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学校で習ったことの役割とは?疑問を解消
- 学校で習うことは役に立たないと言われているのに、なぜ役に立つ知識に教科書の内容を変えないのでしょうか?
- 法律や政治の見方も役に立つ知識ですが、なぜ教科書の中ではそれらについて触れられていないのでしょうか?
- 学校の教科書には何が目的で載せられているのでしょうか?その疑問について考えてみました。
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質問者が選んだベストアンサー
A No.13,20,29のKulesです。 昔かなりにぎわった回答が議論とみなされてもろとも消されてしまったことを思い出しました。ってそんなことはどうでもいいか。 さて、これまで一つの観点から私の主張を回答させていただきましたが、前回のお礼を見るとどうもお気に召さなかったようなので(笑) 原点に戻ろう、ということで質問文の中から質問と思われる箇所に絞って、できるだけシンプルに回答したいと思います。 一部私の若干の偏見も入ります。 >教科書に書いてある内容って、何が目的で載せられているんですか? 役に立つからです。ただ、それを役に立てられるかどうかは、環境や、機会や、その人の意識などいろいろなものに依ります。 >役に立たないなんて言われているのは、ここ数年の話ではないですよね? そもそもこれを私自身周りの人が言ってるの聞いたことないんで実感ないんですよね。テレビやなんやのメディアでも聞かないですし… 私自身は学校で勉強したことは役に立つと思ってるし、事実仕事にも役立っています。 個人的には「学校で習ったことなんて…」と言ってる人は、学生時代勉強ができなかったり、それが役に立つ仕事に就いてなかったり、役に立つ機会に恵まれなかったりしている人だと思うんですよね。言い方は悪いですけど負け犬の遠吠えというか。 ただ、確かに今学校で教えている内容は「将来役に立つであろう期待」を持たせられにくいものではあるので、「役に立たない」と言う人の考えも思いも何となくは想像できます。 >そういう人たちは、なぜ無駄を変えていかないのでしょう? 他の人が書かれているように、 「自分は変えたところでもう一度学生を経験するわけでもないし、どうでもいい」 というものかも知れない。また、私が前回や前々回に書いたように 「変えるとなると、ものすごい労力と、金と、時間がかかる。しかもそれだけつぎ込んで、本当にいいものが出来てくるとは限らない。こんなハイリスクローリターンは割に合わない」 かも知れない。あるいは、あまりこうであってほしくはないですが、 「お偉いさんたちは少なくとも学校で学ぶことが役に立たないとは思っていない。また、教育に携わっている人も「自分たちが教えているものが役に立たない」とは口が裂けても言えない。(例え本当は役に立たないと思っていても。個人的にはこんなこと思っている人には教壇に立って欲しくないんですが)だから、そういった教育がらみのことを決める場所(おそらく文部科学省でしょうか)の人は、そういった声があること自体に気づいていない。」 かも知れませんね。 「シンプルに」と書きながら結局長文になってしまいました。 参考になれば幸いです。
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- plmkoijnbhu
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小中高それぞれの段階で種を蒔いて、次の段階のための準備をしていると思います。小中学校では、とりあえず簡単に事柄について説明して、世の中にはこういうものがあるよ、と興味の種を植え付ける土壌を整え、種を植えるための教育をして、高校で多少芽を出させているんじゃないでしょうか。 その芽が埋もれるか育つかは個人の環境や資質だと思いますが、植え付けることが重要なんです。その芽を育てたのが専門職になるからです。 好奇心旺盛な頃にいろいろな事柄を教えて、興味を持つ範囲を広げるためには、社会で必要ないことも教える必要があります。それをやるのは義務教育まででいいと言われるかもしれませんが、高校になってから初めて習う分野もあるわけですし、それを理解するための土壌も必要です。ただ、そこで芽吹くのは少数でいいんです。専門職というのは一般の仕事に比べて、人数が少なくてもいいですから、数はそれほど重要じゃないと思います。ただ、いなくては困る存在なんです。 政治について教えるのはすごく良いと思いますけど、人によっては思想的なものも入ってきてしまうし、難しいんじゃないですかね。あと、政治家的にはあんまり詳しくなられても困るからマニュアル化していなかったりしてw
お礼
小学校だけで良いのかもしれませんね。 中学以上はもうオタクの世界と割り切って。 まあ、世間の人間がそう思ってないのが問題なんでしょうけど。 政治については確かにそうですね。 仕組みはともかく思惑までは、どこまで読めるかわかりませんし、難しいかもしれません。 変に知った気になって学生運動みたいなのが起こっても困るだろうし。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
Cyototu先生に褒められると木に登ってしまいそうだわい。 愚拙は若い時から生意気で、学校の先生の言う事なんか聞いていなかったんだけども、ある年齢になってからもっと素直に勉強して、学問を身につけておけばよかったと思ったもんです。 実際、学問を身につけけるには、自然科学であれば数学という言葉を駆使する必要があるし、人文科学であればやはりドイツ語やフランス語(ラテン語?)、そして中国語などを駆使できないと学問にならない。 ところが、数学や自然言語を習得する最適年齢は10代~25歳ぐらいまででしょう。 やっている年齢のときにはなんでこんなの勉強せにゃならんの?と考えるわけだな。 あっしは、中年になって、必要に迫られてフランス語や韓国語、そして最近は中国語をかじってみたが、中年の脳味噌ってのは言語学習には向かないね。屁理屈こねるのに最適化されちまってんだね。 結局中学高校でならった英語と、大学で齧ったドイツ語以外は使い物にならない。 6年ほど前に作った、ハングルと日本語で裏表に書いた短文カードが手元にありますが、一旦は2百枚ぐらいの例文を裏からみて表を言えるようになったのだが、わずか7年でハングルの発音にも難儀するようになった。 中年の脳味噌では、一時記憶から永久記憶域に転記できなくなっているのでしょうな。 その一時億域まもスカスカになってくるとアルツハイマー症候群などと呼ばれるようになるんだね。 まだ、一時記憶域は機能してるので、他人にはバレてないですけど。 もっと悲しいのは、母国語、日本語でさえも、読解力が落ちてきているのじゃないかということですね。 自分の専門分野であれば、斜め読みでも中身が判るが、新しい分野に取り組んだときの読解力が落ちているね。 あるいは集中力、持続力が落ちているからなのか、途中で飽きるようなった。 いつぞや、Cyototu先生に推奨されたプリゴジンとスタンジェールの「混沌からの秩序」ね、これタイトルはカッコよくてキャッチーですが、中身はかなりパサパサな感じですよ。正直、中座しており、読破しておりません。 若い時なら400ページの和訳本など2-3日で読んでいたのにねえ。 オリジナルのロシア語版を、英語版に書きなおし、その英語版から翻訳したのものだから原典のジューシーさを失って、パサパサになってしまったに違いない、などと思っている。”酸っぱいブドウ”ですな。 でも、諦めたわけじゃないですよ。この三連休で後半を読むつもり。 何カ月も間が空いてしまったらか前半部も忘れてしまいましたが、最初に戻るよりも、一度、最後まで読もうと思って。 そうそう、最初、イリヤ・プリゴジンというロシア語の名前がなかなか覚えられなくてね、思い出すために語呂合わせを使ったんだ。 ”恐れ入谷のプリゴジン” どうです? 粋でしょう? 判る人には判りますよね? 質問者さん、 と言う訳で、このQ&Aを使って、Cyototu先生向けのスモールトークをさせてもらっちゃいましたが、学問はね、やっておいた方が良いよ。 私が学問を薦める理由:学問をやらずに来て後悔する爺さんは多いが、学問をやってきて後悔する爺さんは少ない。
お礼
使わなければ筋肉が落ちるように、勉強してこなかった人間がいきなり勉強を初めて理解できないのは当然です。 年齢のせいでも脳のせいでもありません。リハビリと考えて勉強慣れしていくしかない。 学問が必要なのは私も賛成です。 ただ、今回の質問はそういう話ではないんですよ。
- cyototu
- ベストアンサー率28% (393/1368)
#22の木造大工さん。相変わらず感心させられてしまうね。流石に年期を積んで来た大工だ。あたしゃ学者なもんだから、くどくど言葉を尽くさなきゃ物が言えない。だが、でえくさんは、くどくど言わずに俺のこと見てろってな具合で本当のとこ見せちゃうもんね。何が役に立つか、もっとお前の想像力を豊かにしてから物を言えってなところだね。やー感心、感心。
お礼
雑談はよそでやってください。 学者のくせに分別がつかないんだな~。
- R_Earl
- ベストアンサー率55% (473/849)
ANo.9です。 前回の回答では「将来国益に繋がる知識」を学ばせた方が 価値があるのではないかと書きましたが、 よくよく考えたら別に国に限る必要は無かったです。 なので正しくは「国や世界の利益に繋がる知識」となります。 ちなみに私が回答文中で用いている「国益」とか「利益」という言葉は、 単純に「得になる事」という意味で用いています。 > では訊きますが、国益ってなんなんですか? > なんのために国益を出さないといけないんでしょう? > 国って国民が集まったものじゃないんですか? > その国民が生活しやすくなっても国益にはならないんですか? > 国民の生活が苦しい国が国益を出せるんですか? 私は「国民1人が生活しやすくなる知識」が必要無いとは思っていません。 ただ、「わざわざ学校で教える必要があるのかな?」と感じるんです。 ついでに言うと、 「国や世界の利益を上げるために生徒に学問をさせるべきだ」とも思っていません。 ただ、「どうせ教えるなら、国や世界の利益になる事を教えた方が良いかも?」と感じるんです。 そもそも知識なんて、学校以外でも学ぶ事はできます。 独学で学ぶ事もできますし、知り合いから教えてもらう事も出来ます。 だから「国民1人が生活しやすくなる知識」も「国や世界の利益に繋がる知識」も 別に学校で教える必要は無いと、私は考えています。 それでもわざわざ学校という場を設けるのであれば、 そこでは「国民1人が生活しやすくなる知識」よりも 「国や世界の利益に繋がる知識」を教えた方が良いのではないかと思ったんです。 別に学校で学ばない事があったとしても、それは別の方法で学べば良いわけですし。 > 現代社会で必要な知識を持ってない人間をフォローするために、別途国は予算をかけている。 そんな事に予算ってかけてましたっけ? あまりそのあたりの事情に興味が無いので、詳しくは分からないのですが。 > それが無くなるだけで財政が軽減されるとは思いませんか? > これって国益になりませんか? 確かに財政は軽減されるかもしれませんね。 > 「国益に繋がる知識=国民一人一人が潤う知識」じゃないの? そうとも限りません。 全く役に立たないと思われていたものが、 思わぬ方法で役立った例もあります。 > ただ、あなたは悪くない。 > そういう教育をしたのは無駄が多い現代の学校です。 回答文に国益だとか利益とか書いておいてなんですが、 私は実利の無い「無駄な事」も好きです。 役に立たないそうな事も、面白いと感じれば学びます。 こういった「無駄」な部分も含んでいるから、学問は面白いのだと思うのですが…。
お礼
その学校で教える必要のない知識を教えられる人間が、学校の外にはいないということなんですよ。親ですらね。 大学院まで出てニートになっている輩がいます。 生活する力がないんですよ、こういう人って。 レベルの高い知識を保有していながら働かない。 そのレベルに達するまで、親も国も投資してきてるわけですよ。 これって大きな損失じゃないですか? フォローするための予算ですが、生活保護だってそうですよね。 ちょっと話を広げすぎて破綻しかけてはいませんか?
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
>ん~、でも片方だけの靴下とか入ってたら怒るでしょ? あのね、その片方だけの靴下ってのは、質問者さんが子供をもうけた時、クリスマスの夜に使えるものなんだぜ!(笑)
お礼
あ~、年に一回しか使わないものを数年かけて覚えろ、そう言いたいの?(笑)
- cyototu
- ベストアンサー率28% (393/1368)
>役に立ったと実感できない教育なんて失敗としか言えません。 ここに何かで出だし近代科学の成果を全く無視した躓きが在りますね。教育を随分即物的に考えている。確かに、実務で役に立つことに限るのだったら、読み書きそろばんで十分んだと言う極論も出て来ますよね。話しが超単純で、一見分かり易く、人間社会の複雑さや、未来予測の本質的な不可能性や、歴史的な人間の経験が一切考慮されておらず、今直ぐこの先どうなるかが解らなくては、そして、どんな未来が約束されているのかが判らなくては、何かを始める気になれないという、だだを捏ねているように見えます。これが、戦後の豊かさにどっぷり浸かり、ゆとりが良いんだと言い出すような文化の生み出した一つの典型的な考え方なのかしら。 近代科学の成果ですが、カオスの理論と呼ばれる現代数学の分野での大発見は、一見超簡単に見える微分方程式の解が実は滅茶苦茶に複雑な振る舞いをして、どんなに小さい誤差でも、それが入ると、未来が全く予測できなくなることを発見したことですね。質問者さんも「バタフライ効果」という言葉を聞いたことがあるかもしれませんが、蝶々が飛んだだけで、数ヶ月後の天気がガラっと変わってしまうことが起こることが解るようになって来た。ましてや、人間のやる複雑な振る舞いについて、未来に何が起こるかの予測は原理的に不可能になっているのです。だから、現代科学の進歩の大切な結果の一つとして、具体的に未来にこう言う結果を得たいから、今こう言う準備をしておくのだと言う話しは、説得力がなくなってしまったのです。 もう一つの「散逸構造論」と呼ばれる近代物理学の成果は、物理学的な世界で何か新しい構造が自発的に出来上がって来る過程では、前もってのシナリオが在るのではなくて、また、何かの目的が在るわけでもなく、いろいろな偶然が本質的であり、その成り行きで擦った揉んだしながら構造が出来上がって来ることが解るようになった。そして、その過程ではその構造に直接関係ない無駄な副産物を一杯作り出さなくれはならない。さらに、偶然な成り行きで納まるところに納まるように出来上がって来たので、偶然にやって来る予測不可能な邪魔に対して抵抗力のある安定した構造が得られる。それに対して、人間の作る機械のように前持ったシナリオに基づいて作られたものは、そのシナリオに含まれていなかった予想外の事が起こると、その構造は一遍に壊れてしまうのです。また、その構造を作り出すために出て来た一見無駄な副残物は、環境があまり変わらないときには確かに無駄な侭なのですが、何かの事情で環境が変わってしまったときに、その副産物がいきなり役に立つこともある事も解るようになった。要するに、予測不可能な訳の分からない偶然に基づいて出来上がった構造だから、周りの環境の変化に対して適応力が在るわけです。実は、生物はこの散逸構造という偶然を契機として出来上がっているから、これだけ安定して存在できていることが明らかにされたのです。その事実を発見した方は、ノーベル賞を受賞しています。 別な言い方をすると、これだけ予測不可能で次に何が起こるか解らない世界で安定に存在するためには、これ役に立つからやるとか、あれは役に立たないからやらないという作戦では生き残れないと言うことです。いろいろな偶然に委ねる準備をして、一見役に立たない無駄を一杯経験しておかなくてはならないのです。それが役に立たなかったらそれは単に幸運であったと言うだけのことですが、そんな幸運で一生過ごせる人は滅多にいないでしょう。 ところで、偶然とは言ってもそれは何でも在りのデタラメな世界ではないんですね。また上のカオスのことに触れますが、カオスの世界は全くのデタラメではなく、かといって予測可能な世界でもない、デタラメと秩序の中間にある。だから、それなりの秩序に基づいて、どの辺りの準備をし置けば100%とは言えないが、ある程度の高い確率で何が起きそうかと言うことの予測が出来る世界でもあるんですね。だから、それを見抜くには経験を積んだ教育者が必要で、この部分で教育の質が試されるわけです。教育者は自分の経験や過去の歴史や、自分および他の人達の思索で得られた物を分析して、直ぐに役に立つことばかりではなく、どの方向でどの程度の無駄なことを勉強させておく必要があり、どんな無駄はさせない方が良いかの判断が出来なくてはならない。 前の船乗りの学校の例でも、直ぐに役に立つ船の乗り方ばかり教えていると、思いがけない出来事が起こった時に役に立たない船乗りになってしまう可能性がある。だから、商船学校の先生は、無駄と見えているものを上手に取捨選択して、利益中心の我々商船会社では教えている暇のない無駄もたっぷり教えて置いてくれ、と会社の人は言っているのです。
お礼
カオス理論まで持ち出すのはオーバー過ぎな気がしますね。 そういう考え方としたとしても、大人という結果が訪れた時にまで教科書に書いてあることが有意義だと思えないのはなぜなのか?ということになってくるんですよ。 カオスなんて高尚な物を持ち出さなくても、たとえばライフルを撃つ時、手元で1mmずれれば数百m先では数十cmずれるという説明の方がわかりやすいと思います。 こう考えればわざわざカオス理論なんてものを出して、話を難しくしているのが愚かしいとは思えませんか? 今の教育はそんな状態でしょう。 もっと簡単で必要なものを教えず、やたらとオーバーな知識を盛り込んで、その難しさ故にどこで役立つか理解できず、無駄だと判断(勘違い)してるんじゃないでしょうか?
- Kules
- ベストアンサー率47% (292/619)
A No.13のKulesです。 回答した後に「何か誤解されそうな気が…」とは思ってましたが、 本当に誤解されるとやはり自分の国語力のなさにへこみますね。 さて、 >「役に立つかどうかわからないけど、とりあえず・・・」 ここで誤解を受ける表現をしてしまっていたようですね。 「役に立つかどうかわからない」というのは、 「役に立つか、役に立たないかわからない」ということではありません。 「今学んでいることが役に立つ場面はあるんだけど、その場面に遭遇するかどうかはわからない」ということです。 例えば、生まれた時から数学教師になることが運命づけられている人がいるとしましょう。 この人にとっては、学校で学ぶ数学は間違いなく役に立つことで、国語や理科、家庭科や音楽といったものは役立つ可能性が低いです。仕事に限って言えば、「役に立つことはない」と断言してしまってもいいかも知れません。 ただ、こんな人っているでしょうか?私は会ったことありません。 ほとんどの場合、学校に通っている身分の間は、将来の自分が何をしているかも、将来の自分にとって何が役に立つかも、役に立たないかもわかりません。(ある程度はわかっても、それは100%ではありません) だからこそ、「役立つ場面がくるかどうかわからないけど、とりあえず取り組んでみよう」という姿勢でいることは大事だと思います。学校の勉強にしてもそれ以外の勉強にしても。 ということで、 >そういう教育を受けた大人が教育する立場になったところで、「役に立つかどうかわからないけど、とりあえず教える」ことしかできないでしょうね。 >どこで役に立てるのかゴールを知らない人が、どうやって行き先を示すのか。 この辺りは私の思いの外にあるところです。「どこ」で役に立てるかは知っています(知っていてほしいです。少なくとも現役の先生たちには) しかし、先生はエスパーではありませんから、自分の目の前にいる生徒が将来何になって、将来どのような場面に出くわすことがあって、今どのようなことを学べばその時の役に立つのかまではわかりません。 高校ぐらいまで(人によっては大学まで)で学んだことは大体役に立ちますが、全員が全員その知識が役に立つ場面に出くわせるとは限りません。ひょっとしたら、本当は役に立つ場面があったのにそれを知らなかったが故に気づかず通り過ぎてしまい、損していることだってあるかも知れません。 >マニュアルが変わっては困りますが、内容がトンチンカンなマニュアルを参考にする方が迷走してしまうんじゃないでしょうか? これに関してはとても難しいです。 「今学んでいるものは将来的には役に立つんだろうけども、それを役に立てられる人があまりにも少ない。だからもっと多くの割合の人が将来役に立つ可能性が大きいことに教える内容をシフトしよう」 と誰か偉い人が言ったとします。さらに、これが実行されることになったとしましょう。 多分辿るケースは次のどれかです。 ・内容が変わるということは、今教えているもので教えなくなるものがあるであろう。その「教えなくなるもの」を教えている立場の人や、その関係者が反発したり、いろんなしがらみがあったりで結局内容が決まらず、最終的な内容が決まった時にはその内容すら陳腐なものになっているだろう。 ・○年後から何が何でも始める!と言ってマニュアルを作り始めるものの、時間不足・人材不足・その他もろもろにより、今あるマニュアルよりもトンチンカンなものが出来上がってくるだろう 今ある教育のマニュアルは決して100点ではないし、60点ですらないかも知れない。マニュアルを一から作り直すことで、70点ぐらいのものが出来上がってくるかも知れないけど、まずそれが何年使えるものになるのかわからない(直接的に役に立つもの、というのは多少世の中の情勢などを反映するため、マニュアルを作った当時は役に立つと思われていてもその3年後には役に立たなくなるかも知れません) その上、さんざんお金と時間と労働力をかけて出来上がってきたものが30点のマニュアルになってしまうかも知れない。 そんなリスクを背負うぐらいだったら、今のマニュアルは不十分だけどもうこれ使っておこうよ… という風になってるんじゃないかな、というのも私の思いの1つです。 長文失礼しました。参考になれば幸いです。
お礼
数学者のくだりの言いたいことは分かるんですよ。 他の人も言ってるのは、そういった部分だってことも。 ただ、それが許されるのは他に教えるべきことがない場合だと思うんですよね。 世の中には年金の計算方法どころか、自分の給料から引かれている税金や社会保険料の計算方法すら知らない人が多くいるわけです。 就職一つにしたって、初任給や平均賃金ばかりに目がいって、昇給カーブが一番重要ってことを知らない人も多いんですよ。 こういう最低限必要なことから教えていくものではないかなというのが私の意見なんです。 ただ、教えなくなる物を教えていた人たちの反発というのには納得させられました。 たぶん、そういうのがほとんどの原因なのかもしれませんね。 自分は通り過ぎた後だから、後から来る子供に必要かどうかは関係ない。自分の利権だけが大事と思ってる人がほとんどなのでしょう。 そういった混沌としたことを考えれば、教科書の内容は多少マシなのかもしれませんね。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
>漏れなく学校で習ったことが役に立ってるのかな? 学問をするってのは、譬えてみれば新春のデパートで福袋を手に入れる様なものなんだな。 色々な物が入っていて、役に立つモノ、欲しかったモノの入っているが、役に立たないモノ、しょうもないモノも含まれている。 今しょうもないモノと思っていても5年後、10年後に役立つこともある。 考えてもごらんなさい、学問が未来に対する準備であることを考えれば、今学習していることが100%が役に立つことは理論的に不可能でしょう。 だから、学問を福袋と考えおけばよろしい。 私自身は福袋は買わないけどね、、、、。
お礼
ん~、でも片方だけの靴下とか入ってたら怒るでしょ? なんだかそんな感じなんですよね、教科書って。 でも、なかなか旨い言い回しだと思いました。
- hunaskin
- ベストアンサー率30% (1854/6060)
>「その人による」で片付けるなら教師も教科書もいらないんじゃないですか? いいえ必要です。 子どもの時に教わったことがどう役立つか、役に立たないかは人それぞれですが 子ども一人ひとりにカリキュラムを設定できるわけでは無いので、できるだけ多くの可能性を試そう、というのが現代の教育です。 ひとも資源も時間も有限と言う事、完璧な教育なんて無いと言う事がどうしても理解できないようですね。 回答の必要が無ければ、「よくわかりました」でも「ありがとうございました」で終わらせれば良いんですよ。 次から次へと理解できないことや疑問が湧いておいでのようなので回答さしあげました。 自分に不都合な回答をシャットアウトしたいならそうする手段もありますけどね。
お礼
完璧な教育が無いなら生活に必要なことだけでも教えておけと言ってるんですよ。 不都合ならまだいい。 あなたの回答は意味が無いと言っているんです。 のらりくらりとかわすだけで理解させようともしていないくせに偉そうにしないでください。 回答するなと言われたら回答しなければ良いだけじゃないんですか? なんでこっちが分かりもしない、ありがたくも無い回答に「よくわかりました」とは「ありがとうございました」言わなきゃならないんだ。どれだけ上から目線だよ。 あなたは学校で人の嫌がることをしましょうと習ったんでしょうか?無駄に歳食ってるんですね。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
>学校で習ったことは役に立たない、社会で通用しないと、大学を出た人ですら言ってますよね。 そう言っている人もいると思うが、本質は「学校で習ったこと以外にも、社会にでてから学ぶことが沢山ある」と言いたいのじゃないでしょうか。 なぜ私がそう推量するかと言うと、上記の発言をしているような大学を出た人は、自分の子弟にも高等教育を受けさすからです。大変な学費を負担して、自分の子供にも高等教育をうける機会を提供しようとしています。 とはいえ、高等教育をでなくても充実した人生を送る方法は幾らでもありますから、質問者さんが学校教育は無駄だと確信するならば、学校に行かなくても良い。(義務教育は親の義務だから、親を義務違反にしないために中学校までは行くように!)
お礼
そのかかる学費の割りにと思っちゃうんですよね。 「学校で習ったこと以外にも、社会にでてから学ぶことが沢山ある」というのは、少なくとも学校で習ったことが元にできるということじゃないんでしょうか。 それともそこまで言える人というのは、漏れなく学校で習ったことが役に立ってるのかな?その上でそういうんなら良いんだけど。 だって親になってから子供の教科書を見て、これはこういう時に役に立つんだよと言える人って少ないでしょ。 自分の子供に高等教育というのも、その内容理解してるかは別じゃないんでしょうか? いい大学出ていればいい会社に~みたいな。 高校出てなくても銀行とかに就職できるなら、誰も学校に通わせないんじゃないかな。
お礼
そういうお話ならまだ納得できます。 勉強できない人間が負け惜しみで無駄だと言ってるのもあるだろうし、その分野を仕事にしてる人たちが職を失うのを恐れてなど、しっかりと回答になっていますし、私も以前の回答ではそれを認めていますよ。 なぜ変えないのか?であって、何がいらないのか?の話はしてないんですよ。 まあ、でも自分が受けるわけでないから真面目に考える人は少ないというのは確かなんでしょう。 現にここでの回答も、質問を無視して自分に役に立ったことを延々と語り出すものが多いですし。 そういう博識気取りのオタクたちが、それなりの地位についてることもあるんでしょう。 文章の長さを問わず的を射たご回答なら大歓迎ですよ。