- 締切済み
鬼無里の村にまつわる遷都伝説、義仲伝説について。
鬼無里の村には、紅葉伝説、湖沼伝説の他に、遷都伝説、義仲伝説があるそうですが、いったいどのようなものなのでしょうか。 また、付近にある魔弓麻畑や柳麻畑についても御伺い出来ないでしょうか。
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
みんなの回答
- Caroms
- ベストアンサー率38% (46/120)
興味を持ったので、あちこちの情報をコピペで集めてみました。なかなか面白いですね。 (財団法人あしたの日本を創る協会「ふるさとづくり'93」より抜粋) 長野県鬼無里村は、多くの伝説に語られるように、その村名のおこりは大変古いとされています。一説によると天武天皇の遷都計画がこの地に棲息する鬼共に伝わり、鬼共は自分達の住家を無くす事を憂い、一夜にして山を築き妨害した。天武天皇はこれに怒り、命令によって鬼共を征伐してしまった。この地に鬼がいなくなり、「鬼無里」と言われるようになったという。 (以下『自然保護レンジャーの日記』より抜粋) 白髯神社(しらひげじんじゃ)は平屋木造の一間社流造りの神社 屋根は柿葺きで室町時代の建築と云われ重要文化財に指定されています。 天武天皇遷都の計画に基づき鬼門の守護神として白鳳時代に創立しました。鬼女紅葉退治に向かった平維茂や平家討伐に北進した木曽義仲の祈願所でもあったと伝えられていマス。 鬼無里根上り集落にある内裏屋敷址 内裏様と呼ばれ村民から敬慕されていた官女「紅葉」の屋敷址デス。村人から提供された屋敷は東西70間南北120間あったんだとか。 内裏屋敷址の山手にある月夜ノ陵 この陵は天武13年 都城造営のため地形検分の使者が訪れたが一行の皇族某がこの地に客死しその墳墓と伝えられている。ここは紅葉伝説と遷都伝説が混在している場所なんデス☆ 加茂神社 天武天皇が遷都の地検分のために派遣した三野王が加茂大明神の称を与えたと云われています。 都からの勅使の館を置いたのでこの辺りの地名を東京(ひがしきょう)というと説明書きにありました。 春日神社もそうですが流刑に処せられた都人「紅葉」が京を慕って名付けたんじゃないの? まあ どちらも伝説だから仕方ないか・・・・ 土倉文殊堂は奥裾花自然園に向かう途中の右手にあります。 日本三文殊の一つに数えられているんデス。本尊は弘法大師作と伝えられる 旭将軍木曽義仲の守護仏 大聖智慧文殊菩薩」 寿永2年(1183年)木曽義仲が北陸進出の際 道案内をした村人に自分の守護仏を預けたものの その後取りに戻ることはありませんでした。義仲公没後 村人は供養のため御堂を建立し「大聖智慧文殊菩薩」を安置したのだと云われています。 鬼無里神社社殿。付近には「魔弓麻畑」(まゆみあそう)という弓矢の材料に関わる地名があり、先の柳麻畑」とともに武器生産に関わるものである。紅葉伝説との関連があるそうだ。
お礼
鬼は、紅葉だけではなかったように想像されるところが、大変興味深く、且つ面白い解答でした。 詳しい解説を本当にありがとうございました。