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五・一五事件の背景
どうして、五・一五事件は起こったのですか。世界史的な分野も含めて可能な限り詳細に教えてください。
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戦後日本史を研究している者で、戦前は少しうといのですが、歴史書をいろいろ読んだ知識でお答えします。何か研究書をあげられると良いのですが、二・ニ六事件と違って五・一五事件の研究書はちょっと思いつきません。 まず、教科書的なことからはじめれば、1929年の世界恐慌に巻き込まれたことによって農村が窮乏状態にあったことがあげられます。士官学校は授業料無料だったために、貧しい農村の子弟が集まっており、また兵士の中にも徴兵された農民の子弟がたくさんおり、当時の軍隊にとって農村の窮乏は他人事ではありませんでした。しかし、当時の日本の経済力では農村に土木工事を起こして、農民を救済するほどの力はなく、また、そのような発想は当時の経済学の常識ではありませんでした。当時の経済学の常識では不況になって税収が減少した場合、政府支出もそれに合わせて減らすのが当たり前であり、その結果、ますます不況が深刻化することが度々でした。 一方、普通選挙制の成立によって誕生した政党内閣は腐敗を極めていました。一例をあげるならば、確か田中義一内閣だったと思いますが、賞勲局長がお金で勲章を売買していたという事件が発生しています。そうでなくとも、当時の二大政党の政友会と民政党の対立は激しく、政権が交代する度に駐在所の巡査まで変わると当時の人々は噂しあっていました。このように、農村の窮乏をよそに汚職と政争に明け暮れる政党に人々の不満は高まりました。軍隊内でも、徹底した皇民化教育を受けていた士官や兵士たちの間では、天皇陛下は絶対に正しいにもかかわらず、天皇を取り巻く政治家が悪いのだという考えが広まり、汚職と政争に明け暮れる政治家を取り除けば、正しい政治が行われるはずだという信念のような生まれました。 さらに、第一次世界大戦後、世界中で平和主義の気運が高まったことから軍人が肩身の狭い思いをしていたことの反動も事件の背景にあります。大正時代後半、軍人は家から出勤するときは私服で出かけ、駐屯地で軍服を着る者が多くいました。列車内で公然と軍人を馬鹿にしたり、野蛮な職業と眉をひそめる傾向があったからです。そんな軍人たちにとって、1931年の満州事変によって日本の景気が上昇に転じたことは軍人に自信を与えるものでした。世論も政治家に代わって軍人に国家革新の期待をかけるようになっていきます。いつしか、軍人達の間で自分たちこそが国家を変えるのだと言う意気込みが生まれていきます。そして、そんな意気込みに取り付かれた一部の海軍将校が五・一五事件を起こすのです。事件後、世論は殺された政治家よりも事件を起こした軍人に同情的で、事件の首謀者は数年で釈放されました。(ちなみに浜口雄幸首相を狙撃した犯人は死刑にされています。これと比べていかに刑が軽かったかわかるでしょう)このことは軍人をますます増長させ、次の二・ニ六事件につながっていきます。 なお、不況になると社会主義者が勢力を伸ばしてもよさそうなものなのですが、同時の政府の取締りが厳しかったのに加え、内部対立が激しく、また政権獲得に対しても幼稚な考えしか持っていなかったために既成政党に対抗する勢力に育たず、国民の期待は軍部に向けられる事になったのです。
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5.15事件は突然おきたのではなく、その前に士官学校事件だったか な、もう一つ何かあったと思うんですが、似たような事件が起きていた と思います。これらは事件と言っても未遂だったと思いますが… ちょっと、記憶がいい加減で申し訳ないんですが、こういうのは 陸軍運動史と言って、軍人やそれに影響を与えた大川周明博士など と(あと関与の度合いは少なかったですけど、民間の右翼なども)含めた 当時の国家主義的な運動の一貫ではないでしょうか。 わが国の旧陸軍は廃藩置県で武士が失業した結果、明治政府が平民を 含めて徴兵制により近代的な軍隊を作ったことに始まるわけですよね。 最初の頃は良い子をして西南戦争などで活躍していたのに、途中から どうしてこんな事になったのかというと(ここがご質問の核心部だと 思いますが、)たぶん、軍人は天皇が股肱と頼む存在ということで、一種 特別な存在として位置付けられており、しかも、制度的にも統帥権が あって政府から若干距離をおいた存在だったため、色々と政治が混乱 してくると、頼まれもしないのに、国家改造運動を始めるようになった のだと思いますね。 軍がクーデターを起こして政権を掌握するというパターンはどちらかと いうと発展途上国型だと思います。思想的に未成熟だったんですね。タブン。 まあ、明治以前はお殿様とご家来衆と下々の者という按配だった ので、明治維新で急に現代的な民主国家にするといってもそれは 急には出来なかったのではないかと思いますけど。 以上、詳細でないので、申し訳ありませんが…
お礼
非常に参考になりました。ありがとうございます。
お礼
詳細な回答ありがとうございます。専門家はやはりすばらしいですね。