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西洋(主にアメリカ)と日本の違い

グローバル化は、最適な国で生産し、コストを削減するするものですが、大学などで身につけた専門知識が、国内で活かせる保障が無い時代になっております。 このまま進むなら、大卒は、海外企業で勤務するか、異なる職に就くために再教育を受けるか、という選択が必要な 場合もあるでしょう。(近くに職が無い場合) 前置きが長くなり恐縮です。 日本人は、先祖を大切にして、感謝して来たと思いますが このようにグローバル化が進むと、親の死にも立ち会えない状況が多くなるような気がします。 西洋(主にアメリカ)では、日本人のような感覚は、 持っていないのでしょうか。 故郷で両親と同居するという考えは持っていないので しょうか。 幼少時より異なる人種同士の交流が多いアメリカでは あまり海外移住も抵抗がないのだと思いますが。 また、個人主義というのは先祖のお陰で今の自分があるというような謙虚な感情が薄いのではないかと感じる時があります。 テーマが大きすぎて、恐縮ですが宜しくお願い致します。

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noname#195872
noname#195872
回答No.3

アメリカ人です。 +++ 米国ではもうすぐThanksgivingです。各地へ散らばった家族が再集合する、お盆や正月の様な時期です。家族がいる場合、「何がなんでも」或いは「何はともあれ」親に会うのが当り前と考えられ、尚且つ毎年2億人の米国人の多くがこれを実践しています。 親と同居して面倒をみることが、「親孝行」や「親を敬う」に相応しいことである、と考えることは、たいへん日本的ですが、地方や「田舎」文化では共通の概念及び行動規範として捕えてもよいでしょう。従て、そうした慣習は、都市部以外なら、ヨーヨッパでも米国でも観察できます。 しかし、その概念の逆は必ずしも真ならず、ここから日本特有の家族感と欧米のそれとの違いが出てきます。つまり、同居できなくても、親への愛情は保て、また十分に表現できるのですが、日本人にはそうした認識がありません。先のnecson158さんのご回答にある通り、「自分の人生を生きることが親孝行だと考え」ることができますが、日本では、「可愛い子には旅をさせろ」には哀愁のみならず「愛執」まで込めらてており、素直な肯定表現として使われません。 上京した母親を、何かにたかる虫の様にあしらう、地方出身の学生さんの姿を、日本でよく見かけます。一方で、Thanksgivingにかぎらず、人前で親子が抱擁やキスをしあい、"I love you"と言い合うことは、私の回りでは日常のことです。どちらの国の人が「親を敬う」ことを心得ているかは、一目りょう然でしょう? これに米国人の宗教観を加えれば、一目どころか、論理的に米国人の「親を敬い」方を説明できますが、この回答では敢えてしません。この先はご自分で。 +++ 以上

noname#5985
質問者

お礼

貴重な情報ありがとうございます。 どこの国でも親を敬っていない人は居ないということですね。 真の親孝行は、親の近くに居てやる事より、離れていても、後悔しない人生を歩む事という点は納得できます。 「郷に入っては郷に従え」ということわざがありますが 環境の違いも考え方に影響を与えているように思います。 日本は湿度が高いと言われますが、雲の多い天候や 四季の変化から、家族関係や人情が育まれたのではないかと思います。狭い土地だから農業が発達し、農村型の 家族形態が生まれたりと。 一方毎日、広大な土地に快晴で乾燥した地域に暮らせば、それに合った生活習慣となり、楽天的な性格になりやすいという事もあるのではないでしょうか。

その他の回答 (2)

noname#6938
noname#6938
回答No.2

>故郷で両親と同居するという考えは持っていないので しょうか。 その変の価値観の変化はむしろ、今日のグローバル化がすすむはるか以前から、近代と前近代の相克として抱えてきた問題ではないでしょうか。 そもそも、先祖代々両親と同居という、人と土地がしっかりと結びついた文化は、「農村」部の典型的なモデルですが、経済資本が集中し、人を集める求心力を持つ「都市」が発生すると、物と同じく人の流通の活発化とともに、人と土地のつながりが希薄になり、先祖代々その土地に居着くという状況は失われていくように思います。 これは日本が近代に足を踏み込んだ明治期からすでに始まっていることで、有名な童謡の『ふるさと』なんかには 立身出世を目指して故郷を離れた主人公の望郷の念が切々と歌われています。 で、欧米人には、そうした価値観は希薄かといえば、狩猟民族文化と農耕民族文化・・・なんていうありがちな視座で結論付けたくはないのですが、いわゆる先進国というものが、第1次産業の農業よりも、重工業やサービス業の高度化をひとつのアイテムとしている点は、前述したような点で関係が無きにしもあらずではないでしょうか?都市化が個人主義を生むかどうかはまた話が別かとは思いますが・・・。 かくいう私の身近にも、海外在住のため、結局親の死に目にもあえず、かつ葬式にも出席できなかった友人がいますし、私も海外勤務だった時分があり、30代ですでに何かあったときのために遺言書らしきものをひそかに持っていた覚えがあります。ですからdream88さんが危惧されておられるような状況は、経済先進国とやらのわが国でもすでにけっこう浸透しているのでしょう。 これからの世界がこのままグローバル化に突き進むかどうかは疑問ですが、土地と人のつながりという点では、ますます希薄になっていくと思っています。ましてやヨーロッパなどは経済的な国境そのものも消滅の方向に向かってますし・・・。 以上、あくまで随想的意見です。

noname#5985
質問者

お礼

ありがとうございました。 なかなか難しい問題なので、今後も広く勉強してみたいと 思います。 ただ、日本では、英語教育が遅れていますし、海外へ両親を呼んで暮らす事も、困難ですので、海外の感覚に慣れるのは時間を要すると思います。 それと、日本人は繊細で手が器用な面を活かして製造業を 発展させてきましたので、急にサービス業に変えても生きがいを感じられない人もいるのではないかと思います。 一人一人が既成概念の殻を破る努力と、国による保障 (失敗しても、汚名返上できる可能性の多い社会) をしながら、時間をかけて、自立した国家になる方策 で進んでいくのが良いように思います。

  • necson158
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回答No.1

こんにちは。 私の叔父はイギリス人。友人はアメリカ人多いです。 私の感じている程度でお話させてもらいます。 >故郷で両親と同居するという考えは持っていないのでしょうか。 どちらかというと、学生が終わったら一人前に独立するというのがあたりまえですので、自分の人生を生きることが親孝行だと考えているし、そういう風に生きてきた親も当然だと考えています。 東洋では親を敬うとか大事にするという宗教が多いですが、(仏教や儒教など)キリスト教はそうではありません。だから社会保障も充実させてきたという説もあるくらいです。故郷で同居などというのは、あまり例がないのでは。逆にきちんと説明しないとちょっと変だと 思われる人もいます。

noname#5985
質問者

お礼

大変、貴重な情報ありがとうございます。 色々な違いから、考え方も異なるのだと思いますが グローバル化を進めるなら、残したい部分と 世界に合わせて変えていく部分とを、再考察する時期に 来ているような気がします。