- ベストアンサー
戦国時代に「揚げ」・「炒め」る料理はあったのか?
戦国時代の料理について調べていると、 「焼く」、「煮る・煮詰める」といった料理はよく見かけるのですが、 油を用いた、「揚げる」や、「炒める」といった調理法の料理をあまり見かけません。 天ぷらの走りの様なものはあったみたいなので、その発想が無かったというわけでも 無かったはずでが・・・、特に、この時代の「炒める」料理は見たことすらありません。 又、食用には何の油を使ってたんでしょうか?? 菜種、胡麻、綿花、ピーナッツなどの現在でもある油が使われてたんでしょうか? 知ってる方いらっしゃったら是非教えて下さい。 よろしくお願いします!!
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
時は奈良時代、仏教が盛んになり精進料理が流行しました。 しかし、精進料理だけでは油脂が足りない事から主に荏胡麻の利用が始まりました。 揚げる料理が普及するのは江戸期、当時は南蛮料理と呼ばれました。 炒めるのは明治期に入ってからとなります。 以下は年表 縄文時代末期:中国から胡麻が伝わり栽培 弥生時代後期:製油技術の輸入 211年:榛の実の油を灯火と食用油(搾油)として使用 荏胡麻の搾油が始まる 奈良時代 :胡麻は租税の代納が認められるほどの貴重品で高位の人の食用・灯火用。 食用油が市場に流通する。庶民は荏胡麻を使用 平安時代 :綿実の搾油が始まる 859年:長木(搾油器)で灯明油として荏胡麻油を献上 戦国時代 :胡麻、胡桃、麻実、椿実の搾油が始まる 江戸時代 :菜種油の搾油が始まる
その他の回答 (2)
- kusirosi
- ベストアンサー率32% (2838/8859)
南蛮人のフライを見た日本人は テンプラを開発、戦国から江戸時代初期には 徳川家康の死因は、 鯛のテンプラに食あたりしたからだと噂されるほどに 広まりました 今の天ぷらとは異なり、鯛を栢(かや)の実の油で揚げ、それをさらに煎り、 上にニラの摺ったものをかけたもので、から揚げ に近いものです。 京の豪商、茶屋四郎次郎が、京で流行してると家康に教えたそうで、 家康は早速に作らせてそれを食べ、おいしいので、食べ過ぎ、その日の夜に激しい腹痛をおこしたそうな。 もっとも 、死亡したのは三か月後なので、直接の死因とは思えませんが( ^^) _旦~~
- Caroms
- ベストアンサー率38% (46/120)
荏胡麻油ですね。売買システムは「座」の管理でしたから、厳密でした。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B1%B1%E5%B4%8E%E6%B2%B9%E5%BA%A7 油を使った料理のはなしではこんなサイトがあります。 『中世に入ると、油を用いた精進料理は社会の各層に普及し、それに伴って食用油の需要も増したと考えられるが、日本食の中心に躍り出ることはなかった。それでも、安土桃山時代には、天麩羅が登場し、豆腐類を油で揚げるなどの方法が生み出された。この時代南蛮料理という言葉が流通したが、それは油で揚げたものを意味していたのである。』 http://japanese.hix05.com/Folklore/Food/food06.oil.html