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江戸時代の一週間
どのカテゴリーにするか迷ったんですが、江戸時代の一週間のことです。 西暦を採用し日曜日が休日ということになったのは明治の文明開化の時だったと思いますが、それまでは日本の一週間はどうなっていたんでしょうか?そもそも、曜日というものが使われていたんでしょうか(私は時代劇で曜日のことを聞いたことがないのですが)?
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日曜~土曜の七曜は、平安時代の初め、弘法大師空海が様々な密教経典と共に唐から持ち帰った『宿曜経[すくようきょう]』によって初めて日本に伝えられたと言われています。宿とは二十八宿(中国の星座)、曜は七曜(日月五星)のこと。七曜・十二宮・二十八宿の関係によって日々の吉凶を占い、また、生まれた日のそれらを調べることで一生の運命を占う、つまりは星占いの本でした。七曜は『宿曜経』が伝えられて間もなく具注暦(朝廷で毎年編纂される暦)に取り入れられ、その後一般化して、江戸の暦にまで付記されるようになったわけです 日本には、空海らの入唐留学僧が持ち帰った「宿曜経」等の密教教典によって、平安時代初頭に伝えられた。宿曜経が伝えられて間もなく、朝廷が発行する具註暦にも曜日が記載されるようになり、現在の六曜のような、吉凶判断の道具として使われてきた。藤原道長の日記『御堂関白記』には毎日の曜日が記載されている。 具註暦では、日曜日は「日曜」と書かれる他、「密」とも書かれた。これは、中央アジアのソグド語で日曜日を意味する言葉 ミール(Myr)を漢字で音写したものであり、当時、ゾロアスター教やマニ教において太陽神とされていたミスラ神の名に由来する。 現在の様に、土曜日を半休(後に全日休日)、日曜日を休日とするなど、曜日を基準として日常生活が営まれるようになったのは明治時代以降である ただし、現代のように実際の生活のサイクルとして扱われるようになったのは明治の改暦以降で、それ以前はもっぱら「占い」に使われているものでした。今のカレンダーにも、たまに「先勝友引先負仏滅大安赤口」の六曜が書き添えられていることがあり、縁起のいい日・悪い日の判断材料に使われますが、かつての七曜もまさにこんな感じで、例えば江戸時代の暦を見ますと、曜日ごとに「縁起がいい/悪い」、「○○をするに向いていている/○○をするには向かない」という意味が付けられて書き込まれています。 ちなみに日曜は吉日(@^^)/~~~
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- ninnincho
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江戸時代の曜日の感覚などについては過去の質問でも結構出ていますのでご覧になれますよ。 下記のURLもその一例です。
お礼
ありがとうございます。 参考URL見ました。 曜日に基づく一週間のリズムというのは存在していなかったんですね。
お礼
ありがとうございます。 七曜はあったけど占いのためのもので、日常生活は七日のサイクルではなかったんですね。