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ヘブライ語?「わが神、なんぞ我を見捨てたまいし」

マタイ福音書27章24節では「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(Eli, Eli, Lama "Sabachthani"?)とありますが、 マタイ受難曲(BWV244)61曲目では、「エリ、エリ、ラマ、アサブタニ」(Eli, Eli, lama "asabthani"?)とあります。 何で違うのでしょう…。語源?、それとも、ひょっとして、バッハの聞き間違い?

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noname#134807
noname#134807
回答No.6

おはようございます。 手元にある新訳ギリシア語版では、 Ηλι Ηλι λεμα σαβαχθανι (アクセント記号無視) アルファベットの音価では Eli Eli lema sabachthani (長母音無視) ウルガタ聖書(ラテン語)では、 Heli Heli lema sabachthani ルター訳聖書(1545版ドイツ語)では、 Eli Eli lama asabthani となっています。アラム語かヘブライ語かの問題もありますが、 バッハはルター訳聖書を元にしてマタイ受難曲の聖書の部分を作曲したのだと思います。 なお、du の扱いですが、現在では打ち解けた間柄に使用されると学びますが、 バッハの他の曲も含め、Sie を使うことは稀です。 なぜそうなのかは不明ですが、神を近い存在と感じたい気持ちの表れなのかな、と個人的には思っています。

k98r1128
質問者

お礼

ありがとうございます。 ルター訳が元ネタだったわけですね。 ギリシャ語の“χ”の音を故意に落としたのか、ドイツ語の発音との関係で音訳しなかったのか、その辺りの経緯が詳らかでなく、疑問氷解とまではいえませんが、だいぶすっきりしました。 また、神に対する呼称も、手元のドイツ語辞書をよく読み返してみたら、参考として、動物、事物と並んで“神”に対しても使用とする書かれていました。勉強不足でした。お手を煩わせてすみません。

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  • kigurumi
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回答No.5

うーん asabthaniがアラム語だというのなら、しかもあの当時の公用語はアラム語だったからイエスは日常会話はアラム語を使っていたということだから、わざわざアラム語とされるasabthaniに置き換えてとしても、「はあ そうですか 」としかいいようがない。 日本語か英語だったら どうにかなるんですけど、、、アラム語はダイレクト(話し言葉)であって、文字言語じゃないですから たぶん。 「そんなことあるかー 東北弁だって大阪弁だって日本語で表せる」といわれたら、日本語表記にできるけど、本当の発音は日本語じゃ表せないですもんね。 東北弁なんて日本語に無い発音なんだもん、、、フランス語かとわたしゃ思った。 ヨブに関しては、、、あれは信仰を表している。 畏怖です。 「私に文句を言うお前は、この世ができたとき どこにいたのだ 言ってみぃ 答えられるものなら答えてみぃ」と作家はヨブに答えを出させたわけですよね。 はい この世ができたとき ヨブさんは いったいどこにいたでしょー。 いませんでしたよね。 それなのにこの世を創造したときからずっといた神に、短期間しかいなかったヨブが文句ゆーとります。 子供が生まれる前から存在しており、子供が生まれたらこうしようと計画をあれこれしていて、子供ができてその子がちょと知恵ついたら、親に文句を言ってきたとする。 生まれる前から計画していたことがあり、まだその時期じゃないからやらないでいるのに、子供はそんなことも知らずに、不平をたれる。 全部を知っているものに挑んできた。 ヨブはちょびっとしか生きておらず、この世のことがぜんぜんわかっていないのに、わかっているかのよにふるまい神の義が果たされていないと不満を言ったわけです。 驕り高ぶっていて神を畏怖していなかったので、不満が発生したわけです。 で、イエス物語の場合は 処刑になる運命と知ったとき「どうか この杯を私から取り除いてください」と冷や汗たらたらで神に懇願したわけですが、ヨブとは違い、「ごるぁ 俺がなにしたっていうんだ 殺されるような悪をやったとでもいうよなぁ ぼけがー」とは言わず、「神の御心のままに」って言ったわけです。 ヨブも最終的には「神の御心のままに、私はそれに従い受け入れます」ってなったので、不満は消えたわけです。 まっ そんなわけで、、、、 違うというか転化を考慮しなければならないのは、、、、 「聞け イスラエルよ 我らの神は唯一の神なり」 エジプト語tはヘブライ文字のdになり、eはoになる。 すると「聞けイスラエルよ、 我らの神は唯一アテンなり」に意味になるんです。 アテン教のアテン。。。。 エジプトでアテン教一派が追い出された結果、彼らはエジプトの植民地パレスチナに移り住み、アテン教を信仰しつづけたので、祈祷文を読むとき、「聞け 我らイスラエルの民よ 我らの神は唯一アテンなり」となっていたってわけです。 こっちの方が手痛い翻訳ミスだと思う。何千年も神違いして祈っていたわけですから ouch。 そんなのに比べたら、些細な違いであって、意味自体が違うわけじゃないので、、、 でも知りたいんですよねぇ 役立たずですいません。

k98r1128
質問者

お礼

いえいえ、いろいろと参考になりましたよ。 ありがとうございます。

  • kigurumi
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回答No.4

>もう一つ疑問なのは、音的に、ヘブライ語(アラム語でもよいけど)の”サ”、”バ”、”ク”の子音に対応可能なのは、 >”サ”、”ブ”の2つの部分だけでして、”ク”の音は、ドイツ語のアルファベートとは反映されていません うーーん うーーん うーーん 最初に見つけたサイトが http://plaza.rakuten.co.jp/kurumajiro/diary/201008040000/ だったんですね。 結局のところ 結論といえるものが無かったので、他のドイツ語説をリンクしたんです。 なんせ、ヘブル語もアラム語も私 わからないので。 イエスはどっちを話したのか、「エロイ エロイ ラマ サバクタニ」なのか「エル エル レマ サバクタニ」なのか。 その当時はアラム語が日常会話だったので、イエスはアラム語を話したはずだから、「エロイ エロイ」のはずだとなり、「じゃあ どうして 兵士はイエスがエリアを呼んでいると勘違いしたのか エリなら聞き間違いでエリアと思われたかもしれないが、エロイはエリアだと聞き間違うはずが無い」とか。 「どっちでもいいじゃん 作家がどうして兵士がイエスがエリアを呼んでいると思ったのかは作家に聞くしかないよ。兵士がエリアのことなど知るわけないじゃん」とか思ったりします。 第一その言葉は詩篇の句なわけで、神の前に立ったのでそういう言葉が出てきたわけで、信仰100%の状態を表すものだから、その状態になったと捕らえればいいのだと思うんですね。 えっとですね。。。 「神の義により迫害されたものは幸いである」 これ誤り。 「神の義を追い求めるものは幸いである」が本来の意味。 ヨブは子供を無くし、家畜を無くし、家を無くし、自らも重い皮膚病にかかり、友達は「よくわからないがお前に不義があったからこういう目にあったのだ」とヨブを突き放し、女房は「あんた こんな目にまであったんだから自殺したほうがいいんじゃない」といわれ、誰もヨブを支えようとせず、ヨブはほとんどを失い 信仰しか残っていない状態になってしまったわけです。 他人にも財産にもよりどころがなく、信仰しか残っていない つまり 神の御前に立つしか無くなってしまったわけです。 ヨブ激怒!「てめーこのやろー」とはいいませんでしたが、「私に何か悪いことがあったのなら 教えてください。どうしてこんな目に合わすのですが 私にはその理由がわかりません」とは「神よ どうして私を見捨てたのですか」と同じですよね。 ヨブは神の義を追い求めてやまなかった。 で、神の前にとうとう立ち、神が義を果たすことを求めた結果、ヨブは納得できる考えに至り、引き下がったわけです。 絶望からの言葉ではない。 信仰が100%になったから出た言葉が、「神よ どうして私を見捨てたのですか」 だから 発音じゃなくて その言葉がどうしてそこに登場するのかを考えた方が建設的だと思う。 あー ちなみに私無神論者ですので、布教するつもりはまったくありませんのでご安心を。

k98r1128
質問者

お礼

重ねて、ありがとうございます。 体調が思わしくないので、今日はおうちで酒を飲んで休んでおります(笑) 2番目にご回答いただいたbakanskyさんのところでもちょっと触れましたが、当時のイスラエルでの日常会話にアラム語が使われていたという定説に対して、ヘブライ語が使用されていた可能性を指摘する見解があります↓。 http://www.nunochu.com/bible/faq/z_hebrew.html この辺りはご専門の方にお任せすればよいでしょうが、筋が通った説明ではあると、私なりに感じるところもあります。 なお、先に頂いたご回答に対して申し上げた中でのドイツ語云々やゲルマン語云々の部分は、単純に、ラテン語の誤りですが、英訳版でも“sabactani”となっており(手元に、旧約のドイツ語版がないので確認できませんが、多分間違いなく、表記は英語版と同じだと思います)、これらの箇所が基本的にもとの言い回しをラテン語に「音訳」したものである以上は、いずれにせよ、何故、“sabach…”が、“asab…”に化けているのかについては、いまいちはっきりしませんね(-_-; ところで、布教活動に対しては、断固返り討ちにするというのがわたくしの基本姿勢ですので(笑)、ご心配には及びませんが、ご指摘の中で、ヨブの話と、ゴルゴダのイエスとは、何となく別のような気がするのですが… ヨブの場合は、痛い目に遭いながらも信仰を捨てなかったその態度が賞賛に値するという教えなのに対して、イエスの言葉は単純に「絶望」の表現という感じがします(ヨブは生きてたけど、イエスは結局死んじゃったし…)。その後の復活やら何やらで、いろいろと解釈が試みられているようですが、宗教学とは無縁の身としては、理解に苦しむ部分がないでもありません。 遠藤周作先生が、確か、「沈黙」(だったと思う…、いや、「死海のほとり」だったかな?…ちょっと怪しい)で、同じような疑問を呈されていたような気がします。 疑問の発端となったマタイ受難曲中でも、“Mein Gott, Warum hast du mich verlassen?”となっていて、“~haben Sie mich verlassen”とはなっていません。 これまた、何となく、“なんぞ我を見捨てたまいし”というより、“てめえ、俺を見捨てやがって(怒)”という感じがしないでもないのですが…ドイツ語だと、神のことを“du”で呼ぶのですか? 聖書は日英対訳でしか読んだことがなくて、他の言語でどのように書かれているのか、あまり気にしたことがありませんでした。これもあとで調べてみますw(^-^)

  • kigurumi
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回答No.3

>ただ、わたくしは、“lama”の回数をお尋ねしているわけではないので…(-_-) わたくしも 回数のことを示したつもりはなく、 『バッハは自筆譜に、まずヘブライ語をラテン語アルファーベトに置き換えられた、  Eli Eli lama lama asabthani ? と書き、』 の部分を示したつもりだったのです。 ラテン語から印ヨーロッパ語が派生したと思うので、そこらの流れなんじゃないかと思います。 ただ、「エロヤかエリか」とか「エロイ」かどうかとか問題になっていて ヘブル語とアラム語がうんたらとかあるのですが、何故そこだけ別言語????といつも不思議に思っています。 イエスじゃなくて ヨシアでいいじゃん、なんで旧約はヘブル語に近い発音のヨシアで、新約はギリシャ語に近いイエスという日本語訳にしているのよ。 エリコの住民を女子供残らず虐殺して皆殺しにしてすべてを奪ったヨシアと同名だから、同じように虐殺して奪って欲しいと人々はイエスに期待したってことなので、あのヨシアのように大量虐殺者であることを人々はイエスに願ったわけで。 というかエリってエルでもあり、エルってのは「私のご主人様」という意味で、神の名前をみだりに唱えてはならなかったバビロニア地方では、神のことをエル(我が主)と呼んでいたわけで、そのうちバアルとなったわけで、バアルってのは○○の子って意味だったと思うので、エルの子って意味で、、、、 神の子って意味で、、、、 まあ どうでもいいんですけどね。 バアルもイエスも同じなわけです。

k98r1128
質問者

お礼

おはようこざいます。 早速の追伸を頂きありがとうございます。 返信が遅くなって申し訳ございません(深酒をしていたもので…) で、ご指摘の趣旨は理解いたしました。 …が、もう一つ疑問なのは、音的に、ヘブライ語(アラム語でもよいけど)の”サ”、”バ”、”ク”の子音に対応可能なのは、 ”サ”、”ブ”の2つの部分だけでして、”ク”の音は、ドイツ語のアルファベートとは反映されていません(…と勝手に思っています)。 ヘブライ語では、母音ならともかく、”ク”(アルファベートでは”ch”)の音をゲルマン語系のアルファベートに落とした場合には、消えちゃうことがあるんだろうか…と、またへんな疑問を覚えました。 というわけで、もう少し調べてみます

  • bakansky
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回答No.2

私も 「サバクタニ」 の方はかすかに記憶がありました。 検索してみると、同じような疑問を抱いた方がおられたようで、その方によると 「サバクタニ」 はアラム語 (イエスの話していたであろう言語) で、「アサブタニ」 はへブル語とのことです。そして、後者は 「詩篇」 からの引用であるとも。 下記のサイトでみました。  → http://plaza.rakuten.co.jp/kurumajiro/diary/201008040000/

k98r1128
質問者

お礼

ありがとうございます。 ご紹介のページは、初見でした。 わたくしは、ヘブライ語もアラム語もよく分かりませんが、一方で、“Sabacthani”の方は、“Sabach”は、ヘブライ語、アラム語ともに共通の単語という指摘もあります↓。 http://www.nunochu.com/bible/faq/z_hebrew.html むしろ、詩篇22、マルコ福音書15がともに“エロイ、エロイ…”と表記しているのに、マタイのみが“エリ、エリ…”としていて、上述の指摘では、前者をアラム語、後者のヘブライ語としています。 いずれにしても、だんだん面白そうになってきたので、わたくしももう少し調べてみます。

  • kigurumi
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回答No.1
k98r1128
質問者

お礼

ありがとうございます。 ただ、わたくしは、“lama”の回数をお尋ねしているわけではないので…(-_-)

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