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第二次上海事変と日中戦争について

私は今、15年戦争について調べています。 そこでお聞きしたいのですが、 第二次上海事変=日中戦争なのでしょうか? 先ほどからいろいろなサイトを見ているのですが、 よくわからないのです。 なんだか頭がグルグルしてきました。 簡単な説明をしてくださると有りがたいです。 どうぞよろしくお願いいたします。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#126371
noname#126371
回答No.3

日中戦争までのプロセスを簡単に説明したいと思います まず1935年~36年にかけて、「華北分離工作」というものを軍部でやろうとしていました。 これは関東軍による、華北(チャハル省・スイエン省・河北省・山西省・山東省)を、中国の国民政府の統治から切り離して支配しようとしていました(予備知識として、このころの日本は中国を植民地化しようとしていました。) 華北分離工作の目的はずばり、ソ連の侵略を防ぐことにありました。ソ連も中国のこの地域を狙い、事業を拡大しようと考えていたんですね。 で、そんな中ある事件が起こりました。それは「西安事件」です。これは国民共産党の「張学良」が国民政府の「蒋介石」を軟禁し、説得した事件です。 どんな説得をしたのかというと、この国民政府である「蒋介石」は日本と仲が良かったのですが、そんな蒋介石に対して張学良が「日本と仲良くするのはやめて、俺たちいっしょになって日本に対抗していこうぜっ!」と言ったのです。蒋介石はこれに応じ、日本と仲良くするのをやめて共産党といっしょに日本と戦っていくことを決めたのです。 当然これに怒った日本は1937年に「廬溝橋事件」というのを起こします。これは日中の軍隊の北京郊外での衝突事件です。ぶっちゃけこれが日中戦争の引き金とも言えるでしょう。 これを最初は「北支事変」、のちに「支那事変」といいます。 実はこの日中の軍隊の衝突は突然起こりました。つまり「宣戦布告」を行わずにやったのです。何故かというと、これはアメリカの「中立法」の適用をさけるためです。アメリカに見放されては困るので、どちらも宣戦布告を行わないで、両者は戦争になったんですね。 当時内閣は不拡大方針……つまりあまり長引いた戦争はしたくないと思っていたのですが、軍部の圧力に負けて、戦線は拡大することになりました。 そして同年の9月に日本は上海を占領します。これが「第2次上海事変」です。 そしてそののち12月には「南京占領」をして、あのおぞましい「南京大虐殺」が起こってしまったのです。(これは本当なのかどうかはよく分からないところ。) というような感じです。

Gpoinnto
質問者

お礼

丁寧に、解説まで入れてくださってどうもありがとうございます。 とっても、よく分かりました。 サイトとかも、これぐらい書いてくださればいいのに・・(笑 ありがとうございました!!

その他の回答 (2)

  • tande
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回答No.2

第二次上海事変は支那事変に含まれます。 含まれるのであって、第二次上海事変=支那事変(日中戦争)ではありません。 昭和12年9月2日 事変呼称に関する件 今回の事変は支那事変と呼称す 今回の事変は北支盧溝橋付近における日支兵衝突に端を発したるものなるも、今や支那全体に及ぶ事変と化したるを以てその呼称も名実相伴う如くし、国民の意思統一するの必要あるによる 盧溝橋事件が7月、第二次上海事変は8月であり、9月の決定で支那全域の戦闘を支那事変と定めています。

Gpoinnto
質問者

お礼

ありがとうございます。 ちょっと分かりました!!

  • AVENGER
  • ベストアンサー率21% (2219/10376)
回答No.1
Gpoinnto
質問者

お礼

ありがとうございました。

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