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自分を変えることについて【心理学】

エゴについて詳しい方教えてください。 よく、自分が変わりたいと思っていても深層心理の中の自分(エゴ)が変化を恐れて 変わるのを阻止しようとしたり今までの自分でいたがったりすると言われていますが どうしてエゴは自分が変わるのが怖いのですか? 今までの自分でいたがるんでしょうか? 今の自分に何らかのメリットを感じているので変わらないのでしょうか? 単に新しい自分になるというのは習慣なども変わりますので 自分の生活が、新しい習慣に変わるのがめんどくさいのがエゴなんでしょうか? エゴはなぜ、自分が変わることが怖いのか、その理由をご存知の方教えてください。

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  • 23tomo-u
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回答No.1

論理的でなく個人的な感覚ですが・・、 やったこともない、経験したこともないことをやるような感覚ですね。 未知の体験なので怖い、という感じでしょうか。 未知の体験なので楽しいとは思わない感覚です。 これをやると自分がどうなるか、周りがどう反応するか、 まったくわからない、「推測も予想も未知の領域でまったく立たない」みたいな。 頭で解らない、というより感情的に解らないんです。 幼児の頃はすべてが未経験ですが、大人になると 今の自分の持っている反応のパターンが幼少の頃から、 慣れ親しんでいるので、ついつい無意識に昔ながらの行動パターンをとってしまう。 ただそのパターンって自分が今まで経験してきたパターンなので、 ある程度、結果が推測できるし、自分の行動によって周りがどう動くかとか解ると思うんですよ。 つまり、それ以外のことをやろうとすると恐怖感を感じるんですよ。 でも変わろうとしたらやるしかないし、慣れるしかないんですよね。 じゃあ、なぜそんなことまでして変わろうとするの?という感じですが、 今の自分の持っている反応のパターンでは「生きづらい」から。 例えば人を見ると体が硬直して喋れなくなったり、汗をひどくかいたり、 ついついいろんな女性に悪さをしたくなったり、 カッときたらすぐに暴力に走ったりと「社会に適応してない自分」に気付くからです。 「頭で解る」ではなく「感情的(情緒的)に解る」というのがポイントです。 >今の自分に何らかのメリットを感じているので変わらないのでしょうか? そうでしょう、楽だし、予想もつくし、悪いドキドキはしないですし。 といってもこれで生きづらくなってるので、板ばさみでもありますが。 ちなみに僕は変わろうとしてますが、やはり変わる時ってすごい不安感にさい悩まされたり、 パニック発作を起こしたりしますね、パニック発作も何度も起こしてると、 ある程度パターン化してくるので、「発作が起きても何も起きない」、 ということも感情的にわかってきて冷静にいられるようになりましたけどね。 (気持ち悪いのと疲労感は変わりませんが) なんかもう少し良い文章をかけたらと思うのですが、この辺で。

putiabu
質問者

お礼

ありがとうござます。 とても共感できました。分かりやすかったです。 私も変わりたいと思っていますが 疲労感や無気力感を感じています。 これってエゴが邪魔しているんでしょうか。

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回答No.5

自分が替わりたいという場合の自分とは、『自我意識』のことです。自分の心と言う意味ですが、自分の心と思っている心は『本当は自分の心の片方』でしかありません。 人間には心が二つ在ります。いわゆる宗教などで説いている『本当の自分』と、もう一つの心が『自我意識』です。 貴方も分かると思いますが、『自問自答している時』或は『一つの考えが浮かんだ後、その考えを否定する心です。』つまり否定する心と肯定する心が在るという意味です。そうして絶えずその心同士が『議論している事』です。 別の例を上げるなら、『意識する自分の心=自我意識』と『意識していな時に自分の身体と心を支配している心(意識)です。 他の例をもう一つ上げてみます。 自我意識は『子供時代からの記憶や学んだ事を基準にして、さらに学ぶ事を積み上げてゆきますが、』もう一つ脳内に存在する働き(意識=心)は、何も学ばなくとも全てを知っています。 遺伝子に組み込まれたかのような働きをしている者が、脳内に存在しています。その働きを『キリスト教においては神と言っています。』仏教においては『仏性』と言っています。 お釈迦様の言葉を借りて言うならば『一切衆生悉有仏性』と云う事になります。この意味は一切の命あるものに備わっている『命そのものの働き』が仏性と云う事になります。 それは貴方にも備わっています、只自覚でき難いシステムとなっています。その働きと何処に潜んでいるのかを書いてみます。 その働き始めは『命が芽生えた時から』です。初めての働きは、細胞分裂する事を知っている働きからです。そうして人間なら人間としての身体を作り始める働きをしています。雲なら蜘蛛の身体を作る働きです、 桜ならその種によっての、花の色や形や、咲く時期なども知っている働きと云う事になります。 生まれた後ではその種によっての働きを働き始める働きと言う訳です。同じ種類の蜘蛛なら、全く同じ蜘蛛の巣を作る働きをする働きです。生まれるや否や直ぐに立ち上がって歩き始める事を知っている働きと言う場合も在ります。 人間も同じく備わっています。主に脳の働きと云う事になりますが、脳内に刷り込まれた記憶と言った方が良いのかも知れませんが、不安や安心する事を知っている働きです。恐怖と云う事さえ既に知っている働きです。 この働きをもう少し詳しく書いてみます。この働きとは右脳に存在する働きです。人間の脳内に二つの意識が存在する事を、ある研究成果を載せて、記しておきます。ウイキペデアからです。 ”ロジャースペリー 分離脳 ノーベル賞受賞者 受賞年:1981年 受賞部門:ノーベル生理学・医学賞 受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究 ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が  『それぞれ独立した意識』  を持っていることを実証した。” 人間の心(生活)は、二つの意識の『共同作業』によってつつがなく、順調にいっています。そこで右脳の働きをもう少し詳しく書いて見ます。 右脳には自我意識とは全く異なった人格が存在しています。この文献によれば『それぞれ独立した意識』と言う表現方法を取っています。そうしてその機能が全く違っています。 右脳の人格は言葉による表現が出来ない事です。そうして、二つの脳は『常に同じものを見たり聞いたりしています。』つまり五官から入ってくる情報を共有している事を意味します。ですがその情報の感じ方や、受取り方が全く違っている事です。 この受取り方が違う場合には人間そのものに障害と思える現象が現れる事が在ります。このはなしは後ほどするとして、右脳の機能をもう少し書いてみます。 右脳の機能は『命そのものを働かせる機能』で出来ています。身体に関して言うなら、血液の流れ方も、呼吸する事も、汗を流す事も、寒い所では血管の収縮させる働きも、自律神経も副交感神経も、全ての命に関する働きをしている者です。 心にもつながっています。寒いところでは『暖かいところを探すように』自我意識に働きかけて、或は探すように指示を出しています。暑いところも同じ理由から水を求めさせたり涼しいところを探すようにさえしています。 右脳の意識は、環境の情報を脳梁を介して絶えず自我意識に送っています。この送る情報の解釈を、或は情報の読み間違いが、先ほど書きかけた『この受取り方が違う場合には人間そのものに障害と思える現象が現れる事が在ります。』と云う事につながっています。 高いところや狭いところや、人に会った印象や、音に関する事なども、自我意識とは異なった取り方になっています。この食い違いが激しい場合人間は障害と感じてしまう場合が在ります。 高いところの情報を嫌う場合が『高所恐怖症』と云う事になります。狭いところの場合は『閉所恐怖症』です。人に会った印象の情報を嫌う場合、異性の情報なら『男性恐怖症』人の印象を嫌う場合には『対人恐怖症』 湧き上がる小さな不安でさえ嫌う場合『社会不安障害』と云う事になります。その小さな不安をもっと嫌ってしまって受入れないようにした場合を『パニック障害』と言っています。環境の情報の受け取りを拒否された事から『その情報の送り手は、小さな不安と言う情報を拡大して大きくして再度送る事になるからです。 小さな不安でさえ拡大したなら、恐怖になると言う意味です。 人間の心は『心の奥底で、脳梁を介して』お互いに情報交換しています。そうしてお互いの得意分野に関して『交替制を守っています』 この交替制が守れなくなった場合『右脳の意識は』自分の出番を要求します。そのシグナルが『漠然とした不安』と自我意識は感じます。その交替制が崩れたままの場合、次のシグナルが発しられます。それが『生き難い想い』と云う事になります。 人間が障害と感じている事は『自分自身の命の働き』からのシグナルです。或は単なる脳梁を介して送られる『環境の情報や生きるために必要な情報』です。 何処から来るのか分からない得体の知れない、漠然とした不安や、生き難い想いとは、右脳からの信号です。 不安になり易い人や神経質な人とは、もう一つの意識に気が付いた事を意味します。そうしてもう一つの心と『仲違い』している事を意味します。つまり自分自身の心の『矛盾や対立や分裂』を心に、生き難い想いとして感じているという意味になります。 人間の心は脳梁と言う器官(心の奥底)或は言い方を換えるなら、意識の根底で『心の矛盾』を感じた場合『意識地獄』の状態になってしまいます。心が休まらなくなると言う意味です。 人間の心は『無意識の状態』になって、『身体も心も無意識に預けた場合』休まっています。意識地獄から抜け出していると言う意味です。 自我意識たる自分の『我』は硬く自分の『我』を張るようになっています。『エゴはなぜ、自分が変わることが怖いのか、その理由をご存知の方教えてください。 』と言う答えは、『我』が一回死なないと変われない性質が在るからです。 その事を鈴木大拙博士は、『飛び越し』と表現しています。禅の本では『百尺の竿頭から、その先にもっと上れ』と言う表現をしています。その結果は『大死一番』です。 意識の根底で(脳梁を介して)二つの意識が(相談のために)共に存在する瞬間に二つの意識が出会う事が在ります、この現象を『見性』と言っています。つまり『自性』を見たと言う意味です。 つまり悟りが開いたと言う意味です。今までは『意識地獄の中で、不安や恐怖を味わっていた自我意識は、その不安を起こしていた者に出会うと言う意味です。 その経験以後一切の不安は、消滅すると言う意味です。少なくとも『頭の中で妄想とした不安を、造ることは無くなる』と云う事になります。心の矛盾が解消した事を意味します。 いままでは『自我意識の計らいで』生きようとしていました、その経験以後は、自我意識は『命の働きの前には出ないようになります。』命の働きに全面的な信頼を置くようになります。 この心境は『神と和解して、神の僕となって生きる事』を意味します。心の矛盾や対立や分裂を起こさないと言う意味です。心は飽く迄も澄み切ったように静まり返ります。 限り無く心は静寂を取りもどす事を意味します。この心境を『涅槃』と言います。 いままでは世の中を、好きと嫌いと言う色眼鏡で見ていました。今度は違います。生も死も同じ感覚で見ています。死を厭う事も無くなって、生にしがみつく事もなくなります。『生死の問題が解決した』という意味になります。 この現象は『心の革命』です。絶対肯定という足場に立ったという意味になります。自分が死ぬ事でさえ肯定出来る足場です。その立場に立つなら『生きてゆく事が、如何に困難であろうとも』行きぬく事が出来ます。 災難にあったら、災難にあうことが、災難を逃れる事になる事が分かるからです。 『エゴはなぜ、自分が変わることが怖いのか』と言う答えは、『拠り好みをする心を』捨てる事が出来難いという意味になります。 人間の苦しみとは、天国に入りたいと言う『選り好みをする心が』地獄を呼び寄せている事を意味します。地獄に落ちる決心が付いた時『この身このままで極楽浄土』に住んでいた事が分かります。 現在の自分自身の全てを受け入れられない事が、今は、貴方が変わる事が出来ない理由となっています。 そのために、禅坊さんは『分別を捨てろ!』と言う表現方法を取っています。

  • jinseiwalk
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回答No.4

心が弱いので自分が変化できないそれだけです。 弱い自分をカバーするために我を張っている。それをエゴといってごまかしているに過ぎません。

回答No.3

 自我はどうしても利己的ですね。  自分(現状=現在の存在性)を否定されることを嫌うのでしょうね。  自我は本当の自己という意識の意識紡ぎや経験、知覚の結果と内容でしかないのに、それを自己と思ってしまう本当の自分の誤解からの恐怖なんでしょう。  結果に執着しているが故の、ミス判断がもたらせていると存じます。

noname#194289
noname#194289
回答No.2

素人考えですが、人は普通いつも自分を真似してして生きているのだと思います。自分を真似していることは意識されていないと思います。真似の対象になっている自分と真似をしている自分が区別されていないからです。しかし環境条件の激烈な変化などで真似をする対象を変えなけれあならなくなるとこの二つの自分が別のものであったということが明確になってきます。これは自分というものの存続にとって危機的状態です。

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