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漢字出現当時における漢字制定の公的機関
漢字の起源は甲骨文字にまでさかのぼるのでしょうが、ある漢字をそのように書くという規範を定める公的機関が存在したのでしょうか。代々の王朝の中に専門職があったのではないかと思うのですが・・・専制君主的な王様がいくつか自分で字を作ったというような突発的なことではなく、もっと体系的な仕事をする部局があっただろうと思います。もっともそれを記録するための漢字が制定されていた当時にはすでにそのような部局は無用のものとして廃止されてしまったのかもしれませんが、ご存知の方はぜひ教えていただければありがたいです。
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ANo.1です 訂正です。 1.行の不整合ご注意。 改行が思惑通りできないので誤解を招く結果が発生しています。 【小篆】。 ・事務作業過多により簡略化したものが【隷書】。 の部分ですが、【小篆】。は前の文の続きです。 2.誤記の訂正です。 「訓詁」:先人が伝える転籍の字句の意味を唐代の言葉で解釈。 の行です、 誤:唐代の言葉 正:当代の言葉 他にも気づかれたらご指摘ください。
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- yanhua
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回答は一言で言うと、 「政治の体制下で行われた」ということです。 原則は当初から国家=皇帝の要請があった。 時には学者が個人の労作を上申して追認された。 ■ご存知の様に公知の最古の文字は殷の甲骨文字ですが、念のため辿ってみます。特に、夏王朝は論議の最中ですが、『長江文明の発見』徐朝龍著のシナリオ/仮説があります。 なお、以下は異論各論ある中での典型を列挙/引用していますから、個別事項はご自信で納得いくように確認下さい。 ーーーーーーーーー BC3500-2500 良渚文化(りょうしょぶんか):長江文明における文化の一つ、稲作都市文明を形成。洪水で崩壊。文字体系の有無不明、[巴蜀文字=絵文字]あり。 ーーーーーーーーー BC2500-BC16xx 夏王朝(かおうちょう):良渚文化集団が北上し夏王朝を興す。歴史及び考古調査で、夏王朝と河南省二里頭文化=夏文化?は研究過程で未決。一部が蜀方面へ移動し三星堆文化(現成都市の奥に遺跡)を興すなども伝えられる。少なくとも巴蜀文字はあったとの見解も。 ーーーーーーーーー BC16xx-1046 殷王朝(いんおうちょう):【甲骨文字(亀甲獣骨文字、契文とも)】が確認されている。青銅器に刻した文字は【金文(鐘鼎文とも)】と称す。 ーーーーーーーーー BC1046-256 周王朝(しゅうおうちょう):卜占衰退し、甲骨文字の後継として金文多数。ただし、資料の不充分などにより文字の研究には殆ど寄与少ない。花崗岩に刻した文字は【石鼓文(せっこぶん)】、石刻文字で、後出の大篆の雛形。 ☆即ち、貴質問に関して対象は殷以降。なお、政府の官制について記録が残るのは周がはじめてです。 卿事寮-司馬(軍事),司土(土地管理),司工(建築土木?). 大史寮-歴史の編纂・各種儀礼・祭祀 とあり. ☆大史(書記官)の籀(ちゅう)により史籀篇(しちゅうへん)が著され、【籀文(籀書とも)】ができた。この書の題名が『大篆』であったことから、ここでの書体を【大篆】というとの説も。 *余談:『易経』(BC770-403)によれば、「聖人が文字を造った」旨の記述あり。『説文解字』(後漢BC25-220)によれば聖人の名は蒼頡(そうけつ)。眼が四つある。 ーーーーーーーーー BC221-206 秦朝(しんちょう):過去の王朝では字の種類も書体も時代や地域によりばらばらであったが、全土統一の政策上の必要から、始皇帝により車輪の幅・言語・文字・律令・衣冠の統一が行われた。 ・この政策を提言したのは宰相の李斯といわれる。 ・宰相李斯『蒼頡篇』,中車府令趙高『爰歴篇』,大史令胡母敬『博学篇』を分担。籀文を土台に不用字を省き、書体改定をして公式書体とした。【小篆】。 ・事務作業過多により簡略化したものが【隷書】。公式文字でなく、自然発生的な実務用文字。役人(一説では囚人)発案の説も。実用的であることで漢代以降一般化。 ーーーーーーーーー BC206-AC263 ・漢代に於ける「字様書」・・・標準書体を示す書 前漢・武帝 『凡将篇』司馬相如 前漢・元帝 『急就篇』史游 前漢・成帝 『元尚篇』李長,『訓簒篇』揚雄 後漢・和帝 『滂喜篇』賈魴 *以降【楷書】なども登場するが、書体は再び乱れ賢帝や能書家が問題提起。 ーーーーーーーーー AC633貞観7年 ・唐・太祖の命で顔師古が『顔氏定本』を作成。経典の正誤を正した書であるが、併せて文字(楷書)の基準を定めた。楷書の標準を示す『顔氏字様書』として広まるが現在に伝わらず。これを底本として出来た『干禄字書』は科挙試験の標準字様書。 *唐代には『五経正義』『五経文字』『新加九経字様』など、経典(易・書・詩 ・礼記・春秋 他)の文字の乱れを正す膨大な作業も行われている。 ーーーーーーーーー AC1956中華人民共和国成立8年目 ・『漢字簡化法案』公布、現在の簡体字です。 なお『漢語拼音法案』公布は1958年。 ========= さて一段落です。 ☆各時代において、皇帝が(の名前で)学者に令を発して文字の整備をさせてきたことが分かります。この分野の作業は長年月要す、中心になる学者が必須、助手や単純な書き手が大量に要る、などから組織は各朝廷と時代に合わせて存在しました。著者の官職は既知も不明もあります。 ■以下は書体では有りませんが、中国語の漢字に関わるじしょ・じてん。 漢字は表音文字と異なり、個々の文字に関して多面的な属性を持つため、多種のじしょが必要となります。主要なものを挙げます。 ・「義書」:古い書物中の語彙を当代語で解釈し、 文字の意味により分類した辞典。 『爾雅(じが)』著者・時期とも不明。義書第1号。 前漢平帝(BC1-5)の時期にはあったとされる。 欠落あるも現存。 ・「字書」:文字の形で分類し漢字の本義を解説。 『説文解字』許慎著 後漢AC100.現存。字書第1号。 漢字を部首法で分類配列。 『字林』同上の増補版 AC265頃。 『玉篇』顧野王撰 南北朝AC543。 字義、書体、解釈など変化と混乱が見えてきたもの を正し、検索の便をも配慮。改定版、古写本など多いが、 現存中で最古は宋本。 『字彙』梅膺祚著 明代神宗AC1615。 文字検索の画期的簡便化。部首数を半減し筆画数で配列。 ・「訓詁」:先人が伝える転籍の字句の意味を唐代の言葉で解釈。 注:義書は語を集めて分類。訓詁は書籍に注釈。 『爾雅』は訓詁ともされる。 ・「釈名」:語源の解説書。 『釈名』劉熙著 後漢末AC220? ・「韻書」:中国語の音韻を分析し体系化したもの。 『声類』李登著 魏AC220-265.韻書第1号。内容不明。 『韻集』呂静 西晋AC265-316. 同上。 『切韻』陸法言 隋朝文帝AC581-604 作詩の押韻の規範となる。 『広韻』陳彭年他編 AC1008 切韻の最終増訂本。 『中原音韻』周徳清編 元朝AC1324.伝統的広韻を脱却。 元雑劇の北曲の韻を踏まえ構成も全く変えた韻書。 『韻鏡』漢字音の音節表。 現存する最古の韻図。中国では紛失、日本に伝わる。 *『康煕字典』清朝康熙帝AC1716に完成し、現在の中国日本とも漢字政策はこれに準拠 *別目的で書いたものを引き出して来て、切り貼り虫食い作業の回答です。見にくい、分かり難い点は、乞ご容赦。 なお、主たる参考資料は『漢字と中国人』大島正二著 岩波新書
お礼
もったいないほどのご教示をいただき感激いたしております。どうもありがとうございました。さっそく勉強させていただきます。
お礼
ご丁寧なお心配りをありがとうございます。