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「一念発起」の意味
阿弥陀如来への信仰をもっただけ(信心発起)で、 念仏を一度唱えただけ(一念発起)で往生が決定する。 だからそれ以後の念仏は、往生を求めての念仏ではなく、往生決定にたいする報恩念仏である、という話しを伺ったのですが辞書に掲載されている意味のイメージが強く合点がゆきません。一念発起の意味を改めてお教えください。
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- kongara-doji
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阿弥陀仏にすべてお任せします!という絶対他力の決意をした瞬間のお念仏です。ですから一度,その境地でお念仏できればあとは,不退転です。何が起きようとも。 ★補足 他力本願・絶対他力というのは,誤解されている言葉です。本当はとても高い境地であります。他人任せで自助努力をしないぐうたら者の心根ではない。 すべて阿弥陀仏に委ねるわけです。例えば,今,この瞬間,無実の罪で命を落とすような状況あっても,すべて任せきって,仏様のはからいであると南無阿弥陀仏と称名しお念仏出来ますか?こういうのが真の他力本願・絶対他力です。なかなか,出来ません。 助けて下さい!という祈りではなく,ただ,ただ,一心に助かる,助からないを超越し,南無阿弥陀仏を唱えることが,他力本願の神髄です。 私には,とても及ぶところではありません。たとえ法然上人にだまされて地獄に落ちようとも,私は南無阿弥陀仏唱え,信じます。という親鸞上人の域に入れば,もう念仏・お題目・禅とかいう区別は無くなって,仏の境地に近づいていくのでしょう。
- void2000
- ベストアンサー率17% (41/229)
「意識的に」阿弥陀仏の教えに帰依しようと「決心した」その「瞬間」という意味です。 ただ「念仏」はその瞬間までには一度も登場しないのですね。報恩の念仏とは、念仏は救済とは無関係である、という意味です。
お礼
ありがとうございました。 明快なご説明でよくわかりました。
お礼
ありがとうございました。 わたしは宗教とは無縁ですが、尋常を遥かに超えた御説明、よくわかりました。