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中文雑誌から
中国雑誌(読書・2003・14)張燕鳴摘自(百姓)2003年第2期の文中の。 党中央的“再造山川秀明”的理想便是神話。他身在砂漠,眼里却不揉沙子。 の「眼里却不揉沙子」は(他眼里容不得沙子)と理解してよいか? (挙例子すれば:他是个正直的人,見不得坏人坏事)として。 ご教授ください。
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摘要文の前後はまったく不明なので、質問部分だけ についてのアドヴァイスです。 「眼里却不揉沙子」= 反而他覚得沙子不成土塊。・・・と意訳したほうが自然なのでは・・・ 『共産党本部が言うところの、不毛の砂漠土漠を豊かな土地に作り変えようという計画は、荒唐無稽にすぎない。彼は砂漠の現実に身を置き、この荒地を豊かな土くれに変えるなんて事はとても不可能だと感じた。』 「他眼里容不得沙子」=(この砂漠を許せない、我慢ならないと感じた)・・・と意訳すると上記のごとく砂漠を豊穣な土地に変えるの意が消えてしまいます。 「揉」は揉搓rou cuo=手で揉んだり、こね回したりすること。 「神話」は比喩的に荒唐無稽を表わします。 的外れだったら、道歉です。
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- chapanese
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回答No.1
こんにちは。 党中央的“再造山川秀明”的理想便是神話。他身在砂漠,眼里却不揉沙子。 これは共産党の砂漠緑地化の政策だと思うのですが、 彼(=作者?)はそんなこと(砂漠に失った緑をよみがえらそう、という理念)は神話の世界の話(綺麗事であって)、実際一面の砂漠にいると、砂に触れる気にもならない。(本当はこの砂に触れて植林活動等をしないといけないのだが、あまりにもの現実の厳しさに目をそむけたくなる) ということだと思います。chapaの考えでは。。
質問者
お礼
ありがとうございました。
お礼
適切な説明,意に適う意訳,有り難うございます。 参考にさせて戴きます。