• 締切済み

信仰するにあたって

はじめまして。 この質問を読んでくだりありがとございます。 キリスト教を私の宗教とし、信教したいと思っています。 うまく書けないし、こんなこと書いたら失礼にあたるかもしれないのでが 私は、幼稚園がカトリックでした。 引越しての途中入園で、ほとんど通ったという記憶はないのですが それでも、毎日のお祈りは今でも覚えています。 しばらくは小学校に上がっても、覚えたお祈りを、ひとりで寝る前にしていたほどです。 永く通っていた園児には、マリア様の小さな陶器の像が贈られるのですが 私はもらえなかったため、子供ながら折り紙で作った十字架を壁に貼り、その十字架にお祈りしてました。 でも、母に、はがされてしまったのです。 こういうことはしてはいけないと言われ、お祈りもやめさせられました。 そして、もう一つ大切にしていた、幼稚園のシスターから届いた絵ハガキも、気づいたら捨てられていました。 それから15になるまで、心に鍵をかけてしまい、思い出しませんでした。 でも、すごくつらいことがあって。 それから、信仰を持ちたいと思うようになりました。 図書館で聖書を読み、母や父に知られないように、隠れて読みました。 父も母も宗教が大嫌いで、こういう言い方は失礼ですが まるで自分たちとは住む世界が違う人間なのだという態度をとります。 私は、どの宗教でも、信仰をもつことは素晴らしいことだと思います。 でも、父と母のことは別なのです。 父も母も、まるでそんなことをするのは頭がおかしいのだと、思っているんです(カトリックではなく宗教に入っていらっしゃる方が両親の友人2組にそんなことを言います・・・) 友人のことをそんな風に言っているのを聞いているし 娘の私にも、情け容赦なく、自分の価値観と違うものは受け付けようとしない両親です。 カトリック教会に行って、神父様のお話を聞きたいと思うのに、何と言われるか、何を思われるか恐ろしくて、両親に言いだせないのです。 両親は私の交友関係などすべて把握しており、行動すべて把握して、家から出るときはどこにいくか、誰と会うのかすべて話さないと家から出してくれません。 ここには書けないほど両親との関係は不雑で、人にはわかってもらえないのです。 でも、神様なら、色んなことすべてを受け入れてくれるのではないかと思ってしまうのです。 私は、先ほど書いた幼稚園の頃のシスターのような人間になりたいんです。 でも、両親に信仰のことを話すのには、とまどいがあります。ありすぎます。 どうすれば両親にわかってもられるのでしょうか。 私はどうしたら、教会に行って神父様のお話を聞けるのでしょうか。

みんなの回答

  • mmay8047
  • ベストアンサー率50% (1/2)
回答No.25

カトリック信徒です。 貴女の状況が昔のわたしのようなので回答します。 わたしも貴女と同じくカトリックの幼稚園です。 学校の帰り道に教会に寄ったり、短大に入ってからはこっそり日曜日のミサに行ったりしていました。 クリスマスに教会に行った時には「家族で過ごすべき日を教会に行った」と叱咤されたこともあります。 こっそり教会に行くのが嫌になり、ある日「日曜日のミサに行きたいこと、いずれは洗礼を受け信徒になりたいこと」を話したところ大反対をされました。 母は精神的に不安定になり食事はしない、口は聞いてくれなくなりました。 それでも教会に引かれる思いが強く神父さまに相談をしたところ、神父さまはおもいもかけないことを言われました。 「お母さんがそのようになったのはあなた(わたし)が大切で心配だからだ。家庭が崩壊することを神は望まない。もう教会に来るのはおやめなさい。ご両親を大切にご両親の望むとおりになさい。」 「洗礼を受け信徒になることが大切なことではない。信徒であっても信徒でなくても神さまはかわらないのだから」 その日から教会に行くのはやめました。 その後わたしは結婚をし子供が生まれ、幼稚園選びの時に「評判のよい幼稚園」と聞いてカトリック幼稚園に入れました。 そのことが切っ掛けになり神父さまのお話(公教要理)を聞くこと、ミサに行くこと、には夫に許してもらえたものの、洗礼の許可をもらえるのには4年ほどかかりました。 夫や子供たちの見守る中、洗礼を授けていただいたのはわたしが30歳を過ぎてからです。 神さまはわたしたちが思いもかけないやり方をなさったりします。 あの日神父さまに「もう来なくていいよ。」と言われたとき、教会に行くことも洗礼も受けることはない。でもそれはわたしが望んだことでなく、神父さま(神様)が望むのだから・・・と思いました。 わたしにとっては長い時間がかかりましたが、神さまからみれば差ほどのことはないんでしょうね。 信徒になれる日が来るとは思ってはいませんでしたが、わたしのことを見捨てることなく道筋を考えてくださったことは「神に感謝」です。 ご両親にわかってもらうのではなく、ご両親の思いを汲み取ってあげてはいかがでしょうか。 あなたに思いがあるのなら時間がかかっても神さまはあなたのことを「お呼び」になると思います。 それとカトリックは互略信仰ではありません。 神父さまもシスターも信徒も人間です。信徒になったから理想の人間になれるわけでもありません。 今はがんじがらめなのかもしれませんが、ご両親が貴女のこと心配で大切なのだと思います。 そのことに感謝をして、今の生活から喜びや宝を見つけてください。 神様がよい方向に導いてくださいますように。

回答No.24

カトリック信者です。 とても純粋な信仰をお持ちだと感じました。 ご両親がそのような態度をとるのは、あなたを愛している証拠ですよ。 全世界どこでも、カトリック教会はすべての人のためにひらかれています。 聖堂(チャペル)には信者、未信者問わず、どなたでも自由に入って構いません。 ぜひお近くのカトリック教会を訪れ、神に心から祈ってみてはいかがでしょうか? 神父様に相談してみてもよいです。 あなたの想い、煩い、すべてを神にゆだねてください。 神があなたに道を示してくださいます。 あなたに神のご加護がありますように・・・・

参考URL:
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/diocese/index.htm
回答No.23

今日、教会のミサに行く途中でこの質問を見ました。 とても純朴で美しい信仰心に心が熱くなりました。 同時に聖書の言葉、「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない」(マタイ18:3)を思い出しました。 riko519さんの祈りの時間は深い安らぎに満ちている事でしょう。 微力ではありますが、状況が好転するようミサの中で祈りをささげました。 価値観が事なるご両親の事で深い悩みを持っていらっしゃいますが、どうか両親の思いも心の内側から理解できるよう努めてみて下さい。 私も無宗教からカトリックの信仰を持つクリスチャンになったものとして、ご両親のお気持ちが少しわかります。ご両親はとても真面目でしっかりされた方、のように感じます。そして、娘への深い愛情から信仰や宗教を否定するような発言をされてるのではないか、そう思いました。 信仰や信心といったものが大きく失われたような社会にあって、宗教を持ち、また日々の生活、特に教会活動等を通じて信仰を実践する人は残念な事に非常に少数、マイノリティです。日本において、さらにカトリックとなるとこの状況は顕著です。 その少数派の信仰を持つことで、今後の結婚や育児等で相手方のご家族とどう向き合っていくか、衝突してしまわないか、といった問題やお墓の維持など、実に様々な、そして深い問題に直面することを考えていらっしゃるかもしれません。またそうした状況に直面したとき、娘や家族に負担をかけるような事態は避けたい、そう思っているかもしれません。もっとも、本来のカトリックは冠婚葬祭等で日本の伝統宗教と共存できる豊かな価値観を持っているものではありますが。。。当事者でもなかなか分からない少々難しいことでありますので、無宗教という立場ではなおさら、仕方のない事です。 詳しい状況が分からない、第三者の意見ですので、ご参考にならないかもしれないのですが、どうか愛を持ってご両親の認識を理解することができますよう、お祈りしています。そして、いま持っておられる尊い信仰を捨てることなく深めて、ご両親の愛情や認識と共存共栄できるようなより豊かで力強い信仰を獲得できますように。私自身の想いですが、キリストが示された神の愛、普遍的な愛は、対立を生み出すものではなく、相手を理解して認め合い、互いの尊厳を最大限に尊重し合うことだと信じています。 すでに様々な意見が出されていますが、信仰等について両親と話し合いを持つのは急がないほうが良いと思います。互いを認め合う確かな認識を得てからでも良いのではないでしょうか。思いが固まっていない中で話し合いを持つと、意図しない誤解や対立、衝突を生み出してしまうかもしれません。 最後に、聖書の言葉を贈ります。たいしたアドバイスができませんでしたがどうか状況が好転するよう願っています。 「わたしはこう祈っています。神への深い知識ととぎすまされた感覚を身につけることによって、あなたがたの愛がますますいっそう豊かになり、大切なことを識別できるようになりますように。」(フィリ1:9-10)

noname#134047
noname#134047
回答No.22

信仰するのはアナタの自由。 そう言う親なら、どんな理由であろうと認めないだろうね。 でも、本当に入りたいなら親は関係ないと思う。 親と縁を切ってでも入ればいいよ。 ただ、縁を切ってまで宗教に入るべきではないとも思う。 アナタとしては、親に受け入れて欲しいんだろうけどね。 憧れてたシスターの様になりたいからキリスト教に入りたいの? 神父から何を聞きたいの? 神に受け入れてもらいたい全てって? 何だかイマイチ気持ちが伝わらないんだけど。 信仰することで、それが日々のエネルギーになるなら良いことだと思うけど、 キリスト教に入らなくても祈れるよ。 今の世の中、携帯のインターネットでも聖書って読めるんじゃないの? それとも、宗教に入る、っていう形にこだわるの? 不安や悩みがあるなら宗教よりもカウンセリング。 宗教に共感するのも良いけど、 一番大切なのは自分の考え(意見)を持つこと。 宗教で与えられる知識を何でも信じてしまっては、自分自身のオリジナルの考えが出来なくなって、全て宗教に頼ってしまうのが怖い。 信じてる宗教(人)が言ってること全てが正しいと思わないで疑うことも大切。 自分の意見と信念を持とう。 どうも俺は、信者目線じゃなくて教祖目線で見てるから、宗教に入ってる人を見たら、人生をどう生きるか教えられるんじゃなくて自分で経験して考えて気づいて学べよって思っちゃうね。 そしてそれを、さも自分の言葉です。みたいな感じで話すやつヤだよ。 ↑はスルーして。 質問の答えにはなってなかったけど、 ひとまず親に、お試しで入りたいみたいなことを言ってみたら?本気で入りたいって言っちゃうよりナンボか許してくれるかもよ? 逆に本気じゃないなら試す必要ないって言われるかもしれないけど。 お試し入教ってないのかな?

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.21

外から見ると綺麗でも、実際中にはいると、こ こ これは・・・・ってことありますよね。 マザー・テレサは、救いを求める人を助けるのがキリスト教だと思っていたのですが、彼女がいた教会の周りにたくさんの恵まれない人がいたのに、教会は手を差し伸べず、教会に寄付する金持ちだけ相手にしていたことに疑問を感じたんです。 それで、救われていない人は教会の外にいるとして、教会を出る決心をしたんです。 教会は出てもいいが二度と戻れないし、一切援助はしないぞ それでもいいのなら 出て行け って言って、彼女は一切の援助無しに教会を立ち去りました。 で、他のサイトでバトった相手が熱狂的なカトリックの方で、すごい詳しいので只者じゃあないと思ったら、他の人が「その人ローマカトリックのシスター」と教えてくれました。 詳しいがまさかシスターだとは思わなかった。 いや こりゃ まいった と思った。 何故かというと、彼女は<主人とのセックスがとても楽しい>と書いていたからです。 一般信者だと思ったときは、「はー さいですかー」と思ったが、シスターであれば、結婚はしていないはず。 主人って誰のこと?  まさか・・・・と思って思い出したのが、マグダーレン尼僧院。 レオ10世(教皇)が造った尼僧院なのですが、そこで暮らす尼さんたちの役割は売春。 聖職者向けの売春宿が、尼僧院の実態だったわけです。 そこで暮らし売春をする人たちはシスターと呼ばれる人たち。 家族が無い女性達にお仕事の機会を与え、飢えないようにしてあげたわけです。 画期的な対策だが、救済? うーーーん。 まあ 飢え死せずにすみますが、、、、 で、現代でまさか今でも聖娼の役割をシスターが担っているなんて思いもしなかった。 そのシスターがいった主人とは、神父のことなわけです。 神父は一生童貞・シスターは一生処女という取り決めの二人が罪を犯さないためには、女性の性器以外で性交渉をするってことなわけです。 そのシスターは自分がカトリックのシスターであると、知られないと思って、赤裸々に聖職者との性生活とシワりエステの話を、書いてしまったわけです。 いやぁ こりゃまいった と思いました。 で、ある入会式を見学したことがあるんですね。 儀式が行われ、その儀式が終わると、その人は正式な信者になる。 それで、告白みたいなことを儀式の中でその人は語った。 それによると両親が仏教信者で、両親を尊敬できず、決定的に両親を裏切って痛めつけてやる そのために信者になった と。 要約すると そういうことでした。 これ・・・儀式の時に言うべきものじゃないんじゃ・・・でも真実だけ述べるってことだから、真実として語ったわけでしょうけど、両親への当てつけで両親が嫌うことをわざとするってのは・・・・ 目的は信仰からじゃなくて、両親を否定するための入会。 儀式には中止にはならなかった。 儀式が終わって、せーせした と本人は言ってた。両親と精神的に決別できたと思っているらしい。 あなたが期待しているのは、優しさとかぬくもりを、キリスト教の期待していると思う。 私の友達は、ローマ・カトリック教徒。 一度入会した以上 足抜けできないのか、信者のままなのですが、教会には行っていない。 どうしてかというと、恵まれない人を救う活動として、ボランティア活動をするわけですが、その費用が半端じゃないそうです。 ローマ・カトリックは地方の地主を信者にし、司祭という役割を与えました。 そのことによって、地主の下で働く農奴も信者になり、宗教面でも地主は農奴を支配できるようになった。 聖書もよく読めないし、内容もよく知らない人が、キリスト教の高位の司祭になったわけです。 8歳で司祭になる子もいた。 地主は農奴が作ったものを、外に売って金を作り、その金で高位の地位を得て出世していってた。 そういうわけで、ローマ・カトリックの信者に取り入れるのは、そこの土地の金持ちから始めていたわけです。 日本でもローマ・カトリックの信者は、金持ちが多い。 私の友人の教会も「奥様」と呼ばれる日本でも豪族の子孫の信者が多い。 暇をもてあましているので、恵まれない下層の人々に慈悲を与える活動をしているわけです。 その人たちと協働すると、お金がいくらあっても足らない。 ボランティア活動をするたび、お金が減っていく。 教会に行くと必ずボランティア活動に参加するよう呼びかけれた。 それで、教会に行けなくなってしまった。 私の友人の実家も大金持ち。 両親に反発して家を出たので、彼女自身は大金持ちじゃあない。 まあ両親との不仲が原因で、信者になったんでしょうけど。

回答No.20

質問者さんが女性なので、親しみやすい片思いの例で説明すると まず、自分がどれだけ好きとかは置いておいて 相手の状況と気持ちが届かない原因は何か調べ理解しないといけません。 そして、原因は誤解であったり先入観であったり、こちらが知らない納得できる理由があったりするわけです。 次に、誤解などであれば、相手を傷つけないように注意しながら、誤解であることを認識させる。 納得できる理由があるならば、それを取り除けるように、楽しい雰囲気でお互いに相談する。 別の例で説明すると No1.11さんの回答で以下とありましたが >仏教の不殺生戒 あらゆる生き物(微生物を含む)を殺してはならないよりは、ましだと思いますが。 (微生物を含む)というのはジャイナ教なんですね。 ただ、キリスト教徒が仏教に詳しくないのは当たり前ですし、逆に仏教徒のキリスト教への誤解もあると思いますし。 そういう状況と因果関係を理解し、にこやかに「誤解なんですよ」と言えばいいだけなんですね。 相手が正しいとか嫌っているというのは大事なことではなく なぜ相手はそう思うのかというのが重要なのです。

  • sheep67
  • ベストアンサー率28% (36/128)
回答No.19

他の方の回答に付け加えたいんですが。 性格や環境の違いがあるので、当てはまるとは限らない文です。 親の行動なんですが、 一番の根本的なものは、「神様がわからない」、ということと思います。 両親は神様を否定してるのでなく、本質的には、神様がわからないと思います。 そんなわからない得体の知れないものから子供を守る、という考えかと思います。 人間はわからないものに対しては、2次的に恐怖心嫌悪感を持ちます。 神を否定する方の心理をのぞくと、100%「神という概念が理解できない」というのが問題の本質であり、 神様を否定したり、暴言を言うのは、2次的なものです。 ただわからないんです。本質は。 また神を知らない人に神って何?というのを教えるのも無理難題です。 これは生まれつきの性格の違いですので、両親を悪く思わないようにできたらいいなーと思います。 両親が「住んでる世界が違うんだ」というのは言いえて妙で、本当にその通りです。 ただ、住む世界が違うのと、それを嫌うのは別問題です。 「あの人と僕らは住んでる世界が違うんだねー」、と優しく穏やかに言うことも可能です。 それは性格やキャラクターの違いで、本来尊重しあうものです。でも深い深い違いは、つい拒絶しようと思ってしまいます。人間なら。 両親は、あなたの神様をわからないでしょうが、あなたもおそらく両親の気持ちはわからないのではないでしょうか? 質問者さんも、親と自分との性格の違いを尊重できず、嫌ってるところありませんか? もしそうならお互い様なんです。 それは親とあなたは住んでる世界が違いますし、それでいいはずです。親子だから性格が同じだなんて決まってませんので。 親に「私たちは神というものがわからないから、子供であるあなたを近づけたくないんだ」というような告白をしてもらうのは酷な話です。 「宗教信じるなんて頭おかしいんじゃないか?」というのは、上の気持ちから派生する2次的なものです。 人間は誰でも防衛本能があります。恐怖がありますから。わからないものは怖いし嫌いなんです。 その一点だけは、質問者さんが察してあげてください。問題の根っこを押さえるのは効果あります。 つまり、質問者さんは、生まれつき神がわかる。ご両親は神がわからない、というだけです。そこに悪意はもちろんありません。 これがわかれば親が悪いとは思えないですし、そうするとその後親との和解もしやすくなります。 無理解ですが、悪気はないです。たとえ大事な心の支えをもぎ取られたとしても、そこには勘違いはあっても、悪意はないんです。 支えを失ったとき、質問者さんは卒倒しそうなほど心に傷を受けたと思いますが、実はそういう行為をした両親のほうも、質問者さんに負けないほどのショックと恐怖と気持ち悪さを感じていた、と想像します。傷つけあうのはお互いさまだと、感じ取れるでしょうか? これがわかると、嫌悪や恨みの代わりに、性格が違うことからくる寂しさが入れ替わってくると思います。 それは親離れ的な方向性もあります。 このことを、事実だということには「証拠」がありません。これはこうだと信じ続けることになりますし、それには下の方も書いてるみたいに、祈り続けることがまた復活したらいいなーと思います。 親の前では厳しいと思いますが。 手を合わせなくても祈ることはできます。目を開けてても手を下ろしていても祈ることはできます。 いつもいつも朝も昼も晩も祈ることが当たり前になると、常に神様へのお祈りが下敷きにあると、聖書のこともわかりやすくなると思うし、上に書いたことが事実だとも知れます。 いつも興奮も落ち込みもせず、祈りと神様に触れ続けることが大事かも知れないです。 教会に行けるように、神様に祈られたことは? 両親と仲直りできるように祈られたことはあるんでしょうか。 こう祈ることはかなり苦しいと思うのですが、意味があります。 そういう具体的祈りや、神様を慕う祈りなどもあるとおもいますが。 以上たいして僕は信仰がないので、参考意見です。

回答No.18

教会に行って神父様の話を聞くことと同様の事が、教会に行って神父様の話を聞くこと以外に起きる可能性は無いのでしょうか?それも頻繁に起きるという可能性。 神様が色んなことすべてを受け入れてくれるのと同様の事が、神様以外の存在によっても色んな事すべてを受け入れてくれるという可能性は無いのでしょうか?その時こそ神様を感じるという事とか。 とても苦しいことが起きる時に信仰によって解消される事が、信仰以外によっても解消されるという可能性は無いのでしょうか?信仰が何なのかが透明化されて、とてもスッキリする事だとか。 昔、感じていた幸せや喜びや楽しみを、今一度感じたいと思う時に、神父様・神様・信仰・教会以外によって得られるという可能性はないのでしょうか?とても自分自身に自信感があり、何と出会っても素晴らしい自分でいられる様な。 質問者さまは、そうした可能性が無いと思われているのでしょうか? もし宜しければ胸の内をお聞かせ下さいませ。

  • hanniyagi
  • ベストアンサー率15% (14/88)
回答No.17

15才まで、とありますが。現在16才でしょうか。 幼児期の頃を思い出し、幼児期の心に戻りたい。はいけないんじゃないですか。 幼児期の心を否定し、青春、青年期の思想を否定し、大人になってゆくのです。 大人になれませんよ。 ご両親はそれが心配なのです。 多くの場合、自分を否定してくれる者が、自分を成長させる、自分を変えてくれる者なのです。 両親への反抗として、信仰をしよう。両親を否定し自分を肯定してくれる者に甘え、依存しよう。 は道を誤りますよ。 「自分と同じ歳頃も者が自分を喜ばせる」とは古代ギリシャのことわざですが。 哲学カテ=宗教カテ に相談し。自分を喜ばせる回答を気体するのも間違いです。 両親を説得しよう。は10年早いでしょうから。まず両親に、宗教信仰がいけなすのか。を徹底的に聞いて見る事、です。話にならない。「馬鹿たれめが」なら。なぜ「馬鹿たれめ」なのか。貴方自身が、 自分の頭、知恵で考え抜くことです。 20才まで、自分に責任を持てる歳までは、するべき事ではないと重いますよ?。 余計な事を付け加えると。神という概念は、人間の空想が作りだしたもの、ですよ。

  • Jasuru
  • ベストアンサー率0% (0/3)
回答No.16

あなたがすることはまず「祈る」ことです。 祈りは神様との会話ですから、あなたの気持ちを素直に神様に対して話してみてください。 私はプロテスタントですからマリア像を置いたり、十字架に向かってお祈りはしませんが、 あなたがやりやすいようにして神様に祈ってください。 祈りを上手く言葉にできなくても、かまいません。 もし何を祈ればいいか分からず、不安に思うのならばマタイによる福音書6章9~13節を読んでください。 そこにはイエス様自身がこのように祈りなさいと教えてくれた言葉が書いてあります。 次にすることは「聖書を読む」ことです。 意味が分かっても分からなくても読み続けましょう。 祈りの答えが、聖書の中に発見することもあるかもしれません。 祈ることは呼吸することのように、御言葉を学ぶことは食事をすることのように大事なことです。 あなたが信仰を持つことと両親は関係ありません。 あなたが信仰を持ったからといって、両親が天国、地獄に行くことを左右するわけではありません。 信仰を持つかどうかを決めるのはあなたです。 イエスをキリスト(救い主)として信じ、従うと、あなたが決めるなら、両親の反対を押し切ってでも 教会に行き、神を賛美し、神に礼拝をささげて下さい。 ですが、家族との関係を悪化させることはあなたの望むところではないはずです。 それが、苦しみ、不安になっていると思います。 だから、どうか怖がらずに「あなたが何を信じているのか」をしっかりと両親に話しましょう。 両親もあなたのことが心配です。 親ですから、あることないこといろいろ言われて、言いくるめられるかもしれません。 すぐに解決はできないかもしれません。 でも、どうか怖がらずに何度も何度も、根気よく話し合いましょう。 どのくらいの時がかかるか、分かりませんが、きっと両親もあなたを認めてくれるでしょう。 アドバイスは以上ですが、以下のことを覚えていてください。 イエス様もあなたのことを親のように心配して、励まし、愛してくださっています。 あなたと両親の複雑な関係のことも私はあなたほどは分かりませんが、 イエス様はあなた以上にそのことを理解して、あなたを励まし、愛してくださっています。 イエス様があなたの信仰を護られること、両親の心を変えて下さることを期待し祈っています。

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