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お産婆さん・髪結いさん
- お産婆さんとは、かつては助産師として活躍していましたが、今では助産師としての役割を果たしています。また、昔の女性の高収入技術職としては、髪結いさんも挙げられます。
- 産婆の亭主や髪結いの亭主という言葉は、かつて一般的に使われていた慣用句であり、その根拠については実際に存在していた可能性があります。
- 高収入の家庭で展開が幸せではない理由は複数考えられます。例えば、忙しい仕事による時間的な制約や、お金による人間関係のゆがみなどが影響している可能性があります。
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父方の祖母は助産婦の資格をもっていましたが(お産婆さんです)、大変厳格な家に嫁ぎましたので、結婚してからは仕事を続けられませんでした。結婚後の女性が仕事に就くことに理解のない時代であったと思います。 母方の祖母は明治30年代の生まれで、和裁の免状を持っておりましたが、やはり格式の高い家に嫁ぎましたので、子供の世話、姑の世話が優先で、和裁を再び始めたのは姑もなくなり、子供達の手が離れてからでした。私が知っている祖母は皆に”おしょさん”と呼ばれて和裁学校の先生をしていましたが、良妻賢母を絵に描いたような、身持ちの硬い人でした。 さて、問題の髪結いの亭主ですが、祖母の妹が横浜の下町で髪結いさんをしておりました。お客さんは皆さん粋筋の方です。旦那は確か、お米関係(専売公社か?)に勤めていましたが、影が薄くていてもいなくても同じ。頻繁に遊びに行った私ですが、昼間の幽霊のようで何一つ覚えていません。出髪(お客様のところに髪を結いに行くこと)も頻繁でしたし、お休みのときに家にいることも、台所でお料理をすることもなかったように思います。いつも頂き物や、近所からの出前で食事を済ませていました。とにかく、付き合いが派手だったので、物堅い私の家と比べると、まるで別の世界にいるようでした。あそこのうちがいわゆる”髪結いの亭主”の典型だったと思います。幸せな家庭とは呼べなかったと思います。幸田文の”流れる”を読むと、その当時の有様が蘇ってきます。 というわけで、40年前まで、髪結いの亭主は存在しておりました。 2.としては、奥さんが仕事優先だからでしょうね。 社会的地位のある夫に連れ添った女性達は家庭優先で、自分達の技能を生かさずに、一家を支える妻でいることに満足していたようです。 逆に仕事を続けてゆけた女性は、結婚相手に十分な権力あるいは収入がなかったため、そういった社会的かつ家庭的制約の枠外にいて、十分自我を満足させられる状況が作り出せたのでしょう。フェミニストムーブメントとは少し違いますが、家庭内の力関係によるものだと思います。 夫の力量次第であった。。というのが結論でしょうか。 懐かしい人たちに関するご質問でしたので、つい回答してしまいました。
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- eroero1919
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1.そもそも慣用句として世間に広まる過程で「あすこは髪結いの亭主だからさァ」といえば世間で意味が通じたわけですから、そういう「イメージ」はあったと思います。しかしそういうイメージがあるから事実はどうかといえばまたそれは違う話なのではないでしょうか。 ここなどで丹念に探せば「ウチはそうじゃなかった」って人は大勢見つかるでしょう。100人に1人としても事実は事実としてあったから、と考えるか、それなら全体のたった1%じゃないかと考えるか、どちらも考えとしては成立しうると思います。 ただ、今は「美容師の夫」なんていっても通じないしそういうイメージもありませんよね。そもそも美容師さんが今はどちらかというと収入の低い部類の仕事ですからね。奥さんが美容師で一家を食わせていけるほど稼ぐのは大変でしょう。さしずめ今なら「女性タレントの夫」でしょうか。 2.それもまあ事実としてはどうかなというところはあると思います。前述したように、探せばその状況でも幸せだった人をいくらでも探すことはできるでしょうからね。 しかも幸不幸というのは非常に個人的な価値観です。貧乏でも幸せと感じる人もいれば、平均的日本人の生活レベルは世界レベルでいえば非常に豊かでしかも安定している(例え非正規雇用のフリーターでも、明日には仕事がなくなるかもというリスクは小さいものです)けれどもここを見ても分かるように「自分は不幸のズンドコだ」と嘆く人は非常に多いものです。戦乱の国から逃げてきた人なら「戦争もなく仕事もあって家族が平穏に暮らせるのだからそれだけで幸せ」と思うでしょう。 ただ、個人的人生経験からも社会的成功と家庭的幸福というのはやや反比例の傾向にあるのかなという気はします。愛すべきパパ、家族想いの夫のような人は人間的魅力はあっても、いやそのせいか狡猾に金を稼ぐ才能には恵まれていない人が多い「ような気」はします。また社会的に成功するためにはやはりなにがしかの犠牲は強いられるもので、多くの場合は家庭が犠牲になりがちかと思います。売れまくっている女性経済評論家なんか、離婚は2回だか3回だかしているし、お子さんとも折り合いが悪いらしいですからね。ご自身も母親としては失格だったと明言しています。
お礼
該博高邁なご識見からのご回答を有り難う御座います。 1.【そもそも慣用句として世間に広まる過程で「あすこは髪結いの亭主だからさァ」という通じた「イメージ」】 質問者⇒イメージの内容なるのかもしれませんが、『やっかみとある種の見くだし』でしょうか、確かにありましたね。 【イメージがあるから事実はどうか】 質問者⇒蓋然性の問題もあるでしょうし、何かと産婆の亭主だったなぁという一致性も意識される場合が多かったのかもしれませんね。 だかろこそ根拠性があるのかというのがこの質問でした。むろん今の「美容師の夫」も「女性タレントの夫」なんてことも私の思いの中にはありませんでした。 2.【幸不幸】 質問者⇒幸不幸ということではなく、欠落していることがあるような人生の歩みだなぁという感想からの質問でした。 【“社会的成功と家庭的幸福というのはやや反比例の傾向”・“愛すべきパパ、家族想いの夫のような人は人間的魅力はあっても”】 質問者⇒仰せのような人を画く事はできますが、事実としての存在性はもっと多様でありどの方もいろんな相矛盾する側面があるものですね。 【また社会的に成功するためには(補足:周囲の人は)やはりなにがしかの犠牲は強いられる】 質問者⇒質問での現象事項に近いものがありますが、ちょいとこの問題とはちがうようですね。 産婆の亭主とかいう場合には、そういう周囲の犠牲もさることながらそのご家庭での核存在や父系的なものに問題性を産出する何かがあったのかなぁというのが問題意識でした。 家庭構成員の意識と生活に問題があるような気がするんです。本当に日々身近につきあいましたので。 有り難うございました。
補足
すみませんみなさんに、お礼できませんので。 本当に無理をして敢えて選択させてください。
- takuranke
- ベストアンサー率31% (3923/12455)
1.「ひも」のことです、両方とも。 その両方は基本的に持家が多く、 客の切れない商売なので(髪結いは贔屓がいれば口コミで広まったし、産婆は腕が良ければ引っ張りだこ)、 男が仕事しなくても養えたからです。 2.全員がそうではありませんが、 子どもができれば、女が世話をしなければならないので、 仕事に割く時間を短縮しなければなりません、これで収入が激減します。 まともに働いてくれる男や育児の手伝いをしてくれるのならいいですが、 そうでなければ、収入より支出の方が多くなるのは当然のことで、 先々破綻するのは目に見えています。 落語の厩火事を聞いてください。
お礼
有り難う御座います。 お産婆さんっていう語は今は、死語ですね。 産婆の亭主って、まぁ紐かどうかわかりませんが、こういご家庭って、何かちょいと違うのだろうという思いからの質問でした。 私の知り合いは私たち中学生の上に長男の大学卒業間際のひとやその上に長女がいまして、家事も子育ても心配のないお家でしたが、どういうわけか私たちが大学に入る頃は崩壊し、みなさん、離散し、且つ、惨めなお生活になりました。 貧乏な我が家はみんなで頑張って、なんとか人並みの生活ではありますが。
補足
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%A9%E7%81%AB%E4%BA%8B ですね。ひもの家庭は確かに問題があり、家庭構成員の意識と生活にやはり問題が醸成されてきますね。 そういう意識と生活のことが私の問題関心だったのです。 男子系私立中学生同士、その上の大学生、その上の姉様。彼の妹。 豊かでいい生活であるが、どうしても、“様”にならない。 そしてそれから60年。みなさん離散し惨めなご生活で、いまはもうどなたも行方知れずです。 何かがあり、何かがない。ひものご家庭ですよね。
お礼
有り難う御座います。 身持ちの堅いとは、懐かしいご表現ですね。 私の知っている二軒のお産婆さんのお宅も、仰せのお宅のようにご由緒のある家ではないが決して自堕落ではありませんでした。 一軒の家は、同じ男子系私立中学生同士が友達でした。 上に長男の大学卒業間際のひとやその上に長女がいまして、家事も子育ても心配のないお家でしたが、どういうわけか私たちが大学に入る頃は崩壊し、みなさん、離散し、且つ、惨めなお生活になりました。 でも何がたりなかったのか、不思議な感じを受けましたが、そういえば産婆の亭主なんて慣用句があったなぁ。 と思い出しました。 そして気がついたのは、就職した大学の用務員さんも産婆の亭主でした。 ここでは家事やおさんどんはこの非制服ですがもと憲兵さんがやっていました。 まぁ、ほんとは、位、人臣を極めているべき経歴なのに用務員です。 思想からはしょうがないのでしょうが、体制側というか、管理者側の協力などに動いたりしてとても私たちとしては困ったものでした。 やはり終わりは孤独な亡くなり方でして。何かがあり、なにかが欠落していそうです。そんな思いなんです。
補足
Ciaopolpoのご親族のご家庭のように立派なお家、けじめがつけられるご当人もおられるでしょうね。 私の幼友達の二軒のお医者さん。一軒はその友人とその弟が医者になりました。まぁ大勢兄弟がいましたが。 もう一軒は子どもが医者、孫が医者と歯科医ですが、まぁおばぁさまも眼科医だそうですが、全く医院も開設せず、診療もしておりませんでした。 このお宅はやはり立派にしっかりと地域医療をお祖父様のころから、80年以上も継承されています。 おばぁさまはそのあたりをけじめつけていたのですね。 そういう言い方と見方が当を得ているかどうかは、確認しにくいですね。 ぁあ、最初の事例の友達のお家では、おかぁさまはとても忙しかった。何しろ自治体の議員を何期もやり、且つ、地域の団体の役員やらなにやで。 友達はどこか寂しかったようです。いま医師としては兄貴の方はそろそろ外科メスを神棚に預ける年齢でしょうが。 家って、何か基本のことがあるような気がするんですが。