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サンカに関連して(2)
自治体の協力機構などでお世話になった先生から、ご著書(天武王朝の興亡)を頂き、日々楽しんでいます。 大海人皇子が蹶起して進行軍する機敏さは今時の劇映画の画ききれないものです。 先生もその早い動きを画きながら、分析されていますが、わたしはここでサンカの協力がなかったのではないかたと想像します。 先生は違う場面では国栖のことを触れていますが、蹶起と進行軍のプロセスではサンカが使者などにも協力してはいないだろうか。 そんな空想は成り立たないでしょうか?
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まずはサンカの起源が問題だと思います。 サンカの起源については未だはっきりとは分かっておらず幾つかの説があります。 1.柳田国男氏は山人先住民説を唱えました。これは古代に、大和王朝の社会を忌避して山に入って山人となった人の末裔がサンカではないかという説。柳田国男氏は傀儡子と結び付けようとしましたが、「土蜘蛛」「国栖」と結び付ける人もいます。 2.喜田貞吉氏は中世説(室町時代あたり)で、当時、坂の者などと呼ばれた賤民が起源ではないかという説。 3.沖浦和光氏は江戸時代説で、天明、天保の大飢饉などで農村で食べれなくなった者が村を捨て山に入って生きようとした人の末裔ではないかという説。 もし柳田国男氏の説が正しければ、大海人皇子の時代には既にサンカがいた事になりますが、喜田氏か沖浦氏が正しければ大海人皇子の時代には、まだサンカは現れておらず無理があるでしょう。 サンカの生活については、沖浦和光氏、五木寛之氏、筒井功氏などが実際のサンカだった人達に会い、その生活振りを聞くなどしています。 その生活は楽ではなく貧しく生きていくのも大変なようです。集団で暮らすような事もしません。さらにはその生活スタイルからかなりの距離を家族全員で移動します。固定した家があるわけでもありません。まあ、これは数十年前の話なわけですが・・ もしサンカが大海人皇子の時代に存在したとして、その漂泊民で定住していないサンカが、協力するのは、色々と難しいのではないかと・・ そもそも社会制度から外れているサンカが、そういう場面で協力するのかどうか・・・集団の力を当てにできず、生活場所は山が多いサンカの場合、サンカの男は家族を守るために危険な事には関わらないで避ける方が私は自然だと思うのですが・・・ まあ、賤民でも戦に参加して平民になった例もありますから、絶対無いなどとは言いませんが・・・
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- tanuki4u
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サンカの真実 三角寛の虚構 これを読んだので、まずはサンカに関しては、いなかったという点から考えるのが正しいと思います。なんせ存在証明がされていないのですから。
お礼
私も、ここ10年ほど、何人かの方のご著書を拝読するまでは全く知らない世界でした。 6年ほど、世田谷の等々力に仮住いしていましたが、古老のお話では戦前や戦後少し、渓谷にサンカがちょくちょくビバーク(なんか、用語があるそうですね)していたということです。 有り難う御座いました。
成り立つかどうかの空想は自由です。
お礼
素人の単なる思い付きですからね。
補足
多少以上に予測が出来なかった、ご投稿ではありませんが。 むしろ無根拠、全く話にならないというお言葉の方がありがたく暖かいおもいです。
お礼
大海人皇子の時代に既にサンカいたとしても、大海人皇子の決起に関係するについては、いくつかの問題があるのですね。 或いは大和の朝廷を避けていったいった末裔かもしれない、危険なことに関ることは避けただろう、組織化や組織への組み入れは難しかろう。などなど。 先の質問へのご回答同様に大変よく判りました。 サンカの方の存在と伝統をむげに否定することなく、視野に入れながら今後も列島の民族性などに関心を持ち続けたいと存じます。 有り難う御座いました。
補足
なんでもかんでも繋いでしまうのがどうも素人のやることなんですね。 それもまぐれ当たりの場合もありますが、お詳しい方から見ると、荒唐無稽で噴飯のことが多いのですね。 ご著書の先生を愚問で煩わさないですみました。 有り難う御座いました。