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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「科学」と「自然科学」と「科学的」。あいまいさ。)

「科学」と「自然科学」と「科学的」。あいまいさ。

このQ&Aのポイント
  • 「科学」という言葉の意味や使われ方について疑問を感じています。一般的には「科学」は自然科学を指すことが多いですが、文系学問にも使われることがあります。
  • 「科学」という言葉が文系学問の意味で使われることに抵抗を感じる一方で、広義の意味だけでなく狭義の意味も活かしたいと思っています。
  • 「科学」という言葉が広義の意味よりも狭義の意味で使われることが多いので、広義の意味が途絶えてしまうのではないかと心配しています。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.2

やめようかとも思ったのですが、やっぱりいろいろ言いたくなりました。 ○質問(1)に対する回答 仕方ないですね。重くても諦めてください。 大体、広義と狭義に分かれるのは科学だけではありません。 医学もそうです。 普通、医学と言えば臨床医学です。 臨床医学、基礎医学は重くていやですか? http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%8C%BB%E5%AD%A6/ ついでに、工学はもっとややこしい。 土木・機械・電気・建築・鉱山・化学・冶金・造船だけならまだしも、文系(?)の経営工学・社会工学・教育工学・都市工学・環境工学まである。工学とは技術であって、科学ではない、と言えればいいのですが、現状ではそうも行きますまい。 http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%B7%A5%E5%AD%A6/ ○質問(2)に対する回答 『日本国語大辞典』に下のように出ています。 当初は広義であったものと思われます。鴎外も兆民もヨーロッパに留学していますし。 ただ、そもそも一般化に時間がかかっていますのでね。 文系の学問を含むかどうか、訳語を作った人と一般の人の感覚では違いがあったかもしれませんね。 ================ *哲学字彙〔1881〕「Science 理学、科学」 *柵草紙の山房論文〔1891~92〕〈森鴎外〉逍遙子の諸評語「哲学は科学の親なるゆゑに、小天地想派は常に個想派に優れり」 *一年有半〔1901〕〈中江兆民〉三「科学を普通にすること、是れ人々の皆認めて必要とする所也、只各種科学の中、我邦に於て未だ容易に世に售られざる者有り、即ち理化の二学の如き是れ也」 【語誌】 (1)文献上の初出として明治七年(一八七四)の西周の「知説‐四」〔「明六雑誌」二二号〕が挙げられることがあるが、文脈からいって「学科」の意味、あるいはその誤植とも考えられ、確例とはいいがたい。なお、同書「知説‐四」には「学(サイーンス)」が見えるので、西周は“science” に「学」を当てていたようである。 (2)science の訳語として使用された確実な例は、挙例の「哲学字彙」が早く、以後の外国語辞典でも“science” の訳語として「科学」をあげることが一般化する。ただし、実際の文章に一般的に使用されるのは、明治の末になってからか。 ================ ○質問(3)に対する回答 自然科学が爆発的に発展したからです。 ○質問(4)に対する回答 医学や工学のような語で混乱が起きていないのと同様に、何の問題も感じません。 私自身は「科学」を広義の意味でしか使いませんが、だからといって、狭義の科学(「自然科学」)を排除する必要も感じません。 どうぞ使いまくってください。

thegenus
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 どうも言葉の感覚が違うのですが、 Piedpipingさんは文系の学部(社会科学)の出身なのですか? 自然科学をさして、普通の人は科学と言います。 あなたはその時なんというのですか? いちいち自然科学というのですか? そうなると使用頻度は「自然科学」が多いですよね。科学というよりも自然科学と言う回数の方が多くなると思うのですが。 >「ただし、実際の文章に一般的に使用されるのは、明治の末になってからか。」 そうなんですか?これは私見ですか? 大事典は高いので、私は欲しくても買えません。お持ちなのですか。 今回も詳細なご説明、恐れ入ります。

thegenus
質問者

補足

こちらの国語カテの質問にも回答くださり、ありがとうございます。遠慮しないで下さい。そういうサイトですから。重ねて感謝申します。 ご回答内容に対して、部分的に早めに質問させて下さい。宜しくお願いします。 >○質問(1)に対する回答 >普通、医学と言えば臨床医学です。 >○質問(4)に対する回答 >私自身は「科学」を広義の意味でしか使いませんが、 というご回答者さんの意見は普通ではないと思います。 普通、医学といえば、臨床も基礎も含む全体をさします。どちらにもあてられる言葉です。基礎医学をさして医学と表現するのは一般的ですよ。混乱しません。一般社会でも、医学とは臨床医学の意味ではないからです。医学は医学。臨床医学は臨床医学です。基礎医学も臨床医学も医学です。それが普通です。 科学の方はややこしいですよ。科学は自然科学になっている場合が圧倒的に多いのですから。 工学の例に関しては、工学は科学ですので、それで問題ありません。 「医学や工学で混乱が起きていないのと同様」ではありませんよ。医学や工学は混乱しないような言語環境にあります。「科学」は、はっきりしません。 しかし実際、あなたはすべての科学をさして「科学」をつかわれるのですよね。私を含む他の人と議論する時は、事前にそれを表明しておかないと、話が出来ても、意味が通じていない情況が生じますよ。あなたが生じないと言っても相手には通じないのですからね。 ほんとに、その意味でのみ、「科学」を使ってらっしゃるのですか? 自然科学の意味でのみ、「科学」を使う場合は、支障にならないと思いますが、 人文科学を含む意味で、「科学」を使うのは、支障があるでしょう。 支障を感じられなくても、相手に話が通じていないのではありませんかね。 ふだん「科学」で「自然科学」を意味させる事はないのですね? どういう会話しているのですか。「自然科学」ですか。それだと「科学」という言葉は使う機会が少なく、もっぱら「自然科学」を使うことになりますよね。自然科学者よりも誰よりも、「自然科学」という言葉を使っている人物になりえますよ。 「私は科学好き」 「私も科学好き」 「そうなんだ。気が合うね」 「そうだね。気が合うね」 あなたの定義でこうしたコミニケーションは大丈夫ですか?自分の用語の正しさを主張しても、通じなければ、言葉の用を足していません。私はそれに関して相談しているのです。辞書的に正しいかどうかなんて言い張っても始まらない現実社会における言葉遣いを問題にしているのです。妥協しないであなたの「科学」を通しきれますか? 回答者さんの「医学」と「科学」の用い方は、少数派ですよ。 そう思いませんか。 ほんと回答者さんの引用量には感心しますし、その的確さも見事なのですが、 それらOEDや大事典は全部お持ちになっているのですか。そうではなくてネット上でのことならばその方法も教えて下さい。ぜひ見習いたい姿勢です。

その他の回答 (3)

回答No.4

絶対に自分の非を認めない所など、私と同じですね。 ではもう一度だけ、おつきあいをしてから失礼いたします。 >私は実際の生きている言葉についてご意見を募集しています。 言語学的に言います。 一般論から始めますが、我慢してください。 専門用語の場合、かなりの程度まで厳密に定義して使われます。 論文ごとにまず定義を開陳してからでないと、議論が進まないほどです。 (逆に言えば、しばしば学術用語であっても、定義がいろいろあることが多い、ということで、実は広義と狭義どころではない、ということなんですが、これを言い出すと議論になりかねないのでやめておきましょう) しかし、我々の日常生活において、つまり「実際の生きている言葉」について、語義を厳密に一定にはできない。 語義は融通無碍に広がったり狭まったりするものである。 千変万化する現実世界に対応するためである。 ある語の指す対象がどこからどこまでを指すのか、その境界は不定にしておかなくてはならないのである。 もちろん、中核的意味と周辺的意味を区別することもできる。 「鳥」と言えば普通、雀や鷹など、空を飛び回る生き物をさす。これが中核的意味である。 しかし必要があれば、ダチョウやペンギンを含めることもできる。周辺的意味である。 語義は他の語との関係により決まるが、その決まり方はあくまで、「○○ではない」という否定的な形でしかない。 「××である」という肯定的な形式ではないのである。 語義はあらかじめその境界を曖昧にしておき、文脈によってその境界を定める。 「厳密に限定された」意味は言語使用の場にしか存在しない。 これが言語記号の基本特性である。 「言語以前に概念が存在し、それに命名する」のではない。 概念と音形式の関係は常に恣意的である。 また、言語外現実をどのように区切るか、という点においても恣意的である。 たとえば、フランス語の mouton は英語の mutton(羊肉)と sheep(羊)のどちらも指す。 恣意的であるが故に、可変的であり、音と意味にずれが生じたり、新しい記号が生まれたりする。 >混乱していないという感想は、厳密な対話をされていない証拠 というのは実に正しい。 しかし、「混乱しているという感想は、厳密な対話がなされていない証拠」でもある。 厳密な対話が必要ならば、厳密な定義から始めればよい。 しかし必要なければそうする必要もない。 どちらも可能なのが言語記号の特徴である。 「科学」という言葉だけを、特別扱いにはできない。 言語記号はすべて厳密に一定にはできないからである。 >言葉は共通言語として機能しなければならないのです。 そのとおり。 逆説的にしか思えないかもしれないが、だからこそ、厳密で不変で一定の意味が存在しないのである。そんなことをしたら、言葉は使い物にならなくなってしまうから。 言語記号が厳密に何を指すかはあくまで、言語使用の場で決まる。ゆえに >辞書的に正しいかどうかなんて言い張っても始まらない現実社会における言葉遣いを問題にしているのです。妥協しないであなたの「科学」を通しきれますか? という問いにはYESと答える。 現実社会における言葉遣いでは文脈が支えてくれるからである。 支えてくれる文脈を作らずに、「科学」という言葉は使えないし、使うべきでもない。 しかし、これは「科学」に限らない。 すべての言語記号について言えることである。 誤解を招きたくなかったら、文脈を作ればよいのである。 それを怠るから誤解が生じる。 そうそう、一つだけお答えし忘れた点がありました。 >>「ただし、実際の文章に一般的に使用されるのは、明治の末になってからか。」 >そうなんですか?これは私見ですか? 「引用はじめ」と「引用終わり」を書かないから、こんな誤解が生じる。 実に科学的態度とは無縁な回答であったと反省しております。 「ただし、実際の文章に一般的に使用されるのは、明治の末になってからか。」 というのは『日本国語大辞典』からの引用です。 図書館にいけば、英和だろうが、国語だろうが、たいていの大辞典があるはずですよ。 ではまたどこかでお会いしましょう。

thegenus
質問者

お礼

Piedpipingさん、皆さん、大変ありがとうございました。 まだ納得できないので再質問するかもしれません。今後ともよろしくお願いします。

thegenus
質問者

補足

回答ありがとうございます。 これはまた学術的な回答ですね。言語学をご教授いただく形になりました。その素養の無い質問者に向けて、そこまでしていただけるのは、大変ありがたいことです。 >「絶対に自分の非を認めない所など、私と同じですね。」 気を使っていただいた婉曲表現です。質問者が非を認めないという前提を紹介してくれたということでしょうか。 同じと言ってくれるのですから悪い気はしないのですが、質問者の話に正しくない点がありましたかね。 私は非を認めないのではなくて、反論を受けてから、説明を考えたのではなくて、 最初からそのように把握していました。私は、それが一般的だと思っているから説明は先にしません。伝わらないと面倒ですね。 科学の広義の意味は説明が必要ですよね。そういう用語は一般的に死語になります。しかし分類上は生きているのですからややこしいです。 勝敗が目的ではありませんので、両成敗的な締めにされてもいいのですが、私としては何かありましたら教えていただきたいです。 ★文脈を作って、言葉の意味を絞るのは分かるのですが、「科学」にそれは難しいですよ。 その説明文が重たくなるのですね。したがってふつうは自分の文中の単語を説明するくらいなら、そんな専門用語を使わない方が親切だし、賢いのですが、科学よりも簡単な言葉はないのです。 Piedpipingさんは、 この上なく親切な先生です。本当に感謝していますので、ご自身の表現上の不備についてなど反省されることは無いです。分かりにくさは罪ではありません。 さて科学は好きだったのでしょうか。 科学は好きですか、こういう問いかけをする時、どうしたもんでしょうね。主流である狭義の方を死語化できませんからね。 学術的な勉強にはなりましたが、結局、腑に落ちません。 議論は好きではないのですが、楽しかったです。 今後ともよろしくお願いします。

回答No.3

#2です。 なんだか楽しくなってきました。でもあまり言うことがないので、回答にならず、QAサイトとしては望ましくないことになるので、遠慮がちになります。 1.医学について >普通、医学といえば、臨床も基礎も含む全体をさします。 >どちらにもあてられる言葉です。 参考URLをご覧になりましたか? そこにはこう書いてあります。 ================ 日本語で医学という場合、広義と狭義の二つがあり、しかも両者の間がかならずしも円滑ではない。広義の医学とは、医療の実践を示し、狭義の医学とは、実践から離れた学問としての医学を示すわけである。 ================ 2.工学について >工学は混乱しないような言語環境にあります。 「私は工学好き」(土木工学だけど) 「私も工学好き」(情報工学だけど) 「そうなんだ。気が合うね」 「そうだね。気が合うね」 こうしたコミニケーションは大丈夫ですか? それともこんな会話はあり得ないのでしょうか? 3.科学について >回答者さんの「医学」と「科学」の用い方は、少数派ですよ。 そうかもしれませんね。 だからこそ、「私自身は」(「科学」を広義の意味でしか使いません)と断っております。 人文社会科学の研究者は自分を科学者だと思っています。 だから普通、科学と言えば広義の科学を思い浮かべます。 だから英語で自分のことを social scientist と名乗っても、恥ずかしいとは思いません。 その一方で、一般には「科学」という言葉が狭義の意味でしか使われないことも知っています。 ですから、自分のことは単に scientist とは言わないでしょう。 (これは人や状況・場面によるところが大きいと思いますが) ですから、我々は下のような会話はしません。 >「私は科学好き」 >「私も科学好き」 >「そうなんだ。気が合うね」 >「そうだね。気が合うね」 「私は科学好き」 と言われたら、「へー、どういう分野?」と聞き返すでしょう。 だから混乱は生じません。

thegenus
質問者

お礼

多方面にわたるご協力ありがとう御座います。 楽しいのは何よりです。私もです。 今後ともよろしくお願いします。

thegenus
質問者

補足

私の投稿内容の方は心配されなくても大丈夫だと思います。 回答者さんの混乱を訂正するのが質問者の目的ではありませんので。本題以外の作業が増えないようにお願いします。 (1)回答者さんが医学といえばふつう臨床医学の事というからです。違いますよ。ふつう医学は基礎も臨床もさしますよ。聞き手が臨床の効果を期待しているだけです。 リンク先の文の最後にも!こうあります。 「日本における狭義の医学の構成をみると、次の四つの分類が現在採用されている。すなわち、基礎医学、臨床基礎医学、臨床医学、社会医学の4分類である。」 狭義の分類にせよ、広義の分類にせよ、医学という言葉が基礎と臨床の一方をさす事はないのですよ。 広義の医療の実践というのが臨床医学なのでしょうか。その論法で「広義」になりますか?臨床医学は狭義の中の一部分なんですよ。 引用先の文章は文責を問われるレベルの文章です。 医学の方は混乱しませんよ。医学が狭義でも広義でもいいでしょう。違いが生じますか。後述する工学同様に、医学単独で使うときは混乱しない事例の時なのです。特定の話にしたい時は最初から言葉を変えます。基礎と臨床、研究と臨床、医学と医療とに使い分けます。 こんな二度手間よりも、科学の方の混乱を議論されて下さい。それを混乱していないという感想は、厳密な対話をされていない証拠だと思います。 (2)工学も混乱しません。まず工学が好きなんて話にはなりませんよ。工学部出身とかでしょ。それで何科って話になりますよ。 科学は科学ですよ。それから先はありませんよ。自然科学とか人文科学なんてことになりませんよ。そうならないから困るのです。 工学が狭義で、たとえば機械工学だけをさすことがあるのですか。ないでしょ。例になりえませんよね。 (3)なんとかして、私の正しい現状認識を否定しようとしなくていいです。科学の語弊を前提に考えて下さい。 どういう分野って聞き返された相手は「自然科学」の中の分野?という意味で受け答えしますよ。 返し方の辻褄合わせは止めて下さい。 言語を大切していない姑息策ですよね。自分の言葉が正しくは通じていないのですよ。 あなた一人が混乱しないとかではないですよ。私だって混乱していませんよ。 相手に伝わっていないという問題提起ですよ。対話が交錯しているという意味ですよ。 >「だから普通、科学と言えば広義の科学を思い浮かべます。」 あなた一人がそう思い浮かべてもいいのですが、言葉は共通言語として機能しなければならないのです。 自然科学の意味で認識している人がほとんどです。99.9%以上そうです。「科学教育」などとね。 >「だから英語で自分のことを social scientist と名乗っても、恥ずかしいとは思いません。」 そんな話はしてませんし、そんな本音のために、私のしている現実の議論を壊さないで下さい。社会学への蔑視は名前の問題ではありません。仕事内容が、恣意的で誘導的だからです。「科学」という言葉はもっぱら自然科学という意味ですよね。文系を科学というのは特殊な場合だけです。実態を逆さに説明する独りよがりの学説は役には立ちません。 科学の広義問題に困らないのは、狭義の議論をしていないからです。使っていないから不便な状態を学術的に許容していられるのです。学術的に反論ができるというだけですが、それは何の意味もありません。屁理屈になってしまいます。私は実際の生きている言葉についてご意見を募集しています。 よろしくお願いします。

回答No.1

 質問の整理をお願いします (1)→重いかどうかはご自身の感覚で、質問になっていません。 (2)「科学」は明治期の造語だと思うのですが、→思うのではなく、調べてください。それが科学的態度です。 (3)なぜ科学と言えば自然科学をさすようになってしまったのでしょうか。    →科学のはじまりは分析にある、だから目の前にある自然現象を分析する物理学がその源になった。あたまに自然がつくのは不思議でもなんでもない。 (4)皆さんは日頃、「科学」の使い方に問題を感じませんか。日常会話と、説明や議論においても同じ使い方でしょうか。 こういう事を考えずに、上の対話のように使いまくってもいいのでしょうか。→質問ではありません。

thegenus
質問者

お礼

科学ではないとか質問ではないとか、 それこそ回答ではありません。 私の方は質問になっていますよ(笑)それすら分からない。それでは答えも分かるはずはありませんね。引用して質問ではないと書いているだけです。他に中身も意見も何もない。説教だけしたい人ですね。他の質問者に回答してやって下さい。説教にもなっていない。引用しただけ。 考えていないのは、deltalonさん、あなたですよ。

thegenus
質問者

補足

申し訳ありませんが、私は、真面目に考えてくださる人の意見を期待していたのです。興味本位の質問ではないのですから、てきとうな回答行為は止めて下さい。閲覧者のためにもなりません。 以下の質問は8月7日今日現在、締め切られていませんので、説教するくらいの回答者は自らを訂正したらどうですか。 Q.「キリスト教の教えについて」 >「No.3 回答者:deltalon 回答日時:2011/07/23 06:29  本来宗教は「そんなもんだね」と信じることから始まる。  どの宗教も始まりは説明できないことからスタート。そこから論理を組み立てていく。当然矛盾が沢山発生するので、論理の構成だけは緻密になり、隙がなくなっていく。だから始まりが信じられなければ、それでおしまい。  あのガリレオの天動説が拒否され、コペルニクスが受け入れられたのは。神が創ったのだからより整合性が高い説明が出来るはず。ならばガリレオの説明よりコペルニクスの説明の方が(方程式の数が少ない)のでシンプル。つまり神の世界に近づいているのでOK。  たとえば神や奇跡、お告げ、預言はそもそも存在したのかとか、現実との関係は証明されたことは無い。だから多くは秘密にされる。でもそこだけ信じた連中は、そこから現実を解釈していく訳だから、昔いわれたマルクス主義は宗教みたいなものといわれたのと同じ。当然、身内だけで伝わる言葉が広がっていくので、「愛」や「助け」の意味も変わっていき、やがて解釈もバラバラになり派閥が生まれる。  こういった身内だけで待たれ合おうとするのは、いまの役人達と同じ。だから個人的には仏教徒で良いんじゃないかと思っている。だって「仏になるために努力」することだけが教えだから。」 >「あのガリレオの天動説が拒否され」? どのガリレオ? 間違った事たくさん書いていませんか?どういうわけか哲学カテは学問カテなのに一般常識の間違いすら指摘されませんね。料理カテでも政治家カテでも、「ガリレオは地動説ですよ」って話になりますよ。 それと、コペルニクスの説は、その整合性を認められたんじゃんないですよ。頓珍漢です。何で説教された私の方が教えてやってるのでしょう。私が指摘しなければ一生間違ったまま恥をかき続けていたかもしれません。感謝してもらいたいです。 文章を正しく読めないから、歪んだ世界認識になっていますよ。戦略を人に教えられるのですか。ガリレオを天動説という人には説教しかできないでしょう。戦略がなくても説教はできますからね。主婦でもわかる常識を間違う戦略家って何者。晩御飯の相談さえできません。 責任感のある回答者かどうか、あのガリレオの質問に注目です。 考えていないとか、調べていないとか、それってご自分です。「自然科学」という言葉を初めて聞いて、変だなぁと感じたのでしょうか。誰も変だと言っていないのですよ。私に教わっているのに、説教で返すというのは、哀れです。馬鹿でも出来る質問つぶしはやめましょう。私への回答は、「あのガリレオ」以上に破壊的回答です。答えを知らない回答者に責任取れないでしょう。どうしてくれるの?余計に困りましたよ。 国語と回答行為を真面目に考えている人から意見をいただきたいです。

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