育ってくれればいいと思います。
- delmondo
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こんにちは どんな命にも『存在意義』がある、と考えます。特に人間は 役割や意味を持たずして生まれては来ないのではないでしょうか。 この場合は動物ですが、その生徒さんが動物の死を目の当たり にしたことで『哲学する、生死を考える』という行為を 動物が人に与えた。そのことがその動物の存在意義、とも言えます。 確かにとても悲しいことですが、こうして、その動物の存在が その生徒さんに大きな影響を与えていると思います。今、哲学 している姿が自然であり、必然であり、彼の心を豊かにさせる 第一歩ではないでしょうか。 また、起きたことを出来る限り細かく分解し、一つ一つ解釈し、 そのことが何故起きたのか、何が自然の結果で、何が人の手に よるものか、何が正しく、何が間違っているのかを自分の考えと 照らし合わせて一緒に考えてあげるといいかもしれません。 最終的には今回の出来事が、その生徒さんに心の栄養を与える きっかけになることを期待します。
お礼
ありがとうございます。 「心の栄養」ですね。今彼はとてもナーバスになっています。普通なら読んでもなんとも感じないような、いや手もつけないような、文学作品でも、今なら何かを読み取ってくれるのではないかと思います。
- n_kaname
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高校2年生ですか・・・ちょっと遅いですね。 でも、子供だろうと大人だろうと、何度今際に立ち会おうと無力感は感じますよ。 命ある物はいつか必ず死にます。これは避けて通れないことです。 わたしが初めて死と無力感について感じたのは幼稚園の頃でした。飼っていた犬が交通事故で死んだのです。 今に至るまで、何度か犬の死には遭遇しています。子犬が腕の中で動かなくなったこともありますし、安楽死させた犬も居ました。 そんな時いつも付きまとうのは「あの時こうしていれば」「ここでこうしていれば」という感情です。 それは無力感とは別の、むしろ罪悪感に似ています。 自分を責めながら行き着いたのは、「今日できることは今日のうちにする」と言うことです。 明日が必ず来るとは限らない。その時になって後悔しないように、明日に出来る事を持ち越さない。 たくさん悩んでください。誰でも必ず通る道です。 参考というにはちょっと違うような気がしますが、CLAMP著の「東京BABYLON」という漫画が少し深いことを書いています。10年くらい前の作品で文庫にもなっていますが、高校生だったわたしはそこから色々な事を学んだような気がします。勉強の息抜きにでも読んでみてください。
お礼
ありがとうございます。 私も遅いなと思ったのですが、この問題に関してはとても冗談にできません。その子にも「生は偶然、死は必然」とすべての生物に必ず来ることを正面から考えてみろといって見ました。 このページは来週の授業のときに見せてやろうと思っています。
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お礼
ありがとうございます。お礼が遅れて申し訳ありません。 彼が感じた「無力」はあなたがおっしゃるとおりのことだと思います。「死に対して抗いようがない」ことがわかったからショックを受けたのだと思います。 今彼が考えているのも多分あなたのおっしゃること、自分が死ぬとはどうなることか、ということだと思います。