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欲望には悪と善の因が。 善の方はしかし?

欲望は 自我の殻の内側に人を閉じ込めさせます。 そこから悪としての争いの因が生まれたりします。  しかし 同時に 欲望は、それをよく見つめることで  感性を深める道にも通じ それによって感性が深まれば自我は突き破られ  人への善の真心も生まれます。 そのへんの善の方の因果を なぜかあまり聞きません。 解ると思える人がおられましたら、 是非御回答をお願いします。 反論でもいいです。 欲望なんて悪の因しかないというふうな。 それなら議論しましょう。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • thegenus
  • ベストアンサー率49% (330/673)
回答No.5

お礼ありがとうございます。 批判的な内容も書きましたが、それらは質問者さんを非難するものではありませんから、誤解なきようお願いします。ロジックの目の付け所に感心したというのが回答の動機です。そこで無理に綺麗なパラドックスに仕上げようとされるのは自滅的に思われ、私なりの整復術を試みたくなった次第です。 無意味に評論を加えれば、欲望を精神活動の原理に加えて、肯定できる面を見出されようとされた結果の発明とでも言えますでしょうか。質問者さんの仮説は、面白いですし、大発見につながる分岐点かもしれません。 発想力の賜物ですね。能力を活かして詩や小説を書かれた方が建設的に思います。何事も施行するのは簡単です。有益に機能しなくてもいいのですから。手がけた構造の良し悪しを追跡評価しない専門家は結果無視の自己肯定を続けられるでしょう。 欲望によって人間が自我を突き破って善へと導かれる感動作を、哲学という有害ゴミの袋に入れてしまうのは勿体ないんですよ。あまりにもドラマチックです。俗に言う芸術的才能を感じました。欲望は、人を殻に閉じ込めさせるなんて語り口は詩ならば最上級ですよ。その後、パラドックスが放つ左右のフックで、ノックアウトされます。 くらった私は野暮な整合性を打ち返したまでです。曲がりなりにも新興宗教文学を創作するカテではありませんので、回答者のする隠喩などを質問者側がするのは解決を遠ざける色事になります。 制約の多い質問文の方が自由奔放な回答文よりも難しい作文になるのは承知しています。無理や気負いをなさらず、ぜひ論理的にもさっぱりしているまことの素描を求められてください。

iwamahico7
質問者

お礼

すみません、 あれから即締め切ったつもりになっていました。 ごますりとかではなくて、  たしかに質問文にはかなりの飛躍した文(抽象的すぎる表現)で終始してしまっていて ご批判は的を得ていると感じましたので  それで締め切る形であるため そちらを「ベストアンサー」にして閉めきったつもりでした。 何かを押し間違えたのか? そのへんはよくわかりませんが、申し訳ありません。 にもかかわらず 再度丁寧な 御回答ありがとうございます。 忙しいのですが できるだけ早く この質問は 2つぐらいに質問を分けて、 たとえば 「欲望の価値について」「自我の構造」といったふうな二つの質問にして、 今度はちゃんと時間をとって質問させていただきます。 よろしくお願いいたします。 慌て者です。 たすかります。 ありがとうございました。 

その他の回答 (4)

回答No.4

 人間や心の世界で言えば欲望は活動や生命領域には不可欠ですね。  それを自我の中に閉じ込めないようにするにはどうしたらいいかが、人類の長い課題でしたね。

iwamahico7
質問者

お礼

ありがとうございます。 そうですよね。 人類史を考えるとそんな気持になってしまいますよね。 ですが kraya1998さん、 すみません、 だからこそでもあるのですが  この質問文は一度締め切ったつもりになっていたのに  何かおしまちがえたのか? まだ締め切れてなかったものです。 ほんとうは このような御回答には、 そちらの想いの世界を是非補足質問したくなるのですが、 だからこそ 少し足らずで 急いで書きすぎたこの質問文を訂正して書きなおしたいのです。 できるだけ早く 再質問しますのでよろしくお願いします。 すみません。 ありがとうございました。

  • thegenus
  • ベストアンサー率49% (330/673)
回答No.3

ご自分が発見された、欲望のパラドクスをおっしゃりたいのでしょうが、議論の前に、文章を書き直された方がいいです。それが発見というよりも詭弁の発明にすぎないかもしれませんので。 逆説のためのシナリオになっていないか。 まず、 >『欲望は 自我の殻の内側に人を閉じ込めさせます。 >そこから悪としての争いの因が生まれたりします。 』 自我の殻の内側に何を閉じ込めるのですか? その条件で外部との争いが生じますか? この悪因説と対になる後半部分と、すでに条件が重複していませんか。つまりパラドクスに必要な独立した対比になっていますか。 後半の主張も再検討されてみてください。 哲学カテ全般にみられる目茶苦茶無敵論法は、質問サイトを目的外に利用する悪ふざけになりますので。 はっきりさせる能力がないだけなのに哲学していると自己肯定している人が多いです。哲学にも質問行為にも反しています。教祖のような人です。そうなりませんよう前提文を明確にされて下さい。文学ではないので自分の表現ではなく、なるだけ一般的な表現を使うようにされて下さい。それが出来ないのならばご主張は間違いだと思った方がいいです。 発想は評価できますが、思索のための言葉遊びになっているような気もしましたので。暇潰しにいくらでも創作できるアイデアゲームに過ぎないということです。

iwamahico7
質問者

お礼

ありがとうございます。 そちらの 質問自体への疑問は 的を得ています。 いろいろ反論したくなるところもありますが、 この質問は  前々回の質問を補足している中で 新たに2つの質問を建てたくなって書いたものですが、 ちょうど用事ができ、5分ぐらいで 2つの質問を急ぎ 書いてしまったものです。 ですので、 ともかく一度締め切らせていただき、 またか機内します。 ありがとうございました。 そのほかにも反省すべき点とかありそうですが、 その後さらに熟読させていただきます。 忙しい設備業の合間での作業ですので そのへん御了承ください。 よろしくおねがいいたします。 ありがとうございました。

noname#194289
noname#194289
回答No.2

欲望は心から生まれるとすれば心を環境としている生物のようなものかもしれません。奇妙なことに欲望に心が頼ろうとすることもあるようです。いわゆる生きがいというものです。つまり心は欲望がないと存続できないかのような状態になることも多いようです。善悪と関係がないかもしれませんが、少なくとも心あっての欲望であって欲望あっての心ではないと思っています。

iwamahico7
質問者

お礼

ありがとうございました。 今も もう余り時間が無いのですが 実はこの質問は 書こうと思った時に用事と重なり あまりにも急いで書いてしまったもので質問文自体が乱雑すぎます。 申し訳ありませんが  急いで 一度ます締め切らせていただきます。 せっかく「生きがい」という 観点をかかげてくださったのに、補足質問等で出来ないのが残念です。 しかし できるだけ早く また同内容の質問をたてますので よろしくおねがいします。 設備業の合間の作業、 どうか御了承ください。 ありがとうございました。

回答No.1

「欲望が悪である」という言明自体、あまり聞かない極論ですが‥‥ もしそうなら、資本主義社会自体が、悪の巣窟になってしまいます。 おそらく、「欲望をダイレクトに発露させるのは反社会的である」 という事実を、曲解したものだと思われます。 全ての生物の原動力は、生きる欲求であり、欲望のない状態とは 死の世界です。

iwamahico7
質問者

お礼

さっそく御回答、ありがとうございました。 実は この質問は 書こうとしていたところで急に用事と重なりあまりにも急いで書き込んでしまったものです。 一応 「欲望が悪である」ということではなくて その因になるということもあるということなのですが、 ともかく質問文が乱雑なので 書きなおさせていただきます。 同内容の質問をたてますので、 その時に この御回答への感想なり 補足質問なりさせていただきます。 忙しい設備業の合間での作業です。 どうか御了承ください。 欲望の本質についての 鋭いご見解 ありがとうございます。 よろしくお願いいたします。 ありがとうございました。

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