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「小路」について
漢字の「小路」と「小道」の違いは何ですか? また、「小路」は「こみち」と読むのが正しいのでしょうか? もしくは、「こうじ」と読むのが正しいのでしょうか?
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ANo.3 再続です。 背景につき拝見しました。 【小路】の読みは何が正しいか と言うよりも、大通りの脇道をどのようにいうか ですね。 そのような情況ないし用法でしたら、私の場合は、 1.【路地】ロジ 2.【横丁】ヨコチョウ 3.細い道、細い路地(ろじ) 4.【小路】コウジ を使います。1・2・3はほぼ同等で、話題や話し相手、その場所の風景や雰囲気によります。友人の用例「~右に曲がり、コウジを通って行く」のように私が言う場合は、後出のような一定のイメージが前提になります。お友達は生来の習慣で言ったかもしれませんが。 なお、ご質問の情況で【小路】こみち は使いません。語感・体感として馴染まないからです。 【小路】コウジ:街中の街区の一部を想う。 XX小路のような一定のイメージがついている。 そこを入ると人の生活や経済活動がある。 【横丁】:住宅街も含めて街区の一部を想う。生活がある。 【路地】:物理的に、大きな道に付いた相対的に小さな道。 【こみち-小道・小路】:自然が付きまとう。人工的街区を想起しない。街中の道を"こみち"と言う例は見た記憶がない。 注:"こみち"でなく"小さな道"ならば常用される。"こみち"は熟語で一定の属性がつきまといます。"小さな+道"は形容詞+一般名詞なので、特定の色合いはなく汎用性があります。 「小路とはどのように読むのでしょうか?」+「質問の背景」 を踏まえて、以上の如く小生の考えを述べました。貴殿はご自身の感性で"コミチ"で通すことに反対はしません。人は所詮自分の感性で話し自分の感性で聞きますから、ある人は素直に聞き、ある人は違和感をもって聞くのが常です。一般から余りにかけ離れていると"異な人"と思われもしますが。言葉は個人の感性--育った環境、知識、方言や土地の慣用など--によります。社会では、相手に合わせて言葉を選ぶことも求められます。読みや使い方の適否を探るには、先回も述べたように、日ごろから辞書や用例、更に書物に学ぶのが効果的です。
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- yanhua
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ANo.2つづきです。 質問の背景や意図が不明なので適切か否か分かりませんが以下、貴補足へのおこたえです。 【小路】:音読み=こうじ、しょうじ 訓読み=こみち ⇔反対語 【大路】:音読み=おおじ、たいろ 訓読み=(おおみち)辞書にはないが意図的にこの読みをする人も。 【小道】:音読み=しょうどう 訓読み=こみち ⇔反対語 【大道】:音読み=だいどう、たいどう 訓読み=おおみち 前回も述べたように、"路"は元来"道"の意。 従って、"路"も訓で読めば"みち"となります。 国語辞典は、歴史的に文献や社会的用語として定着しているか否かを判断して、言葉を選びます。選ぶのは出版社から依頼された学者(等)ですから、辞書の作成時期や学者の主張や見識、更に収載語数(大きい辞書か小さい辞書か)によって内容は異なります。同一語についても、読み方や意味は、広く通用しているものしか採用しない場合もあれば、稀有なものまで採用する辞書もあります。 用例としては、コウジが圧倒的に多いでしょう。 広小路、姉小路、狸小路、袋小路、etc.地名の類に多くあるからです。 ちなみに大路も、都大路、朱雀大路、北大路etc.。 コミチと読むのは、小説家/詩人/歌人などの文筆家が意図的に使い分けています。また日本語の情緒を大切にしたい場合、女らしい優しさを添えたい場合などは一般人も使い分けています。 従って、【小路】の読みは コミチ、コウジ 両方とも正しいのです。 コミチは こみち の方が似合いますね。 言葉は会話であれ、文章であれ、主題と文脈の中でニュアンスも読みも変化が大きいので、一概に決めつけることは避けねばなりません。試験対策などは国語辞典準拠でしょうけれど。本を読む、辞書を引いたら用例を見るなどで、使い分けが身に付きます。
お礼
再度のご回答をいただき、大変ありがとうございます。 質問の背景と意図を省略していましたが、詳細にご説明させていただきます。少し長文になりますぎご了承ください。 実は先日、友人と会話しているときに、友人が「〇〇大通を右に曲がり、コウジを通って行く」と言いましたので、私は「コウジ? 何それ?」と聞きました。すると友人は「大通りに対して小さい道のこと」と言いましたので、私は「それはわかりにくい。コウジは道路名や地名ではよく使うけど、会話表現としてはコミチを使うべき」と言いました。すると友人は「秋田(その友人は秋田県出身です)では家族もコウジと使っていた。通じていた」と言いましたので、私は「それじゃ、次に会うときまでに調べてくる」となった次第です。 私は「小路」の読み方は「コミチ」でも「コウジ」でもどちらでも良いことは存じていましたが、上述のような会話表現ではどちらのほうが慣用的なのか、どちらのほうが適しているのかわかりませんでしたので、辞書などで調べたのですがそこまで詳細には掲載されていませんでしたから、教えてgooのほうで質問させていただきました。 yanhuaさんがおっしゃる通り、前後の文脈などで変わるのだと思うのですが、一般会話において、どちらの読みが適切かはなかなか難しいのでしょうか。ただ、私は「コウジ」と言われてもピンとこないです。「コミチ」ならわかるのですが。それとも東北ではそのように読むのですかね。
- yanhua
- ベストアンサー率72% (508/701)
辞書を見ましょう、 例えば三省堂大辞林です。 http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?search=%E5%B0%8F%E8%B7%AF&match=beginswith&itemid=09830400 【小路】こみち (1)狭い道。細い道。 (2)わき道。枝道。 【小路】こうじ 「こみち」の転か。小さい道。大通りから入りこんだ幅の狭い道。こみち。 【小路】しょうじ こみち。こうじ。小巷(しようこう)。 【小道】こみち (1)狭い道。細い道。 (2)わき道。枝道。 【小道】しょうどう (1)狭い道。細い道。 他の辞書でも実質は同じです。 回答: 1.【小路】も【小道】も上記のように、物理的には幅の狭い、従って山中や脇道や枝道にありがちな細い道/路を指します。しゃべっている場合は文字を気にせず"こみち"で間に合います。 2.ところで、路 と 道 は両方とも みち の意味ですが、やや内在する意味が異なります。 道:いわゆる"みち"以外に、法則、規律、方法、やり方,手段などの意味も。 茶道、華道、柔道、道教、道理、人の道...。 路:いわゆる"みち"ですが、路程、行程、路次、古くは路車、路岐なども。 漢字の原典『説文解字』では、路は道のこと、細部は省いて道・路・途とも"みち"でお祓い、修祓に関わる原義。時代が下るとともに用法が定まってきました。 路は(人の)通行のためのみちで、多分に人工的で政治的、経済的要素を持ちます。上記に、小路の説明で小巷とありますが、巷(ちまた)はまさに人工的街区の路地や横丁です。 3.従って、山や森のこみちは小道であり、小路とは言い難い。都市の繁華街の横丁は小路や路地であり、小道では違和感があります。 4.前記のように、話すときは"こみち"で差はありませんが、文章を書く場合やきちんとした話をする場合は、文字が本来持つ意味を含んで読み方を選んだり、文字を使い分けます。 ☆すなわち、どう読むかは、書いた人がどう読ませたいかをくみ取る、つまり、文字の原義と文脈を踏まえて、判断することになります。自分で書く場合も同様に使い分けます。"しょうじ"や"しょうどう"と読ませたいか否かは、文体との関係など、書き手の意図によります。
補足
ご回答いただき、ありがとうございます。 hakobuluさんにお聞きしたのですが、小路(こうじ)の反対は大路(おうじ)のようですので、ということは、一般的に小路(こうじ)と読むのでしょうか? もしくは小路(こみち)と読むのでしょうか? 私はここがわかりません。 ご回答くださった文面を読んで、小路と小道の違いは大変よく理解できました。ありがとうございます。 あと一点だけ教えてくだされば幸いなのですが、小路とはどのように読むのでしょうか? コミチかコウジかどちらなのかよくわかりません。
- hakobulu
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「小路」は、「こうじ」と読むようです。 ただ、「こみち」と入力しても変換されますから、そう読んでも間違いではないのでしょう。 町の中にあって、建物の間を通っているような小さな道のこと。 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E5%B0%8F%E8%B7%AF&stype=1&dtype=0 「小道(小径)」は、単に幅の狭い道のことです。 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E5%B0%8F%E9%81%93&stype=1&dtype=0
補足
ご回答いただき、ありがとうございます。 小路(こうじ)の反対は大路(おうじ)のようですが、ということは、一般的に小路(こうじ)と読むのでしょうか? もしくは小路(こみち)と読むのでしょうか? 私はここがわかりません。
お礼
度重なるご教授をいただき、真にありがとうございます。 >人は所詮自分の感性で話し自分の感性で聞きますから、ある人は素直に聞き、ある人は違和感をもって聞くのが常です。一般から余りにかけ離れていると"異な人"と思われもしますが。言葉は個人の感性--育った環境、知識、方言や土地の慣用など--によります。社会では、相手に合わせて言葉を選ぶことも求められます。読みや使い方の適否を探るには、先回も述べたように、日ごろから辞書や用例、更に書物に学ぶのが効果的です。 大変勉強になりました。yanhuaさんは国語の先生ですか? 上述は本当にその通りだなと納得しました。言葉は、明らかな誤謬を除き、使い方は多肢に渡るので、常日頃の国語力向上の鍛錬を怠らないこと。そうすれば、言葉の使い方は広がり、どれが適切か、どれが相応しいか、などの判断もつく。ということですね。私はもっと基本的な日本語練習帳のような本を購入して勉強することにします。これを機に、漢検を受験しようかなと考えてもいます。私は英語ばかり勉強していますが、これからは日本語にも力を入れていきます。 今回は度重なるご教授をいただき、本当にありがとうございました。とても勉強になりました。ありがとうございました。