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サイードについて教えてください。
サイードのオリエンタリズムがよく理解できないです。教えてくれるとありがたいです。2011年のアラブ革命と関連付けて教えてくれるとありがたいです。
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- max_989
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西洋がどのように東洋を眺めているかということと、オリエンタリズムは表裏一体でもあります。 例えば、アラブの春が起こった後、何も知らず(純粋に)単なる民主化として運動を崇める人が欧米にはいました。彼らのなかでは、サイードが指摘するような西洋の東洋に対する見方が知らず知らずのうちに再生産されているのです。 詳しく書くと書ききれないので、リンクも参考にしてください。
- kusa-mura
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レポートの課題なのかなぁ、あまり書き過ぎないようにしないとなぁと思いつつ、回答します。というのも、サイードは2003年に亡くなったので、2011年のアラブ革命とは、基本的には関係ないと言えます。惹きつけて論じることはできるが、それは、あなたの関心次第であって、オリエンタリズムについてどうやらご存じないようなのに、最初からこの命題が設定されているのは、変だなと思ったのです。どうも誰かが、あなたに設定した問いであるらしい。 『オリエンタリズム』はそんなに難しくはないので読んでみることをお勧めしますが、まぁ、文学に興味がない人は嫌でしょうね。大雑把に説明すると、十九世紀のフランスには、東洋に対して、事実と異なるイメージがありました。アラビアンナイトに出てくる美しい女性が男性を癒してくれるというイメージがその最たるものです。現代ではコスプレが流行っていますが、かつてアラビアの衣装はそうした流行だったのです。 しかし中東の現実には、十九世紀の時点で、既にアラビアンナイトの謎めいた女性だとか、男性にかしずくお姫様などというものは、実際にはないのです。庶民の普通の生活があったわけです。ところが中東を旅行したヨーロッパの作家(とくにフランス人)は、アラビアンナイトのイメージに重ねて、事実を曲げて旅行記を書きまくったのです。夢の中に半裸の女性が登場して、性的なご奉仕をしつつ、孤独な男の悩みを救ってくれたとか、そういう話です。 虚構は虚構として、現実と切り離されていればいいのですが、旅行記なので本当かと思ってしまう人もいる。フランス文学は、世界の文学の中でも、最も大きな成功をおさめました。かくして東洋には十九世紀にアラビアンナイトの世界があったと思いこむに至った人もいたわけです。その証拠に、序文でサイードが呆れ果ててていますが、ベイルートの内戦を視察したジャーナリストでさえも「シャトーブリアンやネルヴァルの描いた世界が失われた」と嘆いたわけです。もともと、そんな世界はありもしないので、ピントがずれているのは明らかです。ジャーナリストという、もっともリアルを直視しなければならない者からして、この有様。現実世界の貧困とか、殺戮ではなく、かつてのイメージが失われたと嘆くのは、現地人にしてみれば、怒りの要因に他なりません。 なぜ実態を西洋人が見なかったのか。そして今も見ようとしないのか。大雑把にいえば、差別意識があったからで、東洋は西洋に遣える召使であると考えたがったから、というのが説明になります。要するに、東洋は、男性に優しく従うアラビアンナイトのお姫様的な存在であって欲しいという願望がそもそも西洋人にあって、その願望は文学作品に顕著に見られるというわけです。 さて、アラブ革命にどう結び付けるのか。それは、あなた次第ではありますね。アラブと言った時、一般の人は案外、アラビアンナイトくらいしか知らないのではないか――という導入としても使えるでしょう。またカダフィに対する西欧の論調を分析して、「結局のところ、西洋は従属的な召使であることを求めているのであって、それはサイードが述べたオリエンタリズムの図式を抜けていない」などと言えるかもしれません。 西欧の東洋への介入については、しばしばオリエンタリズムという議論がもちだされます。結局、西洋は東洋が従属するべきだというイメージをもち、それに基づいて軍事介入をしているのではないか?という話です。また、これは、東洋には東洋の価値観があり、それは西洋の枠組みと違うのだから、口出しするべきではないのではないか――という話でもあります。イラク戦争の時に、随分と、そんな話が出ました。オリエンタリズムと並んで、「文明の衝突」などもまた、論じるときに有効な概念ではあるでしょうね。 ご参考までに。