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感情的な文章表現を改める方法とは?
- 感情的で高飛車な文章表現を改める方法について相談です。ツイッターやブログで意見を書く際に、感情的になりがちで自分の主張が一般論に取られてしまいます。改善するためにはどうすれば良いでしょうか?
- ツイッターやブログで感情的な文章を避けるための方法を教えてください。具体的には、「~べき」「~はず」といった強い言葉を控え、「~かもしれない」といった婉曲表現を使うことを心がけていますが、他に何か工夫すべき点はありますか?
- 自分の主張が感情的で高飛車な文章にならないようにするためのアドバイスをください。ツイッターやブログで意見を書く時、感情的になってしまうことがあり、自分の主張が一般論だと取られてしまいます。改善するためにはどうすれば良いでしょうか?
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質問者が選んだベストアンサー
感情的ではない表現をしようと思ったら、逆説的ですが、客観的な言い方をしない方がいいです。 あくまで主観であることが伝わる言いまわしを心がけるといいだろうと思います。 既に他の方も御指摘になっていますが、「的を射ている」という言い方をすると、客観的に見て、その意見が突出しているという意味になります。それは質問者さんも気づいていらっしゃるように、他の意見は客観的に正しくない、という意味になってしまいます。 だから、ここを主観的な表現に変えるわけです。 「的を射ている」と感じるのは自分ですから、「ピンときた」とか「胸にすとんと落ちた」とかですね。 ピンと来るのも、胸に落ちるのも、主語は「私」です。 「私」主語の表現で、客観的なことを言うようにする、ということですね。 「一般論だと言っているように取られる」という誤解もそうした表現から来ているのではないでしょうか? また、文頭に「私見」と明記しているとのことですが、「私見だが」「私見ですが」と否定形にして、後につなげると、単なる卑下の意味に取られやすくなります。私見だけど言う価値のある発言だ、というふうに錯覚されやすいんですね。 その上、ツイッターやブログでの発言が私見なのは当然なのに、あえて私見というのは、私見と呼んでおかないと誤解されるかもしれない、という発言者の自信が透けてみえる、と解釈されることも往々にしてあります(笑)面倒くさいですね日本語は(笑) 社会問題についてブログで言及する時は、あえて反対意見に対する理解も示しておくといいだろうと思います。 そして、できるだけ身近な具体例をあげておくと、一般論ではなく、私見であることが伝わりやすくなると思います。 自分がそういうことに遭遇したから、そう考えるようになった、という流れができるので、自分に引き寄せて考えた意見だというニュアンスが伝わるわけです。 ツイッターにしてもブログにしても、書き言葉ではなく、話し言葉で書くことをお勧めします。 一般の人が触れる社会問題についての書き言葉は、新聞や識者のコメントである場合が多いですから、その文体を見ただけで、既に見識ばって見えてしまいます。そこを変えるだけでも印象はずいぶん変わってくるはずです。 話し言葉でいちいち「私見」とは言わないですよね。「ちょっと思ったんだけど」と言い換えるだけでずいぶん雰囲気は柔らかくなると思います。 質問者さんの判断基準がねじれているとしたら、その点なのではないでしょうか? 真面目なテーマだから書き言葉できちんと書かないと、と思うから、推敲すればするほど、堅苦しくなっていって、威圧的になっているのかもしれません。一週間ほどたってから、高飛車だなと気づくというのは、質問者さんも書き言葉に威圧感を感じているからでしょう。書いてすぐだと、きちんと書くべきだ、という気持ちが残っているから、堅苦しさに気づかないのだと思います。 それがねじれの原因だったら、話し言葉にするだけでねじれは解消できるかもしれません。
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- codex_regius
- ベストアンサー率52% (55/104)
No.6,7です。 説明が下手で申し訳ありません。 「私の意見」が主語になるのはOKだと思います。「あなたの意見」が主語だと客観的すぎて、正しいと主張しているように見えると言うことです。 …私主語というから誤解を招くのでしょうかね;;私目線、と言った方が伝わるでしょうか? 「あなたの意見は的を射ています。」 だと客観的な文章なのに上から目線に見える。なので、 「その意見はなんだかわかるような気がします。」 と私目線で意見を言えば、同じ意味だけど、やわらかい印象になるかな、と思ったのです;; この説明もピンとこなかったらごめんなさい;; 二回もお礼いただいたので、これについてはもう気にしないでくださいね;;スルーでお願いします<(_ _)>
お礼
いえ、こちらこそ上手く解釈ができなくて申し訳ないです。 「私目線」ですか。成る程… その「私目線」が、すでに無意識に相手を見下していたりするかもしれないのですが。 (現に「的を射ている」は指摘されて考え直すまで、この場合でも普通に使えると思ってしまっていましたし…。) 「他の意見」は尊重してないの?キャスターとか評論家ぶってない?ということを、再度自分に問いかけてから打ってみるのも手かもしれませんね。 変にこまっしゃくれた言葉を使わず、素直な言葉で、画面の向こうに人がいることを意識することが大切だと思いました。それが自分には一番欠けていると思えるので… それを意識すれば、他の人の意見のことも考えることができそうです。 度々、本当にありがとうございます。
- codex_regius
- ベストアンサー率52% (55/104)
No.6です。 お礼有難うございます。 一点、誤解を招いているようなので、補足させてください。 「私」主語の欠落は問題ないんです。 「私」が主語となる文章に置き換えるといいんじゃないかということです。 「的を射ている」にすると、「あなたの意見」が主語になってしまいます。 「あなたの意見」が「私」によって的を射ていると評価された(他の意見は評価されなかった)という意味になります。 そうなると「私」がどうしても偉そうに見えてしまうということです。 わかりにくい書き方をしてしまい、申し訳ありません。 思慮深く、自己観察もできていらっしゃる質問者さんですから、きっと改善できると思います。 頑張ってくださいね。
お礼
再度ありがとうございます。 ご意見を勘違いしていたようで、申し訳ありません。 「私の意見」を主語にするのではなく、「私」によってどう 感 じ ら れ た か、を意識すれば良いのでしょうか…? 他の方の文章も見ながら、ゆっくり考えながら文章を打とうと思います。
- 3nk
- ベストアンサー率28% (619/2184)
文章表現以前に、No.4回答へのお礼文 「これまでいただいたご回答の中では、一番的を射ているように感じられました。」 というのが気になりました。 なんとなく高飛車だなと感じるとしたら、そういうところに表れているような気がします。
お礼
ご指摘ありがとうございます。 確かに、よく考えてもう一度見直してみると、他の方の回答が「意に染まぬ」ように見えてしまいますね。 ご不快になった方がいらっしゃいましたら、申し訳ありません。 一番ピンときた、というか、心当たりがより感じられた、という意味合いで表現したつもりでした。 このように、ご指摘をいただいてから、それが問題のある文章であるという前提で見直すと違和感を覚える、ということが多々あります。 常識が足りないのかもしれません。 毎日、家族や知人友人などに下書きを見てもらうという習慣をつけた方が良さそうでしょうか。
- ruehas
- ベストアンサー率68% (816/1194)
こんにちは。 何となく高飛車になってしまうのは、文章の目的が読み手の理解を得ることではなく、書き手が自分の主張を通すことに傾いてしまうからと思われます。このような場合、最も目立つのは何かを述べる前文に必ず明確な理由を付けようとすることです。 「何々だから、何々である」 「何々であるが、何々である」 読み手に対する説明よりも書き手の理由が優先です。恐らく、質問者さんの文章はこの繰り返しになっていると思います。 このような文章は女性に多いです。昔、文活仲間の女性にもいました。私の文章とは逆さまですが、どうでしょうか。読み手に必要なのは、説明に対する飽くまで補足理由だと思います。 鬱陶しく感じられるのは、これが説明ではなく、読み手を納得させるために使われているからです。一歩引いた表現を使ってみたり、自分の私見などと断るのも恐らく心理的にそのためです。質問者さんは自分の主張を正当化しようとする余り付け入る隙のない文章で読み手を捲くし立ててしまうのです。それが私見であるならば「そう思う」「そう考える」で十分伝わります。自分の意見や考えに確信が持てるならば、そこまでガードを固める必要はないはずです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 これまでいただいたご回答の中では、一番的を射ているように感じられました。 要は、理由の部分が多すぎて、くどい印象を覚えさせてしまうということですね。 それが私見と一般論とをごっちゃにさせているのかもしれません。 女性すべてがそうとは思いませんが、確かに私も20代女性なので、頷いてしまう部分がありました。 一歩ひいてみても、自分の主張を立たせたいという思いが逆に目立ってしまっているのかもしれません。 なるべく少ない言葉で、簡潔に意見を言えるようにも心掛けたいと思います。
- karakirilo
- ベストアンサー率45% (23/51)
自分の意見であると言う事を強く表現したいなら、「~だと思う」「~だと考える」「~のように感じる」とくくれば良い。 断定系で、はっきりとした表現を避けたいなら、「です」「ます」調で整える。 また、語尾に「ね」「よ」などをつけない、自分の意見に引き込むような表現を使わない。 (「ですよ」「ですね」前者は導く形になり、後者は相手に確認する形になる) わざわざ全部を婉曲表現にする必要はないかな。 意見がぶれてしまうので。 まあ自分の意見を表現する場所なので、ある程度は自由に書いていいと思いますよ。 高飛車な表現が気になるんなら、謙虚な気持ちで書けばいいのでは。 「~だと自分は思うんですが、皆さんはどうでしょう」など。
お礼
ご回答ありがとうございます。 「~だと思う」 「です」「ます」 は、ご指摘されたとおりに使っていたのですが。 語尾の「ね」「よ」が、自分の意見に引き込むような表現になることには気づいていませんでしたので、たいへん勉強になりました。 婉曲表現も、意見のぶれに繋がってしまうのですね。 別の方も仰っていましたが、誰に向けて、どういった立場から発言したいということが明確になっていないことが問題であるように思えてきました。 見ている人がいることを考えて、謙虚であることを心掛けたいと思います。
- kyo-mogu
- ベストアンサー率22% (3398/15358)
易しい文章にするには、誰に対してのものか考えて見ましょう。 同じ年齢だとため口になります。年齢が上だと丁寧な言い方に成りますね。小さい子どもだとかみ砕いた言い回しなどになっていきます。 自分の言葉が誰に向けているのでしょうか? ネットなどでは相手が分かりません。どうしても自分というものが基準になってしまいがちです。でも、その先に人が居ると常に頭に入れておくことです。そこに人が居ると思いながら書く事で強い言い回しなどすれば、当然嫌な顔をされているなと分かりますよね。 それと現実問題として人と話していますか?主にネットでしょうか?人と話す機会が少ないと、先ほど述べたような想像が出来ない恐れがあります。子供達のふれあいなどのボランティアなどされてみても良いかな。優しい言葉、わかりやすい言葉など使うようにしていきますし、以外と自分が無知なのも思い知らされますよ。 文法の問題でもないですよ。はず!で言っても良いんですよ。それが適切なときも有りますから。
お礼
ご回答ありがとうございます。 確かに、誰に向けて…といったことは意識していませんでした。 むしろ、相手を不特定多数にすることで、言いたい放題言ってしまっていた傾向があったように思います。今後は、画面の向こうに人がいることを意識していきたいです。 人と話…交友関係が狭く深くなので、どうしても限られた間柄になってしまうのも問題だったのでしょうか。元々人見知りが激しいせいもあり、気が許せる間柄でないと世間話すら二言三言で終了、といった具合です。その影響もないとは言い切れませんね。
- sitappa40
- ベストアンサー率19% (202/1054)
本をたくさん読みましょう。 そうすれば文章表現のコツがつかめるはずです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 読んでますが、小説が中心になってしまっているので、 これからは新書などの割合を増やそうと思います。 ただ、自分の判断基準がどうもおかしいようなのですよね…。
お礼
ご回答ありがとうございます。 「私」主語の欠落は、確かに癖の一つとなっています。 自分では主語が「私」であることを暗黙の了解としているため、つい省略してしまうのですが、それが問題の一つにもなっているのですね。 「私見~」も、かえって自慢している意味合いにもなってしまうとか…余計なことをしてしまっていたようです。 書き言葉と話し言葉の件も、過去に書いた文章をもう一度見てみると、たしかに話し言葉で呟いたものの方がソフトな感じがしました。逆に図々しく見えるときもありますけど。 考えたことだからまじめに書かなければ!と堅くなっていることは事実だと思います。 あと、書き言葉になっているのは、多方面で自分に自信がないことも関わっているのかもしれないとふと思いました。 それを隠そうとして、「賢そうに」振る舞っているつもりが、逆に空回りして、余計にお馬鹿さを露呈してしまっているのかもしれませんね。 もう少し気軽な感じで、そして主語を明確にすることを心掛けたいと思います。