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中国の国名変更の意味
中国の国名は隋唐清…などいろいろ変わってますよね? 国の名前が変わるというのは、日本で言うとどういう時なのでしょうか? ヨーロッパでみると、ローマ帝国や神聖ローマ帝国など今はもう無い国が存在しました。ある時から、現在もある例えばイングランド、フランス、イタリアなどがでてきました。それぞれの中で王朝や王は変わっていますが、名前は変わっていませんよね?日本も、平氏、源氏、豊臣、徳川、明治政府と支配者が変わっても、日本と言う国は変わっていませんよね? 一方で中国はちょいちょい名前が変わっています。これはどういう意味なのでしょうか?これが一点目。もう少し抽象的に、国の名前が変わる、というのは一般的にどういう時なのでしょうか。 歴史初心者なので愚かな質問になっているかもしれませんが、宜しくお願いします。
お礼
回答ありがとうございます。 日本では、「中国」という国の王朝の変遷の歴史を、王朝が変わるたびに中国為政者の呼び名変更に従って理解してきた、ということですね。 >>おなじ歴史を西洋で学ぶと基本的にchinaでずっと話が進んでいきます。 これが本当であるなら、説得的です。ヨーロッパでも近い国々の歴史は、日本が中国を理解してきたように王朝レベルで理解してきた、というのならさらに納得できます。 ある国が存在し、その国の中の王朝の変遷として、その国の歴史を理解する理解の仕方と、ある国の存在を自明とせずに王朝が変わるたびに違う国ができたかのように理解する仕方の二つがある、ということを示唆されているのだと思います。日本にとっては中国は前者で、ヨーロッパ各国が後者というわけですね。 ではヨーロッパ各国にとって隣国はどちらだったのでしょうか。phj様の回答の中で、王朝を詳しく習う、ということはでてきましたが、国としての理解があったのかどうかについては触れられていませんでした。私は日本でヨーロッパ史を学びましたから、イングランドはイングランドがあって、その中で王朝がかわった、という理解の仕方をしてしまいます。ヨーロッパではこのような理解の仕方はせず、「隋が唐へ」という式の理解をしているのでしょうか?カペー朝からヴァロア朝に変わった時、隣国では「フランス国内の王朝が変わったのだな」、という理解ではなく、「隋が唐になった」という理解だったのでしょうか? ご存知でしたらぜひご教授ください。また、その際できる限りで良いのですが、ソースを提示いただけるとさらにありがたいと存じます。よろしくお願いします。