そもそも立憲政治の導入は五箇条の御誓文で公約されたものです。藩閥政治家といえど、明治天皇からの信任があってのそれぞれの立場なのであるから、積極的でない理由は無い。立憲政治の導入時期と憲法の内容については考えの違いはあれども、立憲政治の導入そのものに反対した政治家は一人もいません。
民主主義を金科玉条と盲信する戦後教育は、藩閥政治を過度に貶めようとして、おかしなイメージをばらまいているけれども当時の藩閥政治家は決して恣意的な利益誘導には走っていない。むしろ恣意的な利益誘導に走ったのは民意に迎合する政党政治の時代からなのだ。
当時の政治課題は、解放令に反対して、被差別民を襲撃するような野蛮な国民をどう教化して日本を文明国にするかということであった。かようなテロ国家がうわべだけの法制度の導入で一挙に法治国家、立憲国家に生まれ変わることはできないという基本認識は誰もが共通していたのだ。
邪悪な戦後教育は自由民権運動家が立憲政治賛成派で藩閥政治家が立憲政治反対派であるかのような間違ったイメージを現代人に植え付けようとしているがそれは全くの嘘です。
自由民権運動家は大衆の支持をバックに復権を果たそうと模索していただけで、彼らもまた藩閥政治家であったことには何の違いもない。政権を握る政治家が立憲政治は国民の教化なくして実現不可能と考えていたのに対して、性急に議会開設を求める自由民権運動家は、そのような認識が無かった。
それが対立点の本質であって、決して立憲政治の実現そのものに賛成とか反対とかいった対立点が存在したわけでもないのです。
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