物事を伝える際の表現方法に『婉曲表現』というものがあります。
伝えたいことを直截的に言葉にするのではなく、
遠回しな表現を用いたり補助的な言葉を付けて、
言い方を和らげるようにする表現方法ですね。
婉曲表現を用いると、直截的な言葉で言う場合に比べて、
柔らかく耳障りが良くなるという効果があります。
ご質問にある2つの言い回しについて考えますと、
その意味はどちらも「開始」を告げるものです。
ただ、「始めます」が「開始」そのものを示すのに対して、
「始めようと思います」は少し遠回しな言い方であるということです。
「始めます」という直截的な言葉に
「~と思います」という言葉を付加することで表現に丸みを持たせ、
聞く側の耳に優しい言い方になっているわけですね。
さて、両者の意味は同じだと申し上げましたが、
話し手の心理的側面を考察すると若干の差異があるようです。
「始めます」は文字通り物事の「開始」を告げるもので、
言葉そのものだけでは特に他の意味合いは感じられません。
ところが、「始めたいと思います」の方は、
少し考えただけでも2つの心理状態の可能性が見出せるでしょう。
1つは、相手(聞き手)に対する心遣いです。
婉曲的な表現を用いることで直截的な言葉をオブラートに包む、
穏やかに話をしたいという話し手の気持ちが伝わってきます。
もう1つは、話し手の自信の問題です。
話し手にあまり自信がない場合、
相手に同意を求める気持ちが含まれることもあるでしょう。
もちろん、ご質問に挙げられたセミナー講師の例だと、
セミナーの開始時刻は予め決められていますので、
開始時刻は時計を見れば誰の目にも明らかなことです。
つまり、その例では話し手の自信の問題ではなく、
オブラートで包んで丸みを持たせる方だと解せます。
もちろん、質問者さんが仰ったような言外の意味、即ち
“そろそろ本題に入りますよ。準備はいいですか?”
“本題に入りますが、みなさんよろしいですか?”
という聞き手に対して開始を促す意味も含まれます。
ところで、この回答の中で私も婉曲表現を使ってみました。
「話し手の・・・・・若干の差異があるようです。」
差異があることは明らかなので
「差異があります」
「差異が認められます」
とはっきり言えばいいのですが、
それを読み手の方にも考えてもらいたい、
どういう差異なのかお判りになりますか、
そういった意味を含めるために
「~ようです」という言葉を付けて婉曲に表現したわけです。(笑)
以上、ご参考になれば幸いです。