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中観派の運動論
未だ運動を開始しないものに運動はなく 既に運動を終えたものにも運動はない 現に運動しつつあるものにとって「運動」は必要ではない もし、別に「運動」があるとしたならば 運動しつつあるものが無くとも「運動」は起きるであろう 現象における変化の自発的な能動性の否定のように解釈できるこの一節は 一元論的な「空」の能動性を逆に表しているようにも取れるのですがいかがでしょうか。
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noname#143207
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noname#143207
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- neil_2112
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- 雪中庵(@psytex)
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回答No.1
お礼
重ねてのお答えありがとうございます。 気分的にはまったく問題ありません。 こうした学究的な推測は客観的な批判に十分耐えうるものでしょう。 それでいいのだと思います。 私にとって一番の問題は、空の論議よりも、むしろ「空の能動性」を提起せざるを得なかった私自身の体験です。 自内証のヒントを掴みたかったという事でもあります。 皆様に問うこと自体が、私自身の体験が浅すぎる、という事になるのでしょう。 そういった感じもいたします。 貴重な客観的資料を提示していただき誠にありがとうございました。 ご参考とさせていただきます。