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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:勇気を「与える」?)

スポーツ選手の「勇気を与える」という言葉遣いに違和感を覚える

このQ&Aのポイント
  • 東北・関東大震災での被害を考えると、スポーツ選手が口にする「勇気を与える」という言葉遣いに違和感を覚える。
  • クラシック演奏家として、コンサートの中止が続く現状で、「聴いて頂く」幸せを感じ、少しでも「喜んで頂ける」ことを願っている。
  • 一方で、勇気や感動を「与える」という考え方に疑問を感じる。

質問者が選んだベストアンサー

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  • hakobulu
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回答No.6

>「与える」という言葉そのものには、国語的な意味での上下関係はないそうですが、どうしても不遜なイメージや傲りを感じてしまいます。 : まともな感覚だと思います。 なんらかの優位性が無ければ与えるという行為はできませんから、この言葉に上下関係は必然的に備わっています。 この上下関係という点に着目すると構図が見えてきます。 つまり、同情する、心配する、という行為自体にも上下関係があることにお気づきになるはずです。 同情し、心配した段階で、すでに上下関係は確立されているわけです。 ただ、それを表面に出すか否か、という、想像力、あるいは節度の問題になってきます。 心配するのは尊い心理ですが、必然的に生じる上下関係は、極力目立たないようにするのが礼儀です。 なぜなら、心配するという行為は、必ずしも相手のためのみならず、カタルシス効果という点で、自身の益にもなっているからです。 相手にだけ益を与えているかのような表現は慎むのが適切です。 自立した一人間としての矜持を保持し続けている人は、「勇気を【与える】」と言われて喜ぶはずがないのです。 ただ、力の弱い子供などに対して鼓舞する意味で、あえて上下関係を明確に打ち出し、この表現を使うことがあっても良いかもしれません。 「子供たちに勇気を与える」であれば問題はないでしょう。 相手を選んで言う必要がある、ということでして、公共の電波に乗せるべき表現ではないと考えます。   

noname#133638
質問者

お礼

大変解りやすい御説明を有り難うございました。納得致しました。 やっぱり「謙虚さ」と「感謝」は忘れてはいけないと思います。

その他の回答 (5)

  • k_kota
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回答No.5

いや、勇気は与えるでいいはず。 ただ、スポーツ選手が言葉だけで勇気を与えられると思っているのが間違い。 実際何かしらの行動をして勇気を与えることは可能です。 出来もしないことを言ってるからおかしいのです。 例えばサッカー少年だけの集まりにプロのサッカー選手が来て頑張れとか言ったら、それは勇気を与えたことになります。 しかし、多くの興味の無い人に取っては、なんにもなりません。 もちろん、選手が与える姿勢でやってるとは思わないですが、 報道の思慮が不足してはいるのでしょう、言葉のプロなのに定型文の使い回しじゃなぁ。 ちなみに、被災地に必要なのは勇気じゃなくて、現実的な生活と希望です。 しかし、それは並大抵のことでは与えることもできません。 本題からずれてしまってますが、 ・この場合に与えると言うのは文脈的に偉そうと言うのは感じる。 ・与えることが出来ているとは思えない と言うのがまとめです。 まあ、日本人は、全体的な事は考えるよりも合わせるのが良いと思っているのです。 今回も、報道開始後は「みんなで東北かわいそうと思いましょう」とか「原発は危険だ、反対」というムードになっていて、ある意味その団結している空気を楽しんでいます。 まあ、団結はいいのですが、周りが話題にしなくなると同時に、忘れていくのだろうなと思ってます。

noname#133638
質問者

お礼

そうですね。クライストチャーチの被害など、既に忘れ去られていますよね…。 報道の仕方の問題は確かにあると思います。もっと意思のある、生の声を聞きたいですよね。 有り難うございました。

  • vvv_v
  • ベストアンサー率0% (0/1)
回答No.4

私もこの言葉にはとても違和感を感じています。 中には深く感じ取り「勇気を与えるというような状況ではない」 と言っている選手等もいますが、それに私も同感です。 現段階ではいくら良い試合、全力を尽くしたプレーなどをしたとしても 被災地の方々は満足にTVなども満足に無いであろう状況の中、 またTVがあったとしても、ゆっくりと観戦など出来ないであろう状況の中で その「勇気」というものは、ほとんど伝わる事はないと思います。 ただ同じ痛みを受けた被災地圏から甲子園に出場するの選手たち等のプレーは 勇気を湧き上がらせる事が出来るかとも思います。 個人的に「今」大切だと思うのはやはり具体的な支援であり、 自分達で出来る節電などの努力だと思っています。

noname#133638
質問者

お礼

本当にそうですよね。被災された方々にとっては、今日、明日、生きられるか、という切迫した状態なのですから、「具体的な支援」が不可欠ですよね。 有り難うございました。

  • cxe28284
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回答No.3

与えるは自分のものを目下の者にやる、授ける、あてがうなどの意味で 上下関係はあると思います。話し言葉になるとよけいその感じは強いです。 やはり失礼な言い方だと思います。 「勇気を出して欲しいと思います。元気になってくださったらうれしいです。」 謙虚な気持ちで言って欲しいですね。

noname#133638
質問者

お礼

そうですよね。「謙虚さ」や「感謝の気持ち」はとても大切なものだと思います。 有り難うございました。

noname#129768
noname#129768
回答No.2

きっと表現者は「頂く」で、アスリートなどの勝負師は「与える」になるのだと思うのですが、いかがでしょうか? 表現者は観客に見せる事、感じてもらう事が第一であるが、勝負師は相手に勝つ事が第一です。 勝負師(とくに、アマチュア)は見せる事よりも、相手に勝つ事がメインです。 演奏者でも、コンクールみたいに観客に聴かせる事よりも、審査員に対するアピールが大切な場合は「与える」になりませんか? 私は自分の為に闘う姿を見せられて感動させられているとは思わないのです。 自分で勝手に感動しているのです。 映画演劇演奏文学絵画などは感動させられていると思うのです。 上手い言い回しが出来ないのですが、勝負師は表現者とは観客に対する立ち位置が違うと言いたいのです。

noname#133638
質問者

お礼

御回答有り難うございます。 ナルホド!「表現者」と「勝負師」という見方があるのですね。 コンクールの場合、審査する側は「勝負」よりも、「ひとつの演奏としての全体的な評価」という観点から聴くので、演奏者、つまり「受検者」を、やっぱり「表現者」として見ていると思います。受検者自身は「勝負師」のつもりで演奏しているのかもしれませんが…。 いずれにしても、謙虚さや感謝は忘れないようにしたいと思います。 有り難うございました。

noname#177363
noname#177363
回答No.1

私も気になっていました。 この言い方は、ここ十数年で広まったように思います。もしかしたら阪神大震災あたりからかもしれません。 たぶん最初は勇気や感動をもらった側がそう言っていたのを聞いて、スポーツ選手やその他有名人が使うようになったのかな?と思います。 勇気や感動は与えようと思って与えるものではないと思います。一所懸命何かに取り組んでいる姿を見た人が、結果的に勇気や感動を感じ取り、「もらった気になる」ものだと思います。 なので、できれば「自分のプレーを見て、勇気(感動)を感じ取っていただけたら幸いです」くらいの言い方にとどめてほしいものだと、いつも思っています。

noname#133638
質問者

お礼

そうですね。確かに阪神大震災の時にもこの表現をよく聞きました。やっぱり謙虚さ、感謝を失ってはいけないと思います。 有り難うございました。