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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:開戦の詔書の「豈朕ガ志ナラムヤ」の文言は隠蔽されて)

開戦の詔書の「豈朕ガ志ナラムヤ」の文言は隠蔽されていたのでしょうか?

このQ&Aのポイント
  • 開戦の詔書の「豈朕ガ志ナラムヤ」の文言は、日本政府によって隠蔽されていた可能性があります。
  • もし国民がこの文言を知っていた場合、戦意が低下する可能性があったため、政府が情報を秘密にしていたと考えられます。
  • しかし、正確な隠蔽の有無は分かっていません。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.1

昭和16年12月9日朝日新聞夕刊(第20008号)の1面トップに、開戦詔書の全文が掲載され、昭和天皇の遺憾の意を示す「洵に已むを得ざるものあり豈朕が志ならむや」も削られることなく出ております。 日露開戦の詔勅においても、明治天皇がやはり「豈朕が…」との文言があり、太平洋開戦の詔勅は、これに倣っての遺憾の意の表現をしたと推測されます。 詔(みことのり)は、天子の意を広く臣民に知らしめることを目的としており、その文言の一部または全部が臣下の一存で改ざんあるいは隠蔽されようものなら、不敬罪として処断されるのではないでしょうか。

peed10
質問者

お礼

隠蔽されていなかったんですね。 しかし、それならどうして開戦の詔書に記された天皇の戦争での解決を望まないと言う意思を無視して戦争での解決を試みておきながら、玉音放送による天皇の意思を汲んで戦争を終結したのかという疑問は残りますね。

その他の回答 (1)

  • isa-98
  • ベストアンサー率23% (205/859)
回答No.2

社交辞令と言う言葉は覚えておくと良いかもしれません。 素晴らしい言葉使い、いつも敬服しております。 とは記載しておりますが、 社会通念上での挨拶であり、実際には敬意など持っていないと言う事です。 止むを得なかった。 止められなかった。 これは、開戦~終戦までを総括出来る言葉です。

peed10
質問者

お礼

開戦の詔書も玉音放送も社交辞令なんですか? それなら玉音放送があっても戦争を終結するとは思えませんが。

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