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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:学校で習うことは役に立たないと言われているのに)

学校で習ったことの役割とは?疑問を解消

このQ&Aのポイント
  • 学校で習うことは役に立たないと言われているのに、なぜ役に立つ知識に教科書の内容を変えないのでしょうか?
  • 法律や政治の見方も役に立つ知識ですが、なぜ教科書の中ではそれらについて触れられていないのでしょうか?
  • 学校の教科書には何が目的で載せられているのでしょうか?その疑問について考えてみました。

質問者が選んだベストアンサー

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  • Kules
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回答No.35

A No.13,20,29のKulesです。 昔かなりにぎわった回答が議論とみなされてもろとも消されてしまったことを思い出しました。ってそんなことはどうでもいいか。 さて、これまで一つの観点から私の主張を回答させていただきましたが、前回のお礼を見るとどうもお気に召さなかったようなので(笑) 原点に戻ろう、ということで質問文の中から質問と思われる箇所に絞って、できるだけシンプルに回答したいと思います。 一部私の若干の偏見も入ります。 >教科書に書いてある内容って、何が目的で載せられているんですか? 役に立つからです。ただ、それを役に立てられるかどうかは、環境や、機会や、その人の意識などいろいろなものに依ります。 >役に立たないなんて言われているのは、ここ数年の話ではないですよね? そもそもこれを私自身周りの人が言ってるの聞いたことないんで実感ないんですよね。テレビやなんやのメディアでも聞かないですし… 私自身は学校で勉強したことは役に立つと思ってるし、事実仕事にも役立っています。 個人的には「学校で習ったことなんて…」と言ってる人は、学生時代勉強ができなかったり、それが役に立つ仕事に就いてなかったり、役に立つ機会に恵まれなかったりしている人だと思うんですよね。言い方は悪いですけど負け犬の遠吠えというか。 ただ、確かに今学校で教えている内容は「将来役に立つであろう期待」を持たせられにくいものではあるので、「役に立たない」と言う人の考えも思いも何となくは想像できます。 >そういう人たちは、なぜ無駄を変えていかないのでしょう? 他の人が書かれているように、 「自分は変えたところでもう一度学生を経験するわけでもないし、どうでもいい」 というものかも知れない。また、私が前回や前々回に書いたように 「変えるとなると、ものすごい労力と、金と、時間がかかる。しかもそれだけつぎ込んで、本当にいいものが出来てくるとは限らない。こんなハイリスクローリターンは割に合わない」 かも知れない。あるいは、あまりこうであってほしくはないですが、 「お偉いさんたちは少なくとも学校で学ぶことが役に立たないとは思っていない。また、教育に携わっている人も「自分たちが教えているものが役に立たない」とは口が裂けても言えない。(例え本当は役に立たないと思っていても。個人的にはこんなこと思っている人には教壇に立って欲しくないんですが)だから、そういった教育がらみのことを決める場所(おそらく文部科学省でしょうか)の人は、そういった声があること自体に気づいていない。」 かも知れませんね。 「シンプルに」と書きながら結局長文になってしまいました。 参考になれば幸いです。

tabasuko_otoko
質問者

お礼

そういうお話ならまだ納得できます。 勉強できない人間が負け惜しみで無駄だと言ってるのもあるだろうし、その分野を仕事にしてる人たちが職を失うのを恐れてなど、しっかりと回答になっていますし、私も以前の回答ではそれを認めていますよ。 なぜ変えないのか?であって、何がいらないのか?の話はしてないんですよ。 まあ、でも自分が受けるわけでないから真面目に考える人は少ないというのは確かなんでしょう。 現にここでの回答も、質問を無視して自分に役に立ったことを延々と語り出すものが多いですし。 そういう博識気取りのオタクたちが、それなりの地位についてることもあるんでしょう。 文章の長さを問わず的を射たご回答なら大歓迎ですよ。

その他の回答 (36)

回答No.16

NO10です。回答へのお礼ありがとうございます。 確かに実用的な学習でも思考力・論理力・判断力・応用力などを身につけることができるでしょう。しかし、一定の限界はあると思います。やはり数学などの理論的学習によってさらにこれらを身につけることができます。実用的な学習だけでは得られない、より深い且つ普遍的なものを得ることができるのです。 例えば、図形の角度を求める難問を解くにあたっては、どうしても図形全体を把握しなければなりません。つまり、この学習を通して物事の全体を見る力を得ることができるのです。こうした得た普遍的な力は、一つの実用的場面ではなく、様々な実用的場面で役に立つでしょう。あるいは数学の問題を解いて間違えてしまう経験は誰にもあります。こうした経験を通して、様々な実用部分でも、ミスがないか軽くチェックする習慣を身につけることができるでしょう。そして、数学には必ず正解と不正解がありますように、ネットを含め、様々な情報をうのみにするのではなく、真偽を確かめることに思いが至るようになるでしょう。 実用的な知識が大切なのは理解できますが、実用的な事柄と言っても非常に数多くあります。当然全てを学習することはできません。結局一人一人が分担することによって社会が成り立っていきます。各教科学習はこの点での自分の適正を見極めるうえでも、ある程度役に立ちます。一人一人がどのような方向に進んでいくかは、各教科の基本的学習を通して、自分の適正を見極めてからでもよいでしょう。事実、小学生などが自分の適正を見極めるのは容易ではありません。 さらに付け加えるならば、我々が実用的ではないと思っていても実は実用的であるものもあります。一例を挙げますと、英語の文法学習に否定的な意見もあるようです。しかし、この考えには同意できません。英語を母国語とする人たちは、一部で言われているようにそう簡単に文法を間違えることはありません。それに文法学習を通して、読解力も確実に向上します。 ただし、繰り返しになりますが、法律などの基本的実用知識は誰もが必要とすることですので、これらを学習するのは良いことだと思います。

tabasuko_otoko
質問者

お礼

やはりトレーニング器具的な考え方があるのかもしれませんね。 実践の中でも筋肉はつけられるが、ダンベル運動した方が目的の筋肉を効率よくつけられるみたいな。 教科書の内容がそれに適しているかはまだ疑問なんですが、「今こういうところを鍛えてるんだよ」と教えてあげない教育方法に問題があるかもしれませんね。 英語とかちょっと基礎的な単語を教えたら、その時流行ってる英語の歌とかの訳し方とか教えてあげたら良いと思うんですけどね。

  • hunaskin
  • ベストアンサー率30% (1854/6060)
回答No.15

>時間に限りがあるからこそ効率良い内容に変えるべきじゃないんですか? そうですね。 だから、今も効率の良いと考えられる教育方法が取られているんですよ。 もちろん完璧な学校教育なんてものはあり得ませんから、科目や内容についての見直しは行われているわけです。 有効な代案が出ればまた色々変わって行くでしょうね。 もう一度、最初の質問について回答さしあげましょうね。 >学校で習ったことは役に立たない 役に立てられないか、役に立てていることに自覚がないひとが言っていることです。 >なぜ役に立つ知識に教科書の内容を変えないんでしょうか? 役に立たないと言っているひとの意見が正しいわけではないからです。 >四則計算とか歴史とかは役に立つので分かります 歴史が役に立つかどうかはその人次第ですね。 芸術や体育や古文や化学と同様にね。 >「こんなの使わないよ」というのがあるんですよね? ひとそれぞれです。役に立てているひとがいる、ということに着目してください。 >現代社会で生活していくうえで必要な知識となぜ入れ替えない そもそも「生活していくうえで必要な知識」なんて恣意的な言い方では何の代案になり得ません。 >法律とか政治の見方とか イデオロギー教育に陥りやすいので自我が確立してから自ら学んだほうが良い事柄でしょう。 >ここ数年の話ではないですよね 学校教育が始まった当初からでしょう。昔も今もたいしてあてにならない大人の愚痴はあるもんです。 >その頃の人たちの中には国の偉い立場になってたり 学校の勉強を役立てた人が偉くなっていることが多いですね。 >なぜ無駄を変えていかないのでしょう 質問者様と偉い立場のひととでは「無駄」と判断する事柄が違っているんでしょう。 >教科書に書いてある内容って、何が目的で載せられているんですか 子どもを教育する為です。 子どもの教育は知識や技術を得ることと物事を考えたり感じたりすることの両方がなければいけません。

tabasuko_otoko
質問者

お礼

「その人による」で片付けるなら教師も教科書もいらないんじゃないですか? 学校の意味すらなくなる。 あなたの話はしょせんのらりくらりとかわしているだけですよね。この質問に対して、なんの解決にも回答にもなっていない。 あなたの回答はもう結構です。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.14

もう10年以上も前になると思いますが、あるテレビ番組のドキュメントを見ていたら、最近の教育のおかしさに付いてこんな事を言っていました。それは、船乗りを養成する商船高校の教育に付いてでした。その教育のやり方について、商船会社の人が文句を言っていたのです。曰く、 「最近の商船高校出の連中が何かおかしなことを言い出した。商船会社に入って来ると、自分は船の操作の仕方をもう知っていると言うんだ。何とも驚きだ。まさか、最近の商船高校では生徒に船の乗り方なんてのを教えているんじゃないだろうね。船の乗り方なんて、商船会社に入って来たら、我々が教えて上げて一人前の船乗りにして上げる。だから、そんな物高校で教えなくても良い。  社会人の我々に出来ないことは、この船乗りのタマゴ達に、地質学、天文学、海洋学、気象学、それを学ぶための、数学や物理学、また、外国に船出したときの英語の読解力、その他に、地理、歴史などだ。また、口頭ばかりでなく、書物によるコミュニケーション能力を付けるための国語などだ。勿論、そんな学問は直接船の操作をする場合に役に立つ訳ではないが、そのような基礎が出来ているいないかで、長い目で見て船乗りの質が全然違ってしまう。  人間はだれだって現実の問題にぶつかって必要になれば、誰から教わらなくても、先輩達の見よう見まねやそれに関する本を読むなどの勉強をして、自分で何とかできるもんだ。ところが、一人前になるための基礎学力は、一見直接役に立つように見えないだけ、自分で勉強しようと言う動機が出て来ない。だから、高校では船の乗り方なんて言う直ぐに役に立つような目先のことを教える必要はないから、上のような基礎学力を付ける教育をしてくれ。」 要するに、何が役に立つかどうかは、その道で十分経験をして来てはじめて解ることであって、その経験がないものが判断できるものではないんですね。だから、教育者には誰でも成れるわけではなく、経験を積んだ者だけがなれるのです。 この他にも、一見役に立たないと見える教育がどれだけ大切なものであるかを以前他の質問者さんへの回答で述べたものが在ります。  http://okwave.jp/qa/q6163934.html の#5の回答です。それも参考にして下さい。

tabasuko_otoko
質問者

お礼

でもその「船の乗り方」のようなことを教えてるじゃないですか? だいたいそれ、商船高校での話ですよね?船を扱う学校で船の乗り方教えて何が悪い?と思ってしまうんですが・・・。 私はそういうマニアックなことよりも、生活するうえで教えるべきことがあるんじゃないかと言ってます。 あなたは自分の理屈に酔ってるだけじゃないんですか? リンク先のその子がなぜそういう悩みを持ってしまったのかは考えなかったのでしょうか? 中2ということは8年。 8年勉強してきて自分のやっていることが分からないと言っているんです。 仕事でも普通3年やれば自分の立ち位置って見えてきますよね。 それがその子は8年やってきても分からなかったんですよ。 その子だけじゃなく、他の人も義務教育課程だけで9年も「何に役立つか分からないまま」やらされることになる。高校、大学と進めばさらにですよね。 基礎学力とは言いますが、本当に基礎になってるなら後で気づきますよ。 でもみんな口をそろえて無駄だと言ってるじゃないですか。 私もすべてだとは言いません。でもほとんどです。 正直、本当に基礎になっているのかが疑問ですね。 それに基礎学力を身につけさせるにしても、もっと効率の良い内容があるんじゃないかと言ってるんです。 役に立ったと実感できない教育なんて失敗としか言えません。

  • Kules
  • ベストアンサー率47% (292/619)
回答No.13

個人的には、「学校で習ったこと」は役に立たない場合が多い (絶対役に立たないわけではありません。私もつい1週間ほど前に高校で習ったことを役立ててきたばかりです)が、 「学校で習ったという事実」は役に立ってると思います。 1.「役に立つかどうかわからないことをとりあえず覚える」ということをする あなたが言うように、学校で学ぶことで役に立たないことは多いです。役に立っていることがあるのも事実です。 でも、それを学んでいる最中にわかることは容易ではありません。「受験のため」「いい大学に通るため」に必要だということぐらいしかわかりません。 そういったものを勉強させられていく中で、「役に立つかどうかわからないけど、とりあえず学んでみる」という姿勢は重要だと思います。 「このビジネス書役に立つかわからないけど、とりあえず読んでみよう」 「できるかどうかわからないけど、とりあえず挑戦してみよう」 というのは、生まれつき好奇心バリバリの人を除けば、「とりあえず~」を無理やりにでもやらされてないとできないもんだと思います。 「この本が私の100%役に立つとは限らないなら読まない」 「失敗するかも知れないんだったらやらない」 と言ってたら人生つまらなくなってしまいます。 2.教えるのにだって、それなりのマニュアルと、それなりの経験がいる 当たり前と言えば当たり前ですが、そこらへんを歩いている人を捕まえていきなり学校の教壇につれていき、「さあ今から国語を教えろ!」と言ったってできる人はごくわずかでしょう。高校物理を使うことを仕事にしている人でも、何の訓練も無しに高校物理を教えることはなかなかできません。 そうなると、「教えることを訓練する」必要があります。そのためには、マニュアルも必要です。 このマニュアルがころころ変わるようだといけません。「教えることを教える人」が教えることができなくなってしまいますから。 マニュアルがころころ変わっても駄目だし、教える内容もころころ変わると厄介です。理由は上と同じで、教える人がついていけなくなりますから。 そういう意味では数学とかいいですね。三角形の合同を示す3つの条件がある日突然4つに増えることもないし、2次方程式x^2-5x+6=0の解は昨日も今日も明日もずーっとx=2,3です。他の方の回答のお礼に書かれていましたが、音楽でヒップホップを取り扱わないのは(それを取り扱うべきか否かは別にして)はやりすたりが早いものだからかも知れませんね。 ということで、 ・「役に立つかわからんけど、とりあえず取り組んでみる」という姿勢を学校にいる間に身につけておくことは、そのあとの人生を楽しむことに役立つ。 ・教える内容、教え方にもマニュアルが必要で、マニュアルを作るには内容がころころ変わるようだと困る。ずっと変わらないようなものを選んだ結果今のようになっている。 というように考えてみてはいかがでしょうか? 今の教育制度がこのように考えて出来ているわけではないでしょうけど(笑) 主張が穴だらけだという指摘はご勘弁を。何せ現在学校で学んだことからいろいろ絞り出して仕事をしているもんで… 参考になれば幸いです。

tabasuko_otoko
質問者

お礼

「役に立つかどうかわからないけど、とりあえず・・・」というのは分かります。 ただ、それを教える立場が使って良いものでしょうか? 「役に立つかどうかわからないけど、とりあえず教える」んですか? 今は分からなくても・・・というのは、いずれ役に立つ時が来ることが前提で成り立つものだと思います。 社会人になった時に勉強することって「必要だから」「やりたいことだから」が理由になっていると思います。 役に立つか分からないが今の仕事に「関連していそうだから」、このビジネス書を読んでみよう。 できるかどうかは分からないけど、「やりたいことだから」とりあえず挑戦してみよう。 やりたくもなく何の役に立つかも分からないものを勉強しようなんて思える人はいないんじゃないでしょうか? でも学校ではそれをやらせている。 そういう教育を受けた大人が教育する立場になったところで、「役に立つかどうかわからないけど、とりあえず教える」ことしかできないでしょうね。 どこで役に立てるのかゴールを知らない人が、どうやって行き先を示すのか。 とりあえず取り組んでみたところで、人間、終わりの見えないことを続けることはできません。 マニュアルがコロコロ変わるのは困るでしょう。 でも変化についていけないなら今まで何を勉強してきたのか?という話になってしまいます。 他の方が書かれていた、思考力・論理力・判断力・応用力が身についていない。 マニュアルが変わっては困りますが、内容がトンチンカンなマニュアルを参考にする方が迷走してしまうんじゃないでしょうか?

回答No.12

レジうちや、単純軽作業の人には意味無いと思います。 が、精度の高い加工品を製造する人は、 周速度と回転数と直径の関係の把握(算数)は必要ですし、 加工している材料の性質(科学)も知らなくてはいけないし 成績書を読むのに英語が必要です。 こういう作業をする人は高卒ですが、勉強が出来る人がそういう仕事に就いています。 日本が精密機械の分野で先を行っているのは、こういう勉強の出来る高卒がいたからです。 >法律とか政治の見方とか。 こっちの方がムダでしょう。 意思決定理論というのがありますが、 パレート改善の必要があるかどうかを把握することは不可能だからです。 パレート改善とはなんぞや? と思われるでしょうが、政治学で出てきます。 貴方が政治学で、「社会が改善できるかどうかを判断する術がない、改善できたかどうか評価する指標がない」と書かれた本を読んだときにもう一度考えられるといいです。

tabasuko_otoko
質問者

お礼

それらの知識の前に身につけるべきものがあるんじゃないでしょうか? そんなのは無職で明日食うものにも困ってる人間が、福利厚生だのの内容にこだわって就職先を選り好みしてるのと同じですよ。 法律を教えることが無駄なら、世の中は犯罪者だらけ、詐欺の被害者だらけでしょう。 「愚かな民の上には愚かな政治しか生まれない」と言っていた人がいます。政治の見方を知らない国民のことを言うんじゃないですか? あなたは木をないがしろにして森を作ろうとしてるような考え方です。

  • hunaskin
  • ベストアンサー率30% (1854/6060)
回答No.11

>なぜ役に立てる方法まで教えないんでしょう? そりゃ、時間に限りがあるからですよ。 学ぶ方にだって向き不向きがあるから、入口までの案内で終わってしまう、ってだけの話です。 興味があるひとは専門知識を大学や社会に出てから学んでねということで。 実務知識だけが人生に必要ってわけじゃないんだから若いうちにあれこれ見聞きしたほうが可能性が広がるんじゃないか、という確率の問題です。

tabasuko_otoko
質問者

お礼

時間に限りがあるからこそ効率良い内容に変えるべきじゃないんですか? 勉強と記憶って同義語じゃないですよね。 見聞きしてもその情報を処理する方法を知らなければ、ただのオタクでしかありません。

回答No.10

自分も学生時代にそのように思ったこともあります。 確かに社会生活で直接使用しない知識も学びますね。しかし、これらの学問も思考力・論理力・判断力・応用力などを培うのに役に立ちます。数学の先生が同じようなことを述べていました。確かにそのとおりだと思いました。つまり、直接的には役に立たなくても、間接的には役に立つということです。こうして身に付けた思考力・論理力・判断力・応用力などは社会生活上必要なものです。 なお、ごく基本的部分でいいですので、法律などもっと実用的な事柄を教えていくべきであるというご意見には個人的には賛成です。その代わり、どこかを削らなければならないことも承知しています。

tabasuko_otoko
質問者

お礼

教科書の中に書かれていることは、スポーツで言うならトレーニング器具という考えで割り切ることもできると思います。 ボクシングで通用する身体を鍛えるために、サンドバックやダンベルなどを使うからといって、それらの道具が直接試合で役に立つことはありませんよね。 でもサンドバックじゃなくてぬいぐるみを殴ったりみたいなことをしてるのが、教科書の中身じゃないでしょうか? 思考力・論理力・判断力・応用力を養うにしても、もっと直接的な知識を扱ってそれを行うこともできると思うんですよ。 世の中には法律という物がある。 法律を理解するには六法全書をこう読み解く・・・みたいな方法でも国語はできると思うんですね。 もちろん小学校低学年みたいな時期は、普通にお話が書かれた本でも良いと思います。 無駄な方向にレベルを上げていく今の内容が疑問なんですよ。

  • R_Earl
  • ベストアンサー率55% (473/849)
回答No.9

> それらを現代社会で生活していくうえで必要な知識となぜ入れ替えない? 現代社会で生活するうえで必要な知識をわざわざ学校で教えて、 「国」に何のメリットがあるでしょうか。 「国民」1人1人にとっては、快適な生活が送れるようになるのでメリットはあるでしょう。 しかしそれが国益に繋がるとはあまり思えません。 私は学校では「1人1人が生活しやすくなる知識」より 「将来国益に繋がる知識」を学ぶ方が価値があると思います。

tabasuko_otoko
質問者

お礼

大人な意見を言ってるつもりの中学生みたいな話ですね。 では訊きますが、国益ってなんなんですか? なんのために国益を出さないといけないんでしょう? 国って国民が集まったものじゃないんですか? その国民が生活しやすくなっても国益にはならないんですか? 国民の生活が苦しい国が国益を出せるんですか? 現代社会で必要な知識を持ってない人間をフォローするために、別途国は予算をかけている。 それが無くなるだけで財政が軽減されるとは思いませんか? これって国益になりませんか? 「国益に繋がる知識=国民一人一人が潤う知識」じゃないの? あなたは辞書を引くことすら知らない。言葉の意味を考えることすらできていない。 ただ、あなたは悪くない。 そういう教育をしたのは無駄が多い現代の学校です。

  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15358)
回答No.8

 学校のは基礎。社会に出ると応用。あまりにも基礎過ぎて社会では通用しないそれだけのこと。  教科書は平等に学ぶ為に作られている。だから中途半端なんですが。  必要な知識は将来にわたって同じなら良いのですが、そうとは限りません。私は専門学校で習ったコンピュータ言語。今は不要です。その時には必要とされた物です。消えるなんて思っても居ませんでした。  義務教育は基本的に誰でも平等の知識。それ以降は自分で選んで学ぶ道を見つける事。学校は学問としてみる。社会は学問でなく利益を得るための物になる。学校がそれをすると選択肢が多くなりすぎる。社会で通用したことが急に使えなくなることも多い。そんな危険な物は教科書として不適切ですよ。  子供が居ます。教科書を見たりしています。随分と忘れている物ですが、思い出すことで頭が活性化しますね。無駄と思えることを無駄にしないようにするのも、また大切ですから。  新しい発想を生み出す力は無駄な知識です。無駄な物を組み合わせて作り上げるのが大切なんです。必要な物だけだと、新しい物を見つける努力をしませんから。

tabasuko_otoko
質問者

お礼

なくなることはないだろうという前提のもとで選ばれた基礎知識という話なら、なんとなく納得できます。 音楽の授業でヒップホップとか扱わないのは、いつ消えるか分からないからなのかもしれませんね。 でも法律とか裁判所の使い方とか、そういう生活に密着したものを教えてもいいと思うんですが・・・。

noname#126714
noname#126714
回答No.7

先程の回答&お礼に対する補足です。 「生きるための知恵や人格を養う」ということ →これってどんなに教科書に載せても、載せ切れないほどあります。 これは`学校´という社会生活の中で、友人や教師と接して`心´を育んでいくものですから、教科書では対応しきれるものではないのでは? 現代の日本の教育課程では、小中学校において「道徳」という科目があり、教科書もありますが私は必要なものとは思いません。 心を育てる物語を教えたければ国語の授業があるし、授業だけではもちろん足りないから自分で本を探して読む。 質問者さまの文面から察すると、全ての必要な知識の習得を学校や教科書ばかりに任せきりにしているように感じます。 生きる上では、人と接し、自主的に行動できるようにならなければならないのです。 そのきっかけを全児童に与えるのが学校であり、無償で配布される教科書だと思います。

tabasuko_otoko
質問者

お礼

きっかけだけなら何時間も学校に拘束するべきではないんじゃないでしょうか? 自主的ななんちゃらを育てるなら、授業は最小限にして自習だけで良い事になってしまいます。プライベートの時間の方が少ない現状ってどういう事なのか?という話になってしまいませんか? >これってどんなに教科書に載せても、載せ切れないほどあります。 だからこそ、余計なことを書いておく余裕なんてないと思うんですが・・・

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