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震災後の心の持って行きどころ
- 震災から五ヶ月経った現在、非被災者の私は平穏な日々を取り戻しています。
- しかし、被災者に対して何もしていない自分に罪悪感を感じつつも、犠牲を払って他人に尽くすことができない自分にジレンマを感じています。
- どのように考えれば良いのか、どのように行動すれば良いのか分からず、アドバイスを求めています。
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質問者が選んだベストアンサー
優しい心根のかたですね。 誰でも他人の人生と入れ替わることはできないのです。 貴方は貴方の生活と人生を大切に生きればいいだけです。 平穏に暮らせることをありがたく思い、 少し余裕があれば小さな親切でも募金でもすればいい。 罪悪感も同情心も正義感もひとまず横に置いて 「雨ニモマケズ」の詩を読んでください。
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- ekopon
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No.2です。 とても丁重なお礼をいただいたので、またちょっと書かせていただきます。 「優しい」という意味はさまざまでしょうが、 私は、字の通り「人を憂える」という解釈で使ったのです。 性格や態度が「やさしい」のとはちょっと違います。 他人も自分をも憂える心は、まさに人間であることの証だと思います。 「憂える」というのは、単に愚痴ったり不満を持つのではなく、哀しみを共有することです。 booterさんの質問文には、そういう根源的なところを感じたので、 優しい「人」ではなく、「心根」という言葉にしました。 人一人できることは、たかが知れています。 私は「あしなが育英会」に引き落とし募金してるくらいでお茶を濁してます。 若い方は、運動して余暇も楽しんで元気に働いて、 しっかり税金を収めていただければありがたいです。
お礼
回答ありがとうございます。 うまく自分の心情を書けませんが、取り急ぎ御礼まで。
補足
回答いただきありがとうございました。 お二方に御礼申し上げます。 今は淡々と自分の為にお金を使っています。 散髪に行ったり、書籍を買ったり・・・。 自分ができる事は少ないのがはがゆいです。 余談ですが、「ファウスト」という物語の中で、主人公が物語の終盤に、大勢の人夫を使って事業を遂げたという記述があったのを思い出しましたが、大震災後の復興と放射能汚染の除去は必ずスケーラビリティな話しに帰結し、そこから解決するものだと思われてなりません。 また科学ジャーナリストのマット・リドレーは、現在の知識の組み合わせが膨大な数にのぼる事を示し、これによる現在の社会問題への解決策をそこの情報の海より探し出す事ができる可能性があると示しています。 人というものは機関車のようなもので、一旦走らせれば圧倒的な力で走りぬくが、それまでが長い。線路を引き、機関車を走らせるまでが無関心で、ツバさえも吐かれたりする。 私自身は私自身の気持ちとこれからやる事を信じたい。
- SugarFreeSperm
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>徐々に平穏な日々を取り戻しており これこそが我々(非被災者達)に出来る最善です。震災前の生活、社会、経済を取り戻すべく、我々に出来る最善は、貴方が言った通り「日々を取り戻す」事です。震災前の様に生活をし、仕事をし、遊び、飲み、食い、笑い、泣き、物を買い、物を売り、消費する。 我々一人一人が震災前の日々を取り戻すべく生きる事が、これからの日本の為であり、今回の震災で亡くなった人々の為でもあると私は思います。無私で理不尽な自然に対する憤り・悲しみを糧に、ただ生きれば良いのです。
お礼
回答を頂き、ありがとうございます。 世間的には、私の持っているこういう考え方が怒られるのかと思っていましたので、QAには書き込む事を躊躇しながら書きましたが、優しい回答を頂いて少し安心しました。 ただ、自分自身だけが安穏とした生活を送れて、それに安心しきるのは動物と一緒なのではないかと思うのです。 汚い言葉を使ってしまえば、それは豚以下なんじゃないかと。 そしてそれが私なのではないかと。 巨視的に見れば、社会の不幸に対して人間個人ができる事は限られます。 理屈では分かっていても何もできない事に苛立つ自分と、またお金はほどほどにあるのにそれで募金せずに自分の好きな事に使ってしまう罪悪感があります。 今日も食欲が抑えきれず、近くのスーパーで398円の1/8カットすいかを買ってしまいました・・・。
お礼
回答頂きありがとうございます。 個人ができる事をすれば良いのでしょうか。 ただよく分かりません。他人を助けられないこのヤキモキ感はどうすれば良いのか・・・。 また、頂いた回答に直接関係無いのですが、少し思った事があったので書き添えておきます。 具体的に書く訳にもいかないので、分かりづらい部分もあるかと思うのですが少し心情を吐かせて下さい。今、書いた文章を見返してまとまりが無いとは思ったのですが、これ以上上手くまとめる事ができなさそうです。申し訳ないのですがご容赦下さい。 >優しい心根のかたですね。 いいえ、そんな事はありません。今までの人生を振り返るに沢山の人に相当の迷惑をかけてきてしまいました。これは社交辞令的な極度の謙遜で言っているのではなく、本当の事なのです。 私は本質的に優しい人間ではないのです。 私はなぜこのような人に迷惑をかける性分に生まれ育ってしまったのだろうと思います(それと同時に、他の家の人はなぜ幸せに生まれ育てるのだろうとうらやんだり、ねたんだりしています)。 社会全般から見れば私の家は比較的貧乏でしたが家族は懸命に生きてきましたし、私自身幸せも与えられてきたように思います。私の頭が悪かったせいか、私は貧乏による不幸も感じた事がありませんでした。社会に出て、あれは貧乏による不幸だったのだと気付くくらいです。 ただ、今から考えればそうした育った環境も良くなかったように思うのですが、自分の性分が人に迷惑をかけ通したように思います。 自分の言葉が人を傷つけているのも分からなかったり、良かれと思って懸命にやった事が裏目に出てしまったり、あるいは別の人に迷惑をかけ・・・。 文面だけ追えば、自虐的すぎると思われるでしょうが、私にはそれだけ何かをやってきた実績があります。 どんな人間でも叩けば埃が出るとは言いますが、私には埃しかつまっていないような後ろめたさがあります。 抽象的表現ばかりで申し訳ないのですが、簡単に言えば優しさの対極に位置していたような人間であったので、これまでの事を考えれば、優しいと言われて「いや~ありがとうございます」とは軽く言えません。 ですので、これらをもって私は優しい人間であるという事を否定したいのです。 私自身はもともと優しい人間などではありません。 ただ、それではその過去の清算の為に人に優しくしているのか、帳尻を会わせようとしているのかと言われれば、これも違うと思っています。 人を助けたいという気持ちは、打算や妥協の産物ではなく、どのような人間にも純粋に湧き上がるものなのではないかと思うのです。 これをもってして優しいと仰られるかもしれませんが、私自身は私自身の事を到底優しい人間などとは思う事ができません。