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生まれ変わりについて
人は亡くなったら、また生まれ変わるのでしょうか。 人によって亡くなる経緯がいろいろあると思います。それによっても変わってくるのでしょうか。 人から人、人から動物、動物から人、動物から動物みたいになるんでしょうか。
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質問者が選んだベストアンサー
「人間の転生と宇宙の法則」 *人間は肉体の死後、3秒位で人間の胎児や新生児に転生する。 *人間は男にも女にも転生する、白人や東洋人や黒人や宇宙人にも転生する。 *自殺者や戦死者は地球という小学校の教室を落第したので、もう一度、地球に生まれ変わって、やり残した学習や奉仕をやり直す事に成る。殺人や自殺ばかりしていると15~16回の転生で宇宙の転生の法則により魂が除去される。 *生まれ変わる場所は、色々な国々に転生し又、他の惑星にも転生するし、他の惑星からも地球へ転生する。 *人間は人間にしか、生まれ変わらない、他の動物ではボデイが合わない *善業の者は良き場所へ悪業の者は悪しき場所へ生まれ変わる。 * カルマの清算や自分に与えられた奉仕のやり残した仕事の実践がある。 *地獄は本来宇宙には創造されていないし、又、霊界には人間は行かない。 *創造主の聖なる息子や娘としての、人間の義務や奉仕を行う事が担わされている。 *人間の心と宇宙の意識(叡智、命、神)との一体化をする為の進化の目標がある。 *前世は各人が潜在意識(宇宙の意識)と心が結ばれ一体化すると、脳裡の過去世の映像で思い出せる。 *自分が進化する為に自我(エゴ心)のエゴの克服を行う事が担わされている。 *人間は愛(慈悲)と奉仕に生きる為に、良き想念や行いを自分の進化や全体の福利の為に行う事を担わされている。 *永遠の生命を得る可能性を示さない人は15回~16回の転生で魂が除去される。 *生命の宇宙の法則や原理を理解して進化向上した者は他の進化した惑星へ転生が許される。 *来世は貴方の進化や退化の程度、次第です。
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業によって生まれ変わるのでしょう。 人は人の業によって、動物は動物の業によって生まれ変わるのでしょう。 すべては業によって決まるようです。 生前の業により、次生の赴く先が定まるとされています。 過去の業の総決算として誕生があるともされています。 ですが・・・ その有り様を観る事のできた人は、ごくわずかなようです。 宿命通という、業によって人の過去から未来までを見通す智慧を身に付けた人だけのようです。 誰にでも分かる事はといえば 人は過去の行為の積み重ねによっては、人間らしくなったり、動物らしくなったりという状態を、生きている間に繰り返しているという事です。 そうした小さなサイクルもあれば、転生という大きなサイクルもある、という事かもしれません。 唯識の業論によれば輪廻転生は確実なものとされています。 しかし、これを信じるか否かは自由です。 古臭く、カビ臭い教えなど、当てにならないという人も多いと思います。 それでも、人の生死を論じる時には、この業論を越えるものは見当たらないように思います。 霊魂論などは業論に比すべきほどのものではない、といった感じすらあります。 >人は亡くなったら、また生まれ変わるのでしょうか。 分からずとも、そう信じて死者の冥福を祈る、という答えではまずいのでしょうか。 分からずとも、人らしくあれ、という祈りがあっても良いのではないでしょうか。 本当の答えは難解な業論に任せたとして、私達にできる事は、信じる事と祈る事だけのように思います。
- TANUHACHI
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ANo.4です。質問者並びにANo.5のchotoku先生からのコメント並びに回答を拝見させていただき、私の説明が不十分であった事を先ずはお詫び申し上げます。 私が所謂「転生」はない、との背景には「モノとしての生体が滅び去った」こと、生物としての生存活動を終えた、との意味があります。 けれども一般的な通念(或いは心情とも呼びうる感情の発露)として「亡くなった相手に対する思慕の情」が残ることも確かです。それが個人にとって掛け替えのない相手であればあるほど思いは強くそして記憶から薄らぐまでに相当長い時間を要することもあります。「袖ふれあうも多生の縁」などと申します。こうした目線から世間を観ていれば、自分にとって掛け替えのない人や相手はもういないけれど、似た人や相手にであったならその人を大切にしたい、とのモノの考え方が恐らく「供養」と呼ばれることだろう、と僕は思います。今、僕の家には二匹ほどの猫が共に生活しています。彼らは先代の猫がまだ元気だった頃、庭先に遊びに来ていた地域猫の出自ですが、それでも先代の猫とは仲も良かったことから、彼が老衰で他界した後に彼の面影を見るような感覚で共に暮らしています。物理的にはもういない、と判っていても意識の何処かで追ってしまう、人間って不思議ですね。 まだ皆様方からすれば、ほんのはな垂れ小僧にしか過ぎない若輩者の言葉です。
- Mokuzo100nenn
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ドーキンスって人が言っていたが、人間ってのは遺伝子の乗り物にすぎなくて、老化してゆく肉体に依存していちゃ遺伝子も危ないってんで、新しい肉体(子供)に乗り換えるんだってさ。 つまり、我々が人間と考えている肉体はタダの乗り物で、乗り捨て可能なものに過ぎなくて、同じ遺伝子が複数の肉体(複数の世代)に乗っているってんだね。 この見方を採用すると、人間は(遺伝子は)生まれ変わると言えなくもないね。 最新の科学が答えを出しれくれるかもしんねぇから、楽しみだねぇ。
- cyototu
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#4さんへ 柳田國男が幽霊の研究について、こんな趣旨のことを言っていました。 「幽霊がいるかどうかを学問の対象とするには、問題が難しすぎるようだ。しかし、現在も含めて何時の時代にも幽霊を見たと言う人は幾らでもいることを否定できる人は誰もない。だから、人々はなぜ幽霊を見たと言い、そしてその幽霊はどんなものであったかを分析することは、その人々の文化を探り、また我々人間を理解する上で、十分に問題にするに足りる学問の対象である」 私もこの意見には同感です。ですから、#4さんのように前世を頭から否定するのではなくて、どうして我々の先代達はそのように考えていたのかを探ることは、我々はどこから来てどこに行くのか、そして今の我々を理解する上で意味のある質問だと思います。 私なんか、自分のことで巧く行ったときには「そりゃ私が前世で良いことをしたからだよ」と言い、また、うちの婆さんが私に文句を言ったときには、「私を恨むんじゃない。この不幸は貴方の前世が原因だ。貴方は前世に余程悪いことをやったに違いない。だから今罰が当たっているんだ」って言うことにしています。
任意の心の存在が「この私」が存在するための必要十分条件であることから、輪廻転生は十分に、かつ最先端の哲学的命題であるようです。 人口増減による反論は、多対多モデルの採用により退けることができるとのこと。 ただ そうした輪廻転生は「生まれかわり」とは意を異にするようで、輪廻転生が生じる世界と生じない世界では、主観的相違も客観的相違も存在しないようです。 つまり、 前世と来世を特定するオカルト的興味とは全く論理的関係がないようです。 古代インドでは、自己(アートマン)を認識主体として捉えていたり ブッダによって五ウン非我の証明が行われていることから、 輪廻転生の論理的解明はかなり進んでいたのかもしれません。
- TANUHACHI
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先ずは「考えられない!」。これが結論です。質問者様は中学校や高校で「生物」を勉強しましたか?。 その時に「生物としての人間の組成」について学びませんでしたか?。生物としての人間は有機タンパク質と水分の他にカルシウムなどの成分で構成されています。死んで火葬に付された後に御遺族の方々が遺骨を拾われますね。そこには、あなたの想定する「生まれ変わりを決定する要素」はありますか?。残念ながら僕はその様なモノを目にした記憶は一度としてありません。 人間は人間から生まれる生物です。猫から人間が生まれることなど決してありません。もしその様な事例が具体的にあるのでしたからお示し下さい、人類史上最大の発見となることは間違いありません。
私はキリスト教徒です。ですから、生まれ変わりは信じていません。信じていないのですが、私が今飼っているオスのパピヨン犬。。。こいつが亡くなった母に生き写しです。 戌年生まれだった母が亡くなったのが六年前の10月31日。その年の11月23日に生まれた子犬をクリスマスに見つけ、まだ小さすぎたので一月待って、家につれて帰ってきてからずっと、なんだか不思議な気がしていました。 美しくて優しげなお顔、外見からは想像できない猛々しい性格、相手によってコロッと態度が変わるところ、お客様は全部自分に会いに来たという思い込み、などなど。幼い頃から離れて暮らしていたので、こうして一緒に暮らすことになって、喜んでいるだろうなぁ、と自然に思ってしまう私です。 友人の飼っているゴールデンリトリーバーも、亡くなったばかりのご主人のお父様に目がそっくりだといっておりました。”家族を守ってくれているのよ。貴女のお母様も、貴女のことがご心配だったのね”といわれて、素直に頷いてしまいました。 本当に不思議なことです。 回答になっていなくてごめんなさい。他の方の意見も伺いたくて、投稿しました。
- kigurumi
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うーん、 実験して人工的に雷を作ると、DNAを構成する素材の一部ができたそうです。 そこで、地球はできた当初は火の玉だったけど、だんだん冷めていって、不安定なので雷ゴロゴロ放電していて、DNAが作られて、生命体と呼ばれるものができあがっていき、海から生命が誕生して、海が蒸発して大気圏を作り、有害な宇宙線をシャットアウトしたことで、陸上に上がっては宇宙線ですぐ死んでいた生命も死ななくなり、陸地に生命が増えていったが、一気に生命が地球から絶滅して、、、また 生命体が誕生して、、、、って繰り返し、人間もそのうちできたって説を読んだころがあります。 newtonって雑誌。 で、単細胞の生命体は、自分と同じ遺伝子をコピーして増殖するわけですよね。 単細胞から多細胞に枝分かれした経緯については、忘れてしまいましたが、さらに有性交配になると、完全な自己コピーはできないわけです。 ただし、一卵性双生児は、まったく遺伝子が同じで外見もそっくり。 片方が遺伝的病気になると、もう片方もなるって確率が、兄弟より高い。 で、ふと思うわけです。 もし生まれ変わりってのがあったら、この双子ちゃんは、前世も双子だったのか。 昆虫の時も双子? いやいや 昆虫となると何百何千子になるわけで、、、、 そんなことを考えると、どうしても数的に合わないし、、、、、 昆虫は昆虫でせっせとご飯探して子供育ててきたわけで、それが悪いことだってされるのなら、人間だって同じことをやっているわけで、アリのとき せっせと働いて女王アリのために餌を運んでいたから、次の生は別の生命体、働かない怠け者だったから、人間に生まれ変わってしまったってのは、、、無いと絶対に思います。 だって 遺伝子違うじゃん です。 遺伝子が結構その人の基本習性に関係してますし、好みも関係があるし。 で、輪廻とかって、もともと太陽は夜死んで朝蘇ると思われていたふしがあるので、輪廻みたいな考えができたんじゃないかと。 曼荼羅のタペストリーみると、「太陽ですな」って思いますもん。 太陽が死んで生まれ変わる(実は地球が自転しているからそう見えるだけ)からといっても、人間は夜んで朝生まれませんから。 死を受容できずに、死の恐怖を回避するため輪廻思想ができたと思うし、犯罪抑制効果を狙っても、活用されてきたんじゃないかと思います。 「悪いことをすると、見つからなくても、死んだ後 報復はあるぞ」ってなれば、「見つかりっこなくても 悪いとされることはしないでおこう」ってなり、治安よくなりますしね。 それほど無法地帯(法があっても誰も守らず法の存在価値が無い)の時期があったんじゃないかと。 生まれ変わりの子とされる人は、輪廻思想がある社会が主。 臨死体験で、三途の川を見たって人は、三途の川の言い伝えがある地域に住む人のみ。 このことから考えると、聞いたことも見たことも無いものを、人間は記憶できないってことですね。 逆に子供の頃に聞かされていると、無意識で関連づけてしまいやすいってことですね。 生まれ変わりの子供とされる人の親、ものっすーーごく輪廻を信じている人。 小さい頃からずっと子供に話しているうち、子供は親は自分に何を望んでいるかがわかり、親が話した話を「前世で見た話」として語り、親は自分がずっと前子供に話したことだと覚えておらず、「確かめてみたら 本当に100キロ先に村にそういう事件があった」となっているわけです。 「あんたが話したから 子供が記憶して、それで子供は喋ってるんだよ」ってスリッパでポコンとやりたくなる。
生まれ変わり・・・は、まずないでしょう。何故なら、人類でいうと「今生きている人数>今まで生きていた人数」だからです。即ち、今まで生きていた(=死んだ人)がすべて生まれ変わっても、足らないからです。 あなたが心配しているように、別の生物の生まれ変わりで人になったなら、可能ですが・・・。例えば、昔飼っていた猫のミーちゃんが、生まれ変ってアナタになったとかね。でも、お釈迦様は、「人間は生まれ変わるぞよ」なんて言っていないと思います。生まれ変わりや天国や地獄は、お釈迦様より後の葬式仏教でお布施を多く貰うための口実だと考えます。原始仏教は、生きている人の四苦八苦を救うための思想であり、死んだ人を救う宗教ではないからです。 よって、「生まれ変わり・・・?」、印鑑や壺を勧めるセールスマンみたいだ・・・と思います。(胡散臭い) 詳細は、日本仏教伝道会の仏教聖典でも読んでください。間違っても、日本霊異記のような説話は信じてはダメで、昔話として読むべきです。何故なら、日本霊異記は、今昔物語の原話でもあるからです。むかしむかし・・・