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こころにおける先生にとっての私、Kの存在
「こころ」における先生にとっての私とKの存在はどういったものなのでしょうか? あと、先生と私の社会的階層についても教えてくださると助かります;
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「先生」にとっての「K」は、「良心」「倫理」「道徳」といったものから離れそうになる自分をそれらに結び続けておく存在です。「先生」は「K」の死という事実から、常に自分自身に「良心」「倫理」「道徳」の定規を当て続けざるをえなかったわけです。 「先生」とっての「私」は、「良心」「倫理」「道徳」から離れそうになる自分を留める煩悶と苦悩の継承者となる存在です。「先生と遺書」の第2章の最後の部分に「私の鼓動が停つた時、あなたの胸に新らしい命が宿る事が出来るなら満足です」とあります。「先生」は「私」に継承者になる資格を見出し、自分の過去を打ち明けてその煩悶と苦悩を「私」に引き渡したのでしょう。 漱石に関するある解説に「漱石の後半期の諸作品においては、知識階級人というものは、道徳の実践者としても、またその違反者とても、道徳や正義を意識する鋭さや強さにおいて人間社会の代表的存在として描かれている」とあります。「私」と「先生」は道徳や正義を意識する鋭さや強さを備えた知識階級に属する人たちで、しかも、道徳の実践者としても違反者としてもその意識を実施に移すことができるだけの意志と余裕のある人たちです。
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noname#160411
回答No.1
念のため補足要求です。ご質問の「私」とはもちろん、上・中の「私」ですよね? >先生の社会的階層 作中にも何度も出てきますが、東京帝国大学卒業です。当時の帝大生と言えば、よほど暇と金のある人々です。先生は叔父に遺産を大分だまし取られたのに残った金の利子も使い切れなかったとあります。卒業後も働かずに奥さんを養い下女を雇っています。いわゆる「富裕層」です。
お礼
ありがとうございました!
補足
上・中の「私」のことです。説明不足ですみません。