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自殺について
自殺とは、何ですか? 自分の生命を自ら絶つその行為の意味は、一体何なのでしょう? 自殺について、思うところがあれば何でも回答を下さい。 どのような立場の人でも構いません、あなたの考える「自殺」とは何か、 聞いてみたいのです。 ちなみに私は、学問としての哲学の素養が無い素人なので、専門的な用語などは 殆どわかりません。できれば私のような人間にも了解しうるやりかたで、回答を お願いします。
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お返事をいただき、ありがとうございました。衝撃とほんとうの悲しみが背景にあったのですね。(jmkeynseさんの優しさの理由が少しわかったような気がします。) 感性に頼るばかりの私の思考は参考にならないのでは、と思いますが、そして感想文のような、作文のようなものしか書けませんが、お礼を読んでの「私の思うところ」を書かせていただきます。「私の思うところ」、それから「様々なケースがあるでしょうが」と強調するのも、その実、他人のことは、他人の世界のことは、私にはわからないからです。(自分のこともわからなくて途方に暮れてしまうような人間ですし。) たとえば、よくわかっているつもりの恋人が自殺しても、その理由や状態を理解できる自信はありません。 でも、なにか通ずるものがすこしでもあれば…という期待の元に。 本当の意味での自殺志願者は、そういないのではと想像します。それは最初の回答の中に書いたように、人間は「生きようとする本能」を持った生き物だと思うからです。自殺を考えた私も、本当に志願しているのは“自殺”ではなく、“生きること”でしょうね。(突拍子もないことを書いてしまうと、“髪結いの亭主”という映画に出てくる女性のような自殺が理想だと感じてしまうところもありますが…。) >何をしていても、一定の虚無感が付きまとってくるのです。 >死ぬための確たる理由が、今の自分には無いように思えるからです。 「深さ」と「重さ」ではないかと思います。飽和状態を越えた、といった感じかもしれません。時間的なものや感受性、観念などが関係して、そのような状態を作り出します。“生への欲求”や“自己への執着”も絡みついているかもしれません。そして、自分や生きることや世の中との不調和を強く感じ、「それしかない」という感覚に陥ります。「それ」は、深くみつめると、突き詰めるとみえてきたものであり、孤独のなかで知ったものです。私がみた、暗闇のなかのたったひとつの光は、希望、安らぎ、証明、そんな感じのものでしょうか。 私は「確かたる理由」を感じたことがありません。たとえば「失恋した」というような理由で、死が近づいてきたことはありません。(起因する要素にはなるかもしれませんが。) いつも観念的で、ある意味漠然としています。そして、とても孤独です。私にとって「自殺」は、否定も肯定もない、生と死の狭間に見え隠れする孤独な現象といった感じでしょうか。(特に“否定”はありませんね。) たとえば両親が、たとえば会社の同僚が、たとえばある友人が、私がこんなことを考えている、感じている人間だと知ったら、至極驚くでしょう。あらゆる意味で「自己を隠すこと」、子供の頃から懸命にしてきたことです。表層的なものに縛られて。恐怖心に脅かされて。(歪んだ自分を作った直接的な原因の概要と考えています。) 矛盾した話かもしれませんが、「死にたい人は……」と思う一方で、自殺を考えている人をみると、胸が痛みます。死の恐怖心をも忘れるほどの状態、その裏にある苦悩を想像すると、たまらない気持ちになります。(“希望”のような強い光でなくとも、暗闇が薄明かりになるような、理想をいえば“ろうそく”のようなあたたかい光が灯れば、などと…。) そして自分を含め、人が非力であること、融合されない孤独があることを、再確認します。 「精神的に病んでいるケース」ということを書きましたが、確かに「病気」だとしても、なんの解決にも救いにもならないかもしれません。でも相手が頼りない精神科医であろうとも、訴えることは、吐き出すことは、重たくなったものをすこし軽くできる可能性があるかもしれないと。一時であっても、孤独の世界から、思い詰めた気持ちから離れられることは、重要だと思います。とは言え、「それしかない」と追い詰められた人間に、そのような余裕や発想を持つことは難しいと思いますが。 「自殺=悪いこと」「前向きでないこと=駄目なこと」などという考え方が主流であるかのようなこの社会で、病んでしまった人の心の解放は、救済は、あるのかないのか、わかりませんね。 この質問を初め見た時、正直答える気持ちにはなりませんでした。(jmkeynseさんが遊び心などで質問したとは感じませんでしたが。念のため。)どんな理由・動機で質問しても、それは自由だと思いますが、私は自殺に関して、孤独の域にあるものについて他人にあまり話したくないという気持ちがあります。理解されなくても構わないのですが、伝えられないのでは、なにも通じないのでは、と思ってしまうからです。でも、jmkeynseさんが書かれた他の方へのお礼を見て、答えてみたいという気持ちになりました。(そして結果、三度も書いていた訳ですが。) 自分自身、理解できていない部分も多く、曖昧な表現しかできない未熟さもありますが、こうして書かせてもらえたことに、感謝しています。(もっといろいろお話ししてみたい気持ちもありますが…。) 私にはわかりたいこと、触れたいものがまだあるようなので、とりあえず今は生きてみようかなと思っています。価値や意味はなくてもいいと、そう思っています。
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自殺。年間三万人の人が自殺するそうですね。 すごい数ですよねぇ。 私(♀)自身は、自殺について否定はしません。 今まで自殺しようか、と漠然と考えたことは何回も あります。その時の心理を今思い出すと、 「この世に自分が生きる場所はない、 この世に自分は必要ない、自分の嫌な面は治らない、 生きていて申し訳無い、この先いいことなんか無い」 ・・・という絶望感のみでしたね。行為に意味はない。 なぜそこで死ななかったんだろうか?と考えると、 やっぱり心のどこかで「またいいことあるさ」って 部分があったんでしょうね。死ぬの怖いし。お腹すいたし、家に帰ろう、ってとこでしたね。 私の知人で今まで二人自殺者がいます。 彼らに共通することは、「恨み」でしたね。 恨みながら死んでいきました。二人とも優しくて 正義感が強く、正直な人でした。それが故に、 自殺によってこの世の不条理と決別するしかなかった のかな。 この世には納得できないこと、いくら自分が正しくても どうにもならないことが山ほどありますよね。 彼らの場合の自殺の意味は、自分のプライドみたいな物 だったんじゃないかと私は思っています。 絶望感、厭世感、もうひとつは自分の最後のプライドを 守る為、というのが自殺の意味?かなぁ。
お礼
自殺された知人が、二人もおられるとは…。 言葉を失ってしまいます。 確かに、この世の中、正直者が馬鹿を見る、というような部分もありますね。 世の中と自分の信念との行き違いが、一人の人を執拗に苦しめることはあります よね。しかし信念は譲れない…。このような葛藤が、gokigenさんの知人を 追い込んだのかも知れませんね。無論、私はその方々を知らないので、何とも 適当な物言いになってしまいますが、立派な方たちだったのでしょう。そのような 方々の生き様を見て、プライドを守るため、という考えを持たれるのは、何とな くわかる気がします。 有難うございました。
- kierke
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こんにちわ。 こういうテーマって本筋見失う事多いのですが まず、生は自分のものと考えていいですか? また、他人に干渉を受けない。 「身寄りのない老人、山上の仙人、誰も面会に来ない死刑囚」このような人には残された者自体がいないか 悲しまないか。 「いいやっかいばらいができた」人は平気でいいます。人間を美化した上での質問か、個人として考えた場合の質問か定義していただけると有り難いです。
補足
こんにちは、kierkeさん。 >まず、生は自分のものと考えていいですか? はい。そう考えてくださったほうが良いかと思います。自分ではない何かに、 生の立脚地を還元してしまうと、質問をした私自身、ややこしくなりすぎて 本筋を見失いかねません。生とは何か、自分とは何か問うこと、確かにこの問題 を考えるうえで必要なことだと思います。kierkeさんのように"考える"こと を大切にする人にとって、そのことを放置したまま、「自殺」について論じる ことは我慢ならないかもしれませんが、それは今のkierkeさん自身の立場に 基づいて考えてもらって結構です。 >他人に干渉を受けない。 それもまた、kierkeさんの立場に還元して考えてもらってほしいです。できる なら、今のkierkeさん自身の、一般化されない考え方を聞いてみたいです。 ですから、この質問、kierkeさん自身の、個人の問題として考えてくださって 結構です。というか寧ろ、その方が私にはいいかな。一般化してくださっても、 私の頭の中で、それを処理しきる自信が無いですから。従って、人間を美化しても しなくても、kierkeさんの考え方に応じて、やり方を決めて下さって結構です。
- tappy
- ベストアンサー率22% (10/45)
僕が思うには、 自殺をする人の精神状態は多分普通じゃありません! すなわち、正常な状態ではおそらく自殺など怖くてできないでしょう! だから、「僕は絶対に自殺しない!」とは言い切れないです。 だっていまこう話している状態はまぁ正常ですので 追い詰められ精神に異常をきたした状態になれば 正常の状態の論法は通用しないと思います! 僕個人の意見では、まぁ死にたくなくても人間は死ぬんだから 自殺するこたぁないよなぁ・・と年下の子が自殺したとういう 記事を見たとき思いますねぇ・・! だけどそう思うことすら思い上がりかもしれません! これが僕の意見です。参考になれば幸いです!
お礼
ご回答有難うございます。 言うまでも無く、「自殺」というのは敏感な問題ですから、慎重な態度で 考えなければならなくなりますね。 自殺者の精神状態、これは正常ではない…。私もそう思います。ですから、 精神的に弱いだの強いだの、という論理は自殺者には当てはまらない。 人にはそれぞれ、何にだって苦悩する理由があるはずですから。あるいは最初 から私の質問が的外れだって言っても良いかもしれないですが。まぁ、それは そうとして、tappyさん自身の慎重な意見、有難うございます。
- Yuya_Tachibana
- ベストアンサー率40% (2/5)
自殺が何なのかを考えるには、まず「死ぬことがなんなのか」を考える必要があるかも知れません。 しかし、少なくとも生物は必ず死にます。とすると、自殺は「自らの意志によって死期を決定すること」だと言えます。 憲法的に言うなら人は「生きる権利と義務」がありますから、純粋に悪いことです。しかし、考え方にもよりますね。 次に、自殺の理由です。大きく分けて2つあります。それは「十分生きることに満足し、自分で生に幕を閉じたいから」と、「生きることに疲れ絶望し、生きていたくなくなったから」です。 個人的には、前者に対しては条件付きで奨励します。その条件とは「自分の死と、死の経緯と、その理由を知って悲しむ者がいないこと」です。人生に満足し、死ぬことに後悔もなく、みんなに自信を持って「俺はいい人生を送った」と言えるようなら、それ以上の人生はありません。逆に「お疲れさま」と笑顔で見送りたいくらいです。 しかし、後者は許せません。 僕は若輩者で、本当に辛いことや悲しいことを経験したことはありません。しかし、いくら悲しいからと言って、悲しみや絶望に囚われたまま死んでいって、喜んでくれる人がいるでしょうか?そして自分はそのたった一つの人生に満足なのでしょうか?そんな答えは分かり切っています。 そんな人はどう苦しもうと構いません。しかし、遺された者を苦しめることだけは許せません。許されません。たとえ自分の人生があまりに辛いものであっても、自分が理不尽に死んだとき悲しむ者がいるなら、せめてその人のためにも生きるべきです。頑張って生きても「不憫な人でした」と言われてもいい、「一生懸命生きて、後悔はしていないだろう」と思わせてあげなくてはなりません。そんな人たちのために、そんな自殺の仕方はしてはいけません。 そんなところですね。
補足
ご回答、有難うございます。 自殺が果たして良い事なのか、否か、ということに関しては、曖昧な書き方 なので、Yuya_Tachibanaさんも、判断しかねているのだな、と考えておきます。 次に、自殺の理由についてです。確かに、残された人々には、非常に大きな 悲しみが与えられるでしょう。その悲しみというのは尋常ではないはずです。 そのことを考えると、自殺という行為は、他人に迷惑をかけるという意味で、 歓迎される行為でないことは確かですね。しかし、そのことが全ての自殺者に 通じるならば、自殺など無かったはずです。自殺者だって、残された者のことを 少しは案じ得る。しかし、それを通り越しても、自らの命を絶ちたいと考える はずです。第一、どんなやり方、どんな経緯であろうとも、自殺という死の方法 からは、残された人々は一定以上の悲しみを得ずにはいられないはずです。残さ れた人々が納得できる自殺など、果たして存在するのでしょうか。
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お礼
こんにちは、kageriさん。こうして三度にわたって、答えにくいことをお答え頂いて、感謝に絶えません。本当に有難うございます。 >jmkeynseさんが書かれた他の方へのお礼を見て、答えてみたいという気持ちになりました 有難うございます。実は最近、高熱を患ってしまい(もう治りましたが)、もっと答えたいところ、もっと言葉を選ぶべきところがあったのですが、ついつい回答者の方々に対する甘えが出てしまって、足りないなぁ、と思う部分が結構あったのです。ですからkageriさんが良いように取ってくださって、正直、ほっとしています。私のお礼の仕方がもっと良ければ、対話が一層素晴らしいものになったかな、と思う次第です。 >感性に頼るばかりの私の思考は参考にならないのでは とんでもありません。何も、kageriさん自身のやり方を否定することは無いと思います。というのは、「感性」というのは「考察」に不可欠のものではないか、と思うからです(無論、私個人の他愛ない意見ですが)。更に言えば、質問にも書いたように、私自身、学問としての哲学の素養が無いに等しい人間ですので、難解な専門用語で語られても、私にはちんぷんかんぷんです。だから、思ったことを素直に書いてくださった方が、却って良かったのです。その意味では、ここに回答してくださったみんさんのやり方は、私にとって最良のものでした。感性の感じるまま、思考の行き届くところをそのまま書いてくださって、非常に良かったです。 >私にとって「自殺」は、否定も肯定もない、生と死の狭間に見え隠れする孤独な現象といった感じでしょうか >自殺を考えている人をみると、胸が痛みます この二つの文章、共感できますし、私の勝手な判断ですが、意味がつながるものだと思います(どっちもkageriさんが書いたものなんだから当たり前かな)。他人の力ではどうにも解決できない、"孤独"が自殺者の心理にはある。絶対的な孤独、とでも言うべきでしょうか。一旦、自分がその絶対的な孤独にさらされていることに気づいてしまうと、その孤独を自ら受け入れるしかない。しかし、その孤独はいろいろな形でその人にプレッシャーを与えていくのでは、と私は勝手に思っています。この世には楽しいはずのことはいくらでもある。それなのに、孤独な人たちは、それを楽しいとは感じられないでしょう。第三者が、楽しめ、と言ってもそれは無理です。甘いものを辛いと感じろと言ってるようなものです。そして抗えない流れに沿って、孤独を感じた人は追い込まれていく。このことは、第三者をして、胸を痛めさせるでしょう。kageriさんが、その"孤独"を感じ取る程に感性の豊かな方だからこそ、その両者の気持ちがわかり、「矛盾した話」が生まれてくるのではないでしょうか。私は、kageriさんは矛盾などしていないのでは、と思います。 >「自殺=悪いこと」「前向きでないこと=駄目なこと」などという考え方が主流であるかのようなこの社会で、病んでしまった人の心の解放は、救済は、あるのかないのか、わかりませんね。 同感です。何故、そのような方程式が安易に成り立ってしまうのか、わかるような気もしますが、わかりたくはありません。私事ですが、こんなことがありました。ある時、何人かの人と世間話をしていた時のことです。そのうちの一人がこんなことを口にしたのです。「実家のほうの同級生で、大学受験に失敗して、自殺した子が居るんだけど、馬鹿だよねー」と。それを聞いて、私もつい頭に血が上ってしまいました。その人とは初対面でしたし、私は初対面の人には極端に引っ込み思案になってしまうのですが―表情が怒りを十分表していたのでしょう、私が「本当に馬鹿だと思うのか」と聞くと、向こうは、えっ、という表情を浮かべながら「う…、うん」と答えました。私も冷静ではなくなっていたので、続けて「あなたはその人の気持ちがわかっているのか?たかが受験、というけれど、その人にとっては重いものだったんだろう。その人は、その重いものを背負うことで追い込まれ、苦しみ続け、最後に悲しい選択をしなければならなくなったんだろう。それなのに馬鹿だ、というのか?」と問い―もう殆ど問いではなかったですが―ました。それまでは非常に和気藹々と喋っていたのが、一気に静まり返って、その後も重いムードになったのは言うまでもないですよね(汗)。言い過ぎたかな、と今となっては思いますが、憤りを感じたのは事実です。実際、大方の人間がこのように考えていると思うと、すこし悲しくもなってしまいます。それでは苦しみから救われる人も、救われないのではないか、と思えてしまって…。 非常に長くなってしまいましたね。すいません。この板上ではどうしても会話の量が限られてしまうし、私ももっとお話をしたいですね。うん、ぜひとも! 最後、"価値や意味はなくてもいいと…"について私の考えを書かせてもらいます。この世の、そして自分の、そしてあらゆることの価値や意味は、自分が決めることなのかもしれません。絶対的な価値・意味の公準など存在しないのではないでしょうか。その意味で、kageriさんが、ご自身にとっての価値・意味を見出すことができれば、素晴らしいと思います。