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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:原発で身を賭して働く作業員たちをどう考えますか?)

原発作業員の特攻隊員としての姿勢

このQ&Aのポイント
  • 原発作業員は特攻隊員のように命令に従うべきか、それとも自己の幸福を追求する権利を持つべきかという問題が浮上しています。
  • 特攻隊員は国のために自ら命を捧げた英雄であり、同じように原発作業員も国民の安全を守る役割を果たしています。
  • しかし、作業員が自身や家族を危険にさらすことを拒否することもあり、その選択は個別の権利として尊重されるべきであるという意見も存在します。

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回答No.11

 「命令が自分も家族をも不幸に陥れる可能性のある場合には,人権を盾にそのような命令には従うべきでない。拒否すべきである」と,このように正義を論じておられます。ごもっともです。  質問文を拝見させていただいて思いめぐらすうちに,人権とは,行使しようが放棄しようが個人の勝手といえるほど軽いものではない,ということに気付きました。  多くの権利を引き合いにして述べられているので,大雑把に人権としてしまったようですが,念頭には生命権があったようです。おっしゃるところの幸福の追求の権利は,つまるところ生命権なのだなと思われました。    そもそも人権は社会を考える上での言葉で,外的関係(個人相互,個人と社会)として語られるのが常だと思うのですが,その源泉は一人の人間の尊厳でしょう。  一人の人間の本能が自らの生命・自由を求めてやまないのが自然な状態であり,その自然状態が人為的に侵害されれば,(野生の,ともいうべき)人間の尊厳が失われるということです。  ところで,この生命権と自由権の重みに関してですが,自由権を上位に立てて生命権を放棄するということは,野生の状態では起こり得ないと思います。つまり,生命権こそが野生の尊厳に重みをつけていると思うのです。一人の人間において言うと,自殺をする自由より,生命の方がはるかに重いのです。自殺してはいけないと言われるのは,自殺行為は本来自然な状態ではあり得ないのであり,自殺行為という不自然な結果のその原因である,人為的な人権侵害を咎めていると見るべきなのです。  源泉に立ち戻って,野生の尊厳の視点から原発問題を考えてみましょう。他者との関係を断って考えるということです。原発作業員は,自らの野生の尊厳を保てるのでしょうか。(ミスも含めて)人為的な人権侵害を受けてはいないでしょうか。  "現場の線量管理をめぐっては、東電の女性社員2人が国の線量限度を超え被ばくしていたことも相次いで判明、ずさんさが明らかになっています"。http://www.47news.jp/CN/201105/CN2011050101000622.html  「生命権や幸福追求の権利は自分に属すものだから,行使するも放棄するも自由である。自分には自由権が,選択の自由があるのだ。社会的使命を選ぶ,あるいは報酬を」と言って行動するときの自由権は正当なものでしょうか。というか,安全神話にならされて,彼らは間違った選択をしてしまっているのではないでしょうか。  原発作業員は,全員自己の尊厳を保つべきです。人権を盾にというより,むしろ人権(自己の,そして人類の尊厳の基盤)そのものを守るために,人権を侵害するような命令は断固拒否することこそ,人権を尊重する社会においては正義なのです。  貴方に関しては,「共に死んでいくことを選びたいですね」という思いで,他者と自分の両者の尊厳に傷をつけています。どうして100%の正義といえるでしょうかと問います。  彼らは自己の尊厳を自ら侵害し,人類の尊厳を傷つけていることに気付いていない。いったい何が彼らの本能を曇らせているのでしょう。  

0123gokudo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >貴方に関しては,「共に死んでいくことを選びたいですね」という思いで,他者と自分の両者の尊厳に傷をつけています。 やっぱり自分の尊厳も傷つけているのでしょうか? 夏目漱石の「こころ」はご存知でしょうか?己のエゴが友人を自殺に追いやった、自責の念に捕らわれて悩んだ先生。他者を死地に置いて自分が生き延びることに私は、自責の念を感じるのです。

その他の回答 (13)

noname#139811
noname#139811
回答No.14

原発に限らず、自衛隊、レスキュー、消防、警察、ボディガード、スタント、など、リスクを含んだ上で成り立つ職業が あると思います。 ニュースにはならなくても、工事現場や平和や命、安全を守る職業の世界では、奥さんと子供を残して 亡くなっていく人もいます。 そういう方の墓参りに毎年行く身内の気持ち。これもこの世に確かに存在します。 見えるものだけが真実ではないと思います。 見えないところで亡くなってきた、そして、これからも亡くなっていくだろう人たち はニュースにならないけど、忘れてはいけないと思います。 今回の原発の労災リスクは想定内でありながら、想定外だったのだと思います。 万が一、が起こってしまうことは分かっていても、誰も現実に起こって、まさか 自分が当事者になるとは思っていなかったのでは。 それと、今まで原発で働いてきて、ここで逃げたりでもしたら、もう同じ土地、 同じ業界では雇ってもらえないでしょう。 転職が難しい年齢なら、そして、養う家族がいれば、断ることはできないでしょう。 そういう現実的な考えからいくと、断る人は少ないのでは。 ただ、今回の地震で、自衛官が任務を放棄して逃げた、という話も聞くので、その人の職業観 や人として社会人としてのモラル次第なのではないでしょうか。

0123gokudo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >原発に限らず、自衛隊、レスキュー、消防、警察、ボディガード、スタント、など、リスクを含んだ上で成り立つ職業があると思います。 皆さんそう仰るのですが、私の認識はちょっと違うんです。 殉職は自ら意図して死地に赴くのではなく、言わば「ミス」で死ぬのではないでしょうか? 燃え盛る火の中に飛び込むとしても、「これならいける」と判断して飛び込んだが結果的に判断ミスで死んでしまうということではないかと思うのです。 それとは違って、原発の場合は、危険が確定されている場所に"強制的"に突入させられる。今直ぐ死ぬということはないけれど、将来このことが原因で死ぬということが大いにあり得る、ということ。 はっきりとは説明出来ませんが、どうも原発の作業は他の危険な作業とは性質が違うように思うのです。

回答No.13

とても美しい問題提起をありがとうございます。 また、人間とは何であるのかを考えさせられる素晴らしい投げかけです。 今後も、このQ&Aサイトだけでなく、色んな場で、色んな方たちに投げかけてもらいたいと思う質問でした。そうした0123gokudoさんの働きかけ自体も、原発収束の動きと繋がっていますし、日本の復興、人間の復興、サムライの復興に繋がっていると思います。 どこまで、0123gokudoさんにお応えしているかは分かりませんが、現段階で僕なりに思う事を書き綴ってみたいと思います。宜しくお願いします。 僕が今、こうして生きているのも、お兄さまの様な方がこの国の礎となってくれていたからなんですね。生きている僕は、もしお兄さまが生きてらしたら、こんな社会に住みたい、こんな生き方をしたい、と思ってもらえる様な日本を創りたいと思っています。 今回の3.11東日本大震災は、地震・津波・原発事故・風評被害と続く凄まじい創造的破壊であったろうと認識しています。自然から、そして文明から与えられたこの破壊に対して、単なる破壊で終わらせるのではなく、どんな創造をもって応戦するのか?が人間に問われている見えない意図なのだろうと受け取っています。 創造的破壊に対して、破壊的創造を返す。 これが、今からの人間の生きる道、日本人が進む道だろうと思います。 その中で、今回の日本の国民性は世界から観てもとても驚く事が起きました。大地震・津波の最中にあっても、冷静な対応、秩序を守ろうとする姿勢は世界がとても感動し、賞賛・賛美・畏敬の念を感じたそうです。 裏には、日本の独特の心があったろうと観ています。 そして、サムライの精神、サムライの心もあったろうと観ています。 サムライの心、日本の心とは、およそ五感覚でパッと見る限りでは理解し難い様な理解方式・認識方式です。それ故に、犠牲の精神や連帯の精神などを持ち合わせています。世界でも、そこかしこには観られますが、日本ではそれが割りと標準と言いますか、当たり前みたいなところがありますね。 その日本の素晴らしさ、人間の美しさを激しく低下させてきたのが、アメリカ・西洋を中心とする教育でした。これによって、日本でも個人戦・個人主義が盛んとなります。 個人戦・個人主義が、日本に対して及ぼした影響は人間の尊厳性を著しく低下させる事でした。 命や生命が何であるかを考えた事が、誰しも一度や二度はあるかと思います。或いは精神が何であるか、とか人間とはどんな存在なんだろう?とかですね。0123gokudoさんはどうでしたでしょうか? 僕たちは、自分の体や命を維持するために、絶えず植物・動物から協力をもらっています。食べ物や飲み物としてが特にそうですが、それ以外にも呼吸したり、安定して地に足を付けたり、寝たり起きたり、とさせてもらえているのは、水・光・力・エネルギーなどから協力を得て、地球・太陽・銀河・宇宙からも協力を得ています。 自分の体が、或いは自分の命が、もし自分の体以外と完璧に切り離されて、完璧に分離独立の状態だったら、一秒でも生きられるでしょうか? 呼吸も出来ず、光も吸収できず、したがって認識は機能せず、重力・電磁力の恩恵も得れず、弱核力・強核力の恩恵も得れませんので細胞やたんぱく質を維持させる事も出来ず、体も命もバラバラに離れてしまいます。 この事の意味は、自分の体だけで生きる事は無理ですし、自分の命だけで成り立つ事はありえないという意味です。そして、絶えず外からの恩恵を蒙り、外から協力をもらいながら、ようやく自分の体を維持でき、命をもらえている事になります。 そんな素晴らしい外からの恩恵に対して、そんな美しい相互的な支えあいにおいて、人間は一体何を返すというのでしょうか?どんな事を返していきたいのでしょうか? 人間もまた、多くの事を外に対して返す事が出来ます。 宇宙中の支えあいの中に、人間が出来る事があります。 運命共同体として、生きる姿勢が人間にはあります。 そんな事を、まるで当たり前の様にして、周りに感謝し、周りと共に生き、周りの為に自分を投じたいとする生き方を、日本では当たり前の様にやるんですね。 そんな中で、アメリカ・西洋がやってきた事は、一体なんだったでしょうか?この体の範囲だけが、あなただ!と教え込み、まずはあなたがお金もちにならないといけないね、その為に働こうね、といって体を労働力として規定し、そんな労働力となる為に、自分と繋がらない情報・知識ばかりを学術によって教えられ、∞の可能性を体の範囲に閉じ込めました。 ∞の可能性と、命の尊厳に対して、体の範囲だけに閉じ込めて、周りと分離・断絶にさせて、お互いに相対比較させ競争させて、勝者と敗者に分けて更に競争させる。個人戦・個人主義を徹底化させて、その結果、個人は孤独・疎外・屈辱・悲惨・残酷を経験する様になります。 それがアメリカ・西洋の学術による人間教育の結果であり、日本はこれによって命の尊さや繋がりなどが随分と破壊されました。そんな中でも、まだまだ日本らしさ、サムライらしさが生きていたのが、3.11東日本大震災では確認されて、それが世界を驚愕させ、感動させているんですね。 そんな日本にとって、命の範囲も私の範囲も、この体だけではありません。その事の意味は、幸せの範囲や夢の範囲や理想の範囲も、この体には留まらない事を意味しています。 私の幸せも、私の夢も、私の未来も、この体に閉じ込めようとしたアメリカ・西洋に完全に屈した日本の国民性ではなく、自分の隣、その隣、その向こう・・・までが自分の幸せであり、夢であり、未来です。 ですから、悲惨な目に合っている状態を、そのままにしてはおけません。自分の事だからです。放っておく事によって、その多大勢の人が苦しんだり哀しんだりする事を良しと出来ません。自分の事ですから。 そして、それが世界にも広がり、世界中の人が苦しむ様な事を、そのまま放っておく事が出来ません。日本の心、サムライの心はそうですし、人間らしい人間の生き方はそうです。 母親が、わが子の為には命を投げ出すのと同じですね。 自分の命、若しくはそれ以上の存在です。 それが当たり前にあったのが日本の心でありサムライの心です。 真に、問題を解消し、問題を解決しようとするにはどうすれば良いのでしょうか?その事を深く洞察し、追及し、自分の生き方や身の投じ方を思案する中で、危険な仕事を理解しつつも選択する人もいるでしょう。 また昔であれば、個人一人ひとりの意志など赦されず、命令があれば行かねばならない時代もあったでしょう。 僕たちは、今の時代に、日本で生きています。 世界中での出来事と歴史上の出来事を踏まえますと、人間の尊厳が赦されなかった時代よりは今の日本はありがたい事に尊厳も赦され権利も有します。ですが、まだまだ尊厳は体の範囲に閉じ込められ、権利も既得権益の人から見たら一般人はほとんど自由選択意思が社会に反映されません。 だからこそ、この3.11をキッカケにして、真の人間の尊厳や生きる権利が何であるかを明らかにして、今までにない洗練された社会を創ろうとするのが、生きている人たちの使命であり、歴史上の多くの人たちが未来に生きる僕たちに託している事ではないでしょうか? もし、未来の人たちが、臭いものにはフタをしたり、観て見ぬフリをしたり、この体だけの為に生きる姿勢を強固に守ってそれを人権だとか尊厳だといいながら、今以上に経済格差が酷くなり、戦争・紛争が酷くなっていたら、僕たちは悲しいですよね? それと同じで、今の時代、僕たちが生きる姿勢は、もう二度とお兄さまとお母さまの様な悲劇を引き起こさせない社会を創る事であり、3.11の様な原発事故による悲劇を繰り返させない事ではないかと思います。 何も前線に行く人だけが死地に赴く事ではないのではないでしょうか?前線にこそいませんが、そんな未来の為に、旧い過去のイメージや既得権益に立ち向かう一人ひとりの姿勢、それから学術によって体だけがあなただ、という低レベルな人間の尊厳を与える横暴さに対して向かっていく事もまた、死地に赴く事であろうかと思います。 勿論、そんな中で体の範囲としても前線に赴いている方々には頭が下がります。感謝の念に耐えませんし、それを選択していない僕自身は、二度とこうした事が未来に起きない様に、身近な人から疎通・交流を始めています。 次元が違うかとは思いますが、それも死地です。 如何でございましょうか?

0123gokudo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 貴方の目指すところは私と同じで同感するのですが、 日本の心とかサムライの心というのがよく分かりません。 それから日本人を事の外美化されているのに違和感を持ちます。 例えば中国戦線で戦っていた日本の兵隊ですが、戦地から親兄弟を気遣う心優しい手紙を内地に送る同じ兵隊が中国人やアメリカ人という敵はバッサバッサと殺している、この矛盾をどう考えますか? 日本が侵略した東南アジア諸国では戦時中の日本人の経験から「日本人は残酷だ」と思っています。特にフィリピンはイスラム、スペイン、アメリカ、日本に侵略されましたが「日本人がとりわけ一番残酷だった」と言っております。 アメリカと西洋の個人主義にスポイルされたと書かれていますが、アメリカという国はトンデモナイ国だと思いますが、ヨーロッパ特に北欧諸国はかなり人間性が違うように感じています。デンマークは理想の国だと惚れ込んで永住している日本人のレポートも読みましたが、デンマーク人の心をもっと知りたいと最近思っています。 貴方の信じていることに逆らうようで申し訳ないのですが、色々な反証も含めて考えて行かれたら、 貴方の思想は磐石の素晴らしいものになると思います。

noname#132471
noname#132471
回答No.12

 まさにその通り道徳や倫理という側面ではそれが条理的しかしその反面放射能放出を止めないというのは犠牲になる人が出てくるので不条理になる。そういう意味で不可能パラドック。一番条理的で最善の方法を選んだのにも関わらず不条理が発生する。ここで問題なのは最善の方法を選ぶのか不条理が発生しない方法を選ぶかという事。犠牲を最小限に抑えるという意味では間違えていない選択であるけど正義という一面では間違えているということになると思います。結果正しい選択であり間違えた選択であるということになると思います。

noname#194996
noname#194996
回答No.10

>宅待機していた東電の下請け作業員が、会社から原発作業を命じられ、数時間後に家を後にする姿をテレビで見ました。奥さんも、本人も泣いていました そんなTVがあったんですね。私は余りTVを見ないのですが、TV側としては郭公のねたなのでしょう。見たくもない感傷的な人情ねただとおもいます。TVが何をいいたかったのか?何も言いたい実質はなかったはずです。ぐちゃぐちゃのねたですもん。 フクシマが脚光を浴びていますが、日常で危険な職業は世にたくさんあります。警察官などはその最たるものでしょう。毎日若い警察官が家族に涙の別れをしているとは思えませんが、多分フクシマよりも危険度はたかいのではないでしょうか。フクシマの作業員はとりあえず死ぬほどの危険はありませんし、東大の教授たちの間でも議論のある”危険性”のあいまいさからは外れません。 もちろん、彼らが献身的な社会性のある任務に進んで未を呈しておられることを否定するものではありませんが、あまり持ち上げすぎても真実から外れるように思います。マスコミがせねばならないことは、危険危険とあおるよりも、実際に彼らの職場がどんなかんりをされているのか、しっかり監視することです。 特攻隊と関連づけるなら、これらの作業は自衛隊員がするべきだという考え方もあります。自衛隊はそれこそ有事には警察官どころではない生命の危険に身を挺することを義務付けられた職業です。 3/11からの数日間、本当に日本が危うい時期がありました。しかし 自衛隊は上官ともどもその本来の任務を遂行する意志は薄かったようにも思えました。 確かに東電は第一責任者ですが、自衛隊だってそういう意味では率先して危険へ向かうべきではなかったでしょうか。 ひとは与えられた任務にしたがって、あるていどなら危険も避けられない責任が生じます。 日常どこまで上官がそれを強いることが出来るかは微妙ですが、 自衛隊が敵の攻撃に対して逃げるようでは自衛隊ではありません。 日本国の正義は、隊員にそれを要求するはずです。

0123gokudo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 消防隊員や警察官を引き合いに出されますが、ちょっと違うと思います。 原発作業員は上部からは「絶対安全」だと言われて信じて来たというのが実情です。 火事や犯罪は人間が住むところには必ず発生するものですが、原発事故は人災と言われている通り、 避けようと思えば避けることが出来たもので、人間の「不正」が働いて起こったものです。 同列に論じるには難があると思います。

0123gokudo
質問者

補足

「災害救助」は自衛隊の本来任務に入ってるんですね。 それなら、自衛隊がやるべきという貴方の意見に賛成です。

回答No.9

「身を賭して働く」っちゅうのが大げさやね。全員が「線量計を付けて、安全衛生管理のもと働く」っちゅうのが正しい記述や。 全国の都道府県警察の暴力団対策や、海上保安庁の海難救助隊、そして市町村の消防署に勤務するレスキュー部隊などを考えると、「身を賭して」働いておる方々は仰山おりまっせ。 海上自衛隊で潜水艦に乗って中国船のスクリュー音を聴き分けている水兵さんなど、息もつまる思いでっしゃろうな。

0123gokudo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >全員が「線量計を付けて、安全衛生管理のもと働く」っちゅうのが正しい記述や。 線量計をつけていたのは一部の人間だけでしたね。今は線量計は全員に行き渡ったのかな? 安全衛生管理は全く守られていないようですよ。読んでおられませんか? 毎日新聞の記者が、放射能とタバコの副流煙を比べて、放射能は大したことがないという論を展開していましたが、何か別のものを持って来て放射能は大したことがないという「目くらまし論法」は間違っています。防護服を着て今は作業員も「息がつまる」状況になっているかも知れませんが、たとえ息がつまらなくても、放射線は防護服も突き抜けて体内に入って来るのです。

回答No.8

 特攻の場合は、上の言い逃れが用意されていました。  どうだ、と訊いて、志願をしたので命じたと。  しかし志願の勧奨は決して断れないものでした。  原発に働く方が重なるのは、事情は確かに違ってもよく判ります。  本当の責任者はどういう人なのか、どこにいるのか。これからはそのことが大事ですね。  そして私たち一般もよく反省して、自分を裁く必要がありますね。

0123gokudo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >特攻の場合は、上の言い逃れが用意されていました。  どうだ、と訊いて、志願をしたので命じたと。  しかし志願の勧奨は決して断れないものでした。 なるほど、そういう上官のずるさがあったんですね。

  • hakobulu
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回答No.7

>正義を100%、働かそうと思えばそうなるのではありませんか? : 全くおっしゃるとおりです。 これは東電の責任であり、それ以上に国の責任です。 しかし、それ以上に、そのような国=政府を認めることによって、闇雲な電力消費の恩恵を享受してきた国民全体の責任でもあります。 そのような政府・政策に反対してきた人も多数いるでしょうが、結果として日本国は原発推進・依存という道を選択してきたわけです。 つまり、「万一のこと」を日本国中があまりに安易に考えすぎていた、というのが実態でしょう。 >私の体内にある正義は、他人にやらせるよりも、共に死んで行くほうを選びたいですね。どこか間違っているでしょうか? : 間違ってはいませんが、なにしろ彼も我も「死ななくてもよい解決方法」を何とかして探っていくしかありません。 国民全員が駆けつけることによって解決するならば、全員に召集が掛けられるべきです。 少なくとも、そういった本質をはらんだ問題であることを十分に私たちは認識する必要があります。 しかし、実際問題として、携われる人員数は限られてきます。 たとえば、国を守るため志願兵を募るようなのですから、十分な補償を施すことで乗り切るしかないでしょう。 はっきり言うと、命を金で買うしかない状態になっているわけです。 その補償に対して納得できなければ無論、国ごと滅べばいいのです。 最も肝要なのは、今後のことです。 非常時に対処できる部署を【あらかじめ準備しておく】ということが必要です。 なぜなら、人間の想定能力には限度があるからです。 現在は「絶対安全である」という建前(神話)を前提としているために、「非常時」は有り得ないと考えられている。 「非常時はあり得る。それだけ危険なものを我々は稼動させているのだ」 という自明の事実に、我々はあまりに目をつぶりすぎています。 つまり、「非常時」というものに対する想定が甘すぎる!わけです。 今回起きたような、あるいはそれ以上の状況を想定して、それに対する具体的対処を【あらかじめ】国民的な合意のもとに作成しておくことが望まれます。 震災復興税などというものを事故の後に作っているようではどうにもならん、ということです。 「事故が起きたら諸費税は自動的に即座に(たとえば)10%~15%にします。 それでなければ、復旧復興できないほどの威力を原発は持っています」 同時に、 「無作為に〇人を抽出して事故処理のための雑用に従事してもらいます」 などということを言明した上で、国民の合意を得ておけば良いのです。 これが無いまま、電力の恩恵を受けることだけしか考えていないということが欺瞞であり、現時点での国民の愚かさであるとも言えるでしょう。 >私の体内にある正義は、他人にやらせるよりも、共に死んで行くほうを選びたいですね。 : この決意は、むしろ、原発事故が起こる前、つまり、原発による電力の恩恵を受けている間に、我々全員が共有すべき覚悟ではないでしょうか。 「原発は専門かも言っていることだし安全だ。だから、こういった覚悟をする必要はない」 という、まさに欺瞞性に満ち溢れた国に我々国民自身が仕立て上げてきたわけでしょう。 そして、その覚悟ができないようなら、また、そのような覚悟はできない、というのが本来の人間としての姿勢であると私は思うのですが、原発は(一気にとは言いません、)徐々に減らしていくことが最善の道です。 そのためにも代替エネルギー開発へ向けて、今こそ全国民的合意に基づく推進が必要だろうと考えます。   

0123gokudo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 正論を述べておられます。国の方策を決めるのは政府と国会であり、それを決める人間は我々国民が選んだのだ。だから、我々国民にも責任がある。 正にそうなんですが、国民全部が賢ければその正論は通じるのですが、実際は日本政府や米国政府は、日本国民の考え方を変えるためにあらゆる努力をしています。ビキニ環礁で被爆して久保山さん以下の全員が被爆死した後、日本は反核・反米の嵐が吹き荒れたのですが、米国に後押しされた日本政府は僅か1年3ヶ月で原発協定を米国と結ぶまでになりました。普通の国民はいとも簡単に洗脳されてしまうのですね。 「国家による国民の洗脳」というのを余り信じられないのでしたら、チョムスキーの「メディアコントロール」などを読まれたらどうでしょう? >原発は徐々に減らしていくことが最善の道です。 完全に同意します。

noname#133160
noname#133160
回答No.6

マスコミで見るとある種のバイアスがかかって見えるのは仕方ないですよ。 実際に作業に当たっている当事者も言ってましたが、少しメディアで美談化されすぎてないかと。 まぁあなたの正義なんて、過去の経験から、所詮その時のメディアの報道次第で変化する程度の代物だと思い至りません?

0123gokudo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >まぁあなたの正義なんて、過去の経験から、所詮その時のメディアの報道次第で変化する程度の代物だと思い至りません? 自分がそれほど浅薄な人間だと言われたことは、ネット以外ではありません。ネットでは二言目にはそう言って来る人が多いですが。

  • kigurumi
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回答No.5
0123gokudo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私の友人の一人に貴方が紹介してくれたリンク先の主張をする人がいるのですが、ある面の真実はあるとは思うのですが、あれほど日本や日本人を正当化、美化するのはどうも鼻につきますね。 真実はもうちょっと中間にあるのではないでしょうか?

  • ga111
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回答No.4

以下、すべて国際機関が定める許容範囲で被曝が管理されるという前提です。 私は、東電の社長、会長、幹部が現場で仕事をしてくるべきだとおもいます。 下請けよりも本社社員がいくべきだと思います。 許容範囲で被曝が管理される、、、ということでしたら、生死にかかわる問題ではありませんので、話の雰囲気はまったく違ってくるかと思います。

0123gokudo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >許容範囲で被曝が管理される 許容範囲の被爆量を守ろうとすると作業が進まないようです。だから、相当許容範囲を超える部分があるようです。

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