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人を殺すことをどう思うか?

江戸時代や戦国時代では、人を殺すことは日常的であり、 私も実は、そうした感性を持っています。 よく時代劇で敵討ちですとか、ありますよね? この現代は意識の上では助け合っていないでしょう? ですから殺しもまた有り、ではないかと思うのです。 超法規的に許される殺しも有るはずです。

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回答No.8

>江戸時代や戦国時代では、人を殺すことは日常的であり、 残念ながら、違います。 他の回答者さんも書かれていますが、戦国時代でも「戦場以外」「戦闘以外」で人を殺せば罪人です。 非戦闘員である農民を「故意に」(つまり、流れ矢に当たった等では無く、食糧等の強奪の為に)殺した場合も、裁かれた例もあります。 そして、江戸時代でも、「戦場以外で人を殺す事は、非日常」です。 例えば、「無礼討ち」はドラマの様には行きません。 無礼打ちをした側は、奉行所に届け出なければなりません。 その際、「自分の所属・身分・係累(自身が役に付いておらず、部屋住み等の場合に)・氏名」と共に、何時、何処で、何処の誰が、どの様な無礼を働き、如何なる手段を以ても無礼を止めなかった為に(具体的に、相手の無礼を止めさせる為になにをしたのかも詳細も必要)、やむを得ず討つに至った」と届けるのですが、届ければ「それで終わり」ではありません。 届け出が「真か偽か」を徹底的に調べます。そして、「真である」と看做されなければ、重く処罰されます。討った当人だけでなく、家や係累、所属(藩)にも処分が及ぶ場合もあります。 又、仮に「真である」と認められても、「みだりに人を殺すべからず」という訳で、監督者への厳重注意がなされ、監督者による処分がなされます。蟄居謹慎位は勿論、若干の処罰を御公儀から下される事もあります。 はっきり言うと、「無礼討ちは、する方が損」です。 「相手は自分個人ではなく、主人や所属する藩を侮辱した 自分は切腹や討ち首で構わないから、相手の無礼を許さずにはおかない」 位の状況で無いと、する意義も意味もありません。 もし、「自分個人に対する侮辱」で無礼討ちをすれば、いい笑い者です。 「あの程度の事を言われた・された位で逆上するなんて、器の小さい奴だ」 「受け流す事が出来ないなんて、図星だったのだろう」 そして、「敵討ち」ですが、これも「届け出無し」には出来ません。 更に、「敵討ち」は「親・兄(跡取り)・上司」等、「目上の者が不当に殺された場合のみ」に可能なのです。 つまり、「弟が殺された」「友人が殺された」「部下が殺された」「妻が殺された」では、「正式な敵討ち」は出来ないのです。 「敵討ち」を求めて届け出ても、やはり「本当に、不当に殺されたのか」が吟味されます。 例えば、「酒に酔った上での、言い争い」がきっかけでは、「喧嘩両成敗」なので敵討ちは認められにくいでしょう。斬った相手側が、自ら役を退き、蟄居謹慎したり、剃髪したりして反省を示していれば、尚更難しいでしょう。 それに、「武士とあろうものが、不覚をとったか」 或いは、「敵討ち」ではなく、藩や御公儀が厳正に処罰を下します。 そして、敵討ちの許可が下りたとして、自分の生活圏に敵が居残っていれば良いのですが、敵が遠方へ逃げた場合、追いかけると「見事敵を討ち果たす」か「敵の死亡を確認し、証拠を得る」かしなければ、帰参は叶いません。 「見失った」「死んだらしい」「もう諦めた」等では、帰参は出来ないのです。 何十年も敵を追い、探し続け、漸く見つけ出した時には刀を持つのも容易でない程に老いていた、という記録もある位です。 又、一寸変わり種では「女敵討ち」というのがあります。 これは、「妻が浮気・不倫で出奔した」場合、「妻と相手の男」を討つというものです。 しかし、これも討つ側の男性が余程の人格者で、有能で仕事も出来て、誰からも慕われていて、何処にも非の打ち所が無い様な場合でないと、周囲の目は「妻に浮気された、情けない奴」「奥方にも余程の事があったのだろう」という見方が多いので、「女敵討ち」をするよりも、離縁した方がまだましだったりします。 >この現代は意識の上では助け合っていないでしょう? それは、貴方が誰の事も「意識の上で助けていない」から、そう思うのでは。 「貴方が、して貰っていない」ではなく、「貴方が、してあげていない」から、という話です。 >ですから殺しもまた有り、ではないかと思うのです。 「意識の上で助け合っていない」と「殺しもまた有り」に、関連性がありません。 又、「助けない」事と「殺す」事も、同じではありません。 >超法規的に許される殺しも有るはずです。 「許される殺し」なら、既に有りますよ。例えば、「カルネアデスの板」です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%82%A2%E3%83%87%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%9D%BF 日本の法律だと、「緊急避難」にあたり、罪には問われません。 (但し、「緊急避難」にあたる状況を利用して「明確な殺意を以て殺害した場合」は、通常の罪に問われます) 又、凄惨な虐待やいじめに耐えきれず相手を殺した場合や、 長年一人で病人の自宅介護をしていた人が思いつめて将来を悲観して心中を図り自分だけ生き残った場合、 長年の病苦に耐えがたくなった身内に「これ以上苦しみたくない。殺して欲しい」と懇願され殺した場合(自殺幇助)等は、 罪に問われるけれども、「情状酌量」がなされて罪が軽減する事が多いです。

その他の回答 (13)

  • kusirosi
  • ベストアンサー率32% (2838/8859)
回答No.3

・江戸時代や戦国時代では、人を殺すことは日常的であり 間違いです。 江戸時代では、全国の殺人事件が年十件に満たない年もあったそうです。 また、戦国時代でも戦争以外の殺人は、切腹お家断絶でした。 zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz

  • root_16
  • ベストアンサー率32% (674/2096)
回答No.2

殺しが日常的にある場合、 いかに殺すかより いかに殺されないか がより重要になります。 宮本武蔵が風呂に入らなかったように 常に警戒を怠らない生活など まっぴらご免ですね。 そして、現代では武術を極めようが ライフル銃で2km先から狙われては どうにもなりません。 日本ではケンカを吹っかけて ナイフが出てくることすら稀ですが 銃が出てきたらどうします? 全ての場合に対処しないと 「殺しが日常化した世界では」生きていけません。 いやだなぁ、そんな世の中。

noname#154031
noname#154031
回答No.1

そういう人もいるでしょう

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