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「ぼく」と「僕」の違いと野田洋次郎さんの曲『「ぼく」と「僕」』の意味とは?
- 日本語の「ぼく」と「僕」の違いについて説明してください。
- 野田洋次郎さんが作詞した『「ぼく」と「僕」』という曲のタイトルの意味について教えてください。
- 歌詞の和訳を見ても、「ぼく」と「僕」の歌の意味がよくわかりません。教えていただけると嬉しいです。
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(1)人称について 基本的に「ぼく、僕」の二つの差は無く、一人で二つを使い分けている人は少ないと思います。「俺」(くだけた表現)と「私」(公式の表現)を使い分けるのとは、少し違います。発音が同じなので、「俺」/「私」のように使い分けるメリットがあまりないのです。 私個人には、「ぼく」は「僕」という書くのが難しい漢字を憶える前の十五歳前後の少年という印象があります。大きく分けると、次のようになるでしょうか。 ・ぼく:十五前後の少年。 ・僕:三十代後半まで有効な一人称。 詩人や作家が六十を過ぎても「ぼく」という人称を使うのは、若いときの心を忘れたくないからでしょう。「男性が自分の気持ちをあまり強調したくない時」というのは、少年の主体が強くないという意味でなら、同意するところです。 (2)歌詞について 「ぼく」が未成熟な少年であるという解釈は、例に出している歌詞にもよくあらわれているといえます(議論をシンプル化するために和訳だけ使います)。まず「ぼく」が何者かという話ですが、次の一節に注目してみましょう。 >「ぼく」はこの世の最も美しい真実を知ってるただ一人の人間だったの この一節にあらわれているように、「ぼく」とは世界の真実を素朴に信じていた幼い主体なのです。しかし幼い少年の信じていた世界は崩れていきます。したがって、「でもね 何もなかったの 『ぼく』ができることなんて 何もなかったの」。あるいは「壊されてること 全然考えてこなかった」。 こうした行き詰まりにあって、少年の心の中には、二つの主体がうまれます。一つは幼い素朴な「ぼく」。もうひとつは、かつての自分を冷ややかに見つめる少し大人の「僕」。 二人の関係は第一節に描かれているように、「『ぼく』は『僕』の隣に裸になって立ってたの」であり、「ぼく」は「僕」に隅々まで見透かされて観察されているというものです。そして「僕」が上を飛んでいるように、「僕」は「ぼく」の上位の主体なのです。フロイトの言葉を借りて簡単にいえば、「僕」は超自我で、「ぼく」は自我だといえるでしょうか。 そして「君が行く池に『ぼく』は飛び込んで落ちたりしていないよ」というように、「君=僕」は自殺を囁くシニカルな主体でもあったことが伺い知れます。 歌詞全体は、幼いころに信じていた世界観というものが崩れた少年が、その後、どうやって生きていったらいいかを戸惑っているところから始まります。そして少年の中で二人に分裂した「ぼく」と「僕」が対話し、次のように開き直り、強く生きていく決意をします。 >だから「ぼく」は"何もない"自分を呼び起こすように自分を信じたの そして「ぼく」は「僕」がささやく自殺などの誘惑を退け、最後に「『ぼく』はもう二度と泣く必要なんてない」と宣言するところで終わります。 これは思春期の葛藤を描いた歌詞であると言えます。
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- wind-sky-wind
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「僕」「ぼく」「ボク」 「君」「きみ」「キミ」 「私」「わたし」(「ワタシ」はまれ) それぞれ特に決まりがあるわけではなく,個人差があると思います。 私の個人的な考えを含めて申し上げると, 大人の男性が自分のことを言うのに 「私」「僕」が普通で,「わたし」「ぼく」「ボク」はあまり使いません。 「わたし」は女性なら普通に使う。 「ぼく」は子供のイメージ。 「ボク」は女子中高生が自分のことをふざけて言う感じ。 (この「ボク」は主に,小説やマンガのイメージで本当の女の子は使っていないかもしれません) 今回の「ぼく」と「僕」ですが, 英語の歌詞では I, he, you の三者が登場し, 訳詞では I を「ぼく」,he を「僕」,you を「君」としています。 he が I の内にある別の自分で,それを「僕」と「ぼく」で使い分けているのかもしれません。 英語では I しか単語がないので,しかたなく he としているが,日本語では使い分けができる。 あるいは,he は本当の第三者で,ただ日本語では「僕」としているだけ。 このあたりは作者でないとわかりません。 これは日本人なら普通はどうか,というのはありません。 あくまでも個人の問題です。
お礼
ご丁寧に教えていただきありがとうございます。理解できるようになりました。大変参考になりました。本当にありがとうございました。
なんか英語より日本語の問題ですね。 お示しの英語歌詞を読んだ感じでは、おそらくは挫折した若い人間が、立ち直ろうとする瞬間を捕らえたものだと感じました。 で、「ぼく」と「僕」の違いです。これは私個人の感じている違いであって、別にそういう定義があるとか、客観性があるとかではありません。あくまでも私個人の主観です。 「ぼく」とひらがなで書くと「僕」と感じで書くのに比べて、良くも悪くも、幼い感じがします。極端に言えば「ぼく」なら子供、「僕」なら大人です。 おそらく、その歌はまだ幼かった(思春期かもしれません)「ぼく」が失恋か何か分かりませんが、挫折することがあり、悩み苦しみ、それを乗り越えることによって成長し、もっと大人に近づいた「僕」になったのだろうと思います。 歌詞は感覚で感じるものだと思うので、そういうのが苦手な私ではうまく説明できません。 ただ、なんとなく「彼」というのは「ぼく」がなりたい自分のイメージ、あるいは理想像であるように思えます。 挫折して自信を失った「ぼく」は、そういう理想像である「彼」から目をそむけようとして、自分をごまかそうとした。でも何とか乗り越えて「僕」となれた。 でも「僕」は「彼」のようになれたかどうかは分かりませんが。 そのように感じました。思春期は「自己同一性」ということが起きる時期で、自分のなりたいイメージを模索し、そのようになること、そういうことをする時期です。ですので、その歌詞が表現している状況は、よくあることではないかと思います。 ちなみに、カタカナで「ボク」と書くと、私にはなんとなく気取った感じがします。
お礼
ご親切に教えていただきありがとうございます。わかるようになりました。大変参考になりました。本当にありがとうございました。
- eiji-shige
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直接の回答はNo.1さんが十分なさっていると思いますが、補足をいくつか。 私もふだん「僕」という一人称を使いますが、「ぼく」と「僕」に意味の差があるとは意識していません。あえて使い分ける場合は、社会学でいうIとmeのような関係ではないでしょうか。つまり、「語る私」と「語られる私」という区別です。RADWINPSの歌詞もそのような違いだと思います(歌詞の中ではIとheで使い分けています)。 ただし小説やプライベートなメール・手紙などではあるかもしれませんが、「僕」にしても「ぼく」にしても、公にする文章にはまず使わない一人称です。ですので、質問者様がどのような場面でその使い分けを見られたのかわかりませんが、小説などであえて使い分けている場合は、その作家がなんらかの意味を付け加えている可能性は考えられます。 またこのような質問の場合は国語カテの方がよいと思われます。英語の歌詞はついていますが、一番お聞きになりたいのは「僕」と「ぼく」の違いについてでしょうから。 最後に質問文の日本語が不自然だとは思いませんでしたが、細かいことを承知であえて指摘するなら、最初の一文「国語カテと英語カテのどちらにするのか困っていて、結局英語カテに投稿させていただきます。」は、「国語カテと英語カテのどちらに投稿すべきか迷いましたが、結局英語カテに投稿させていただきました。」としたほうが自然だと思います。「結局」という語がつくと、語尾は過去形になるのが自然です。「結局」の後がなければ、「投稿させていただきます」と現在形でも問題はありません。 以上です。
お礼
ご親切に教えていただきありがとうございます。とても参考になりました。質問文の添削にも感謝いたします。一箇所意味がわからないところがあります。もう一度教えていただけないでしょうか。
補足
>「結局」の後がなければ、「投稿させていただきます」と現在形でも問題はありません。 『「結局」の後』はどういう意味でしょうか。『「結局」の後』は「英語カテに投稿させていただきます」ですね。これがないというのはどういう意味でしょうか。それとも『「結局」がなければ』の入力ミスなのでしょうか。これだとわかります。「結局」という言葉がなければ、「投稿させていただきました」も「投稿させていただきます」も両方可能ということですね。
- minumteh
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細かい方面の人に聞いたら、どうなるかわかりませんが、 あくまで普通の一般人の意識で言えば、特に違いはないと思います。 まあ、それぞれの好みの問題のようなもので、 ひらがなで書くかカタカナで書くかと同じことでしょう。 だから、一人の人が場合によって使い分けるというようなことは、 通常ないと思ってもらっていいんじゃないでしょうか。 私のある友人は、いつもメールでも手書きでも「ぼく」ですね。 なんとなくですが、「ぼく」と書く人は知識人系の人に多い気がします。 私は、あまりこだわりませんが変換によって「僕」ですかね。 手書きでも「僕」と書きますが、ひらがなのほうが書きやすいので、 「ぼく」と書くこともあると思います。 使い分けといえば「僕」と「私」の使い分けを意識します。 歌詞については、おそらく「歌詞を読めば(違いが)わかる」 という仕組みではないかと思います。 自分の中には複数の自分がいて、それらを仮に「ぼく」と「僕」 という形で分けて表現したのではないかと解釈します。 もともと「ぼく」と「僕」を使い分ける習慣があって、 それに従ったというようなことではないと思います。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。大変参考になりました。本当にありがとうございました。
お礼
ご親切に教えていただきありがとうございます。わかるようになりました。とても詳しく説明してくださり、感謝いたします。大変参考になりました。本当にありがとうございました。