- 締切済み
江戸時代の日本人は牛肉を食べた事ないのですか。
文明開化の明治期になって牛肉を食べるようになったと日本史の授業で習った記憶があります。それまでの庶民は牛肉を焼き肉で食べたり、すき焼きで食べたり、肉じゃがで食べたりしなかったのでしょうか?天皇や将軍や大名などの特権階級は牛肉を食べていたのでしょうか?豚、猪、熊、鹿、狸、狐、兎など他の獣肉はどうだったのでしょう。
- みんなの回答 (8)
- 専門家の回答
みんなの回答
- vuomel
- ベストアンサー率60% (114/190)
田中千博『食の鳥獣戯画 江戸の意外な食材と料理』(高文堂出版社/2006年)という本があります。そちらに江戸時代の食肉文化について詳しく書かれているようです。江戸時代の人も大いに肉を食べていたようですよ。 http://www.amazon.co.jp/dp/4770707622 http://www.geocities.jp/ruriko_koga/yushi-5tanaka.html あと、No.1さんが書かれてる壁の穴ですが、1960年代からたらこスパゲティを出してます。ミートソースやナポリタン以外のスパゲティが世間一般に浸透したのはもっともっと後の時代だとは思いますが。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%82%89%E3%81%93%E3%82%B9%E3%83%91%E3%82%B2%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A3
- tak7171
- ベストアンサー率40% (77/192)
日本最古の歴史を持つといわれる近江牛は、蒲生氏郷が小田原攻めの際に細川忠興と共に高山右近から牛肉をふるまわれ、その後領地であった近江の日野にて食肉牛を飼育したのが始まりと言われています。また、彦根藩から将軍家や松平定信や水戸斉昭に牛肉の味噌漬けや粕漬けが献上された記録があります。牛にせよ豚にせよ、「薬食い」として江戸期から食用に供せられてはいましたが(豚肉が販売されていたのは幕末期の紀伊藩士の日記に記載あり)、生産や保存の問題で限定的なものでした。また、江戸時代にはイノシシは山クジラとして店舗にて食べることができたそうですし、ウサギ・鹿・クマ・狸・狐なども食べられていたようですよ。特にウサギは鳥の仲間と考えられていたと思われるので(ウサギは1羽2羽と数えます)結構食べられていたのでは?池波正太郎の小説にたまに出ていますし。
お礼
回答ありがとうございます。
- chiha2525_
- ベストアンサー率13% (119/883)
牛は、他の方が書いているとおり農業などに使われていたので、ぶくぶく太らせたりしないし寿命まで働いてもらっていたので、亡くなった時にはすでに食べるに適さなかったのかもしれませんね。 犬に関しては、実は日本でも食べてました。江戸に野犬がいないのは、見つけたら直ぐに狩られるから(それほど美味しい)、と言われていたようです。 豚は猪を飼いならして改良したものなので野生は居ません。まだ日本に入ってきていなかっただろうと思います。 他の動物は野生で居ましたので、当然のように獲って食べていたと思います。 牛肉を使ったすき焼きは明治に大流行し、文明開化の味がするなどと言われていたような気がします。
お礼
回答ありがとうございます。
- jkpawapuro
- ベストアンサー率26% (816/3045)
江戸時代の肉食文化といわれると、一般的には生類憐みの令などでの幕府のに肉食禁止が思い浮かびます。ですが、そもそもこういった幕府の御触れは幕領でのみ法的有効性をもつものです。よって幕領以外では肉食は別に忌み嫌われていませんし多くの藩では禁止もされていません。 幕領では四つ足動物の肉食は基本的にはNGのため、鳥・鶏、あるいは兎を鳥と称して食べました。NGとはいえ綱吉期などの一部の時代以外特別厳しく取り締まられていたわけでもありませんので、食べたい富豪はこっそり食べていたでしょう。 また近江藩の献上品には牛の味噌漬けなどがあり、将軍等の特権階級は食べる機会があったと思われます。 では諸般の庶民はどうかとなると、食べることは禁止されてはいませんがやはり肉食は極めて難しかったでしょう。一般的に牛肉はその重さの10倍の穀物、豚肉は5倍の穀物を消費して生産されるといわれます。とてもじゃありませんが肉食用に家畜を生産して食べるというのは庶民の経済力では無理です、諸藩においてもきわめて高価な珍味になります。 またもし文化としての肉食が根付いていたら、蝦夷地や東北はじめ日本中の耕作不適地に牧場が広がっていたでしょう、ですが日本人は稲作可能なところにしか住んでいませんwそこまで肉食を求めていなかったともいえます。
お礼
回答ありがとうございます。
牛肉と特定しますと庶民が食べるのは相当に難しかったと思います。 牛や馬の革は武具には不可欠な軍需物質でした。 このために、江戸幕府の場合には、特定の身分階級の人以外が牛馬の死体を取り扱うことを全面的に禁止していました。 農耕に用いられる牛馬で私有のものであっても死体に手を触れることができまんでした。 飼育している牛馬が死んだ場合はこの特定身分の人に依頼して埋葬してもらっていました。 幕府(徳川家)以外の大名が軍需物資である革を容易に入手できないないようにするために、この特定の身分階級の人達は村落に居住していても、村落の領主の支配が及びませんでした。全国的に代々、浅草弾左衛門と呼ばれる人が支配していました。 浅草弾左衛門は将軍への拝謁が認めらていて、江戸城への登城の際には大名と同格の行列を組んで登城していました。 広大な屋敷の中に白洲を持ち特定の身分階級の人達の裁判も行っていました。 特定階級の人達は領内に居住していながら支配が及びませんので差別され冷遇されいました。 現在の同和問題の根源がこれです。 野生の猪や鹿、熊、兎などは食べられていました。 タヌキや狐が食べられなかったのはおそらく余り美味しくないためでしょう。 肉食動物の肉は不味いことから世界的にも食べられていません。 猪や鹿は耕作地を荒らす害獣と看做され、駆除のための鉄砲の使用が認められていました。 江戸の市街地ではももんじ屋と呼ばれる飲食店が提供していました。 現在も両国橋のたもとに一軒残って営業しています。 信州では現在も犬を食べる習慣が一部に残っています。 冷凍技術がない時代に魚介などの海産物が入手し難かったことから動物性タンパク質を摂取するために自然発生的に生まれた食習慣です。 日本列島は信州などの山間部以外では新鮮な魚介類が豊富に廉価で入手できましたので、たまに採れる獣肉は余り普及しませんでした。 海から離れたヨーロッパなどとの食習慣の違いはこれが大きな原因でしょう。 すき焼という名称も農耕に使う鋤を鉄板代わりに使用したことから生まれた言葉です。 明治時代になって食べられるようになった際には牛鍋と呼ばれていました。 現在もすき焼の調理方法が家庭によって異なるのはこのためです。 一般に関東地方以北は牛鍋の系統で関西地方は古来のすき焼の系統です。
お礼
ご回答ありがとうございます。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
1。それまでの庶民は牛肉を焼き肉で食べたり、すき焼きで食べたり、肉じゃがで食べたりしなかったのでしょうか? 『日本書紀』によると676年の肉食禁止令で、4月1日から9月30日までの間、稚魚の保護と五畜(ウシ・ウマ・イヌ・ニホンザル・ニワトリ)の肉食の禁止が定められていたそうです。 2。天皇や将軍や大名などの特権階級は牛肉を食べていたのでしょうか? 天皇家は、神道と仏教の両方と関係があったので、神道による物忌みと、仏教による殺生を戒める説法で、肉食を忌避されたのではないかと思います。 江戸後期になると、大名家でも肉を食する習慣はあり、徳川家では正月にウサギ肉の吸い物が出されていたそうです。 3。豚、猪、熊、鹿、狸、狐、兎など他の獣肉はどうだったのでしょう。 雁鍋や鴨鍋など野鳥の料理は普通に食べられており、沖縄、南九州などの地域では、養豚が行われ独自の肉食文化が発達したとあります。 江戸時代後期には適度な肉食は体に良いという認識もあり、ももんじ屋が現れ、都市部においても肉食が流行した。江戸では野鳥が乱獲によって確保できなくなったため、かしわやシャモといったニワトリで代用することが普及したそうです。 江戸の薩摩藩邸では豚やイノシシが食用として飼われていた。その薩摩の豚肉を好んだことから、一橋慶喜は豚一様と渾名された。 その他にも、明石城の武家屋敷で裏庭に解体された犬や牛、イノシシの骨が埋められており、肉食の伝統は続いていたことがわかるそうです。 以上は下記の受け売りです。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%82%89%E9%A3%9F
お礼
回答ありがとうございます。
戦国時代は九州の一部で食べていて豊臣秀吉の禁止令出た後、江戸時代は牛肉は食べていない。 戦国時代、足軽が農家から牛をかぱらってきて、味噌で味付けして鉄パンで焼いて食べてというう事で宣教師が牛や馬を食べていたので、九州で肉食が普及したが、豊臣秀吉に嫌がられて「バテレン追放令」と共に禁止になりました。 江戸時代のすき焼きは、たか・かもしか・かもなどの肉を古した鉄パンの上で焼く鋤き焼で 「すき焼き」の名前の由来になります。 牛肉を使うすき焼きは、文明開化の明かしとして明治時代に食べられるようなりました。
お礼
回答ありがとうございます。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11072/34514)
一般的に「仏教で四つ足のものは食べてはいけないとされていたから」ということになっていますが、イスラム教徒の豚を食べてはいけないと同じようなニュアンスだと考えるとそれは違うんじゃないかなと思っています。だって、猪を「山くじら」といって食べていたんですからね。 そもそも牛は農耕用などに用いるもので、食べるという発想がほとんどなかったと思います。牛を捌くにも技術が必要ですからね。我々が犬を食べるという発想を持たないという感覚なんじゃないかなと思います。ちなみに中国や朝鮮で食される犬は食肉用の犬だそうで、他の犬種はあまり美味しくないそうですよ。 とはいうものの、彦根藩は牛肉の味噌漬けを将軍に献上していましたから将軍は食べたと思いますよ。口に合ったのかどうかはわかりませんけどね。これが今の近江牛のルーツになります。 庶民の間でも、猪を山くじらと称して食べていたようです。ただ、肉というものそのものが流通量としてとても少なかったのでなかなか食べる機会はなかったと思います。 食文化ってなかなか面白いところがあって、私が子供の頃にはスパゲティってミートソースとナポリタンしかなかったんですよ。80年代だったかな、「壁の穴」っていうお店がミートソースとナポリタン以外のスパゲティを出してブームになって、ちょうど同じくらいの時期にイタリアンブームも起きて他の味のパスタが広がっていったんです。 なぜ70年代以前の日本にはミートソースとナポリタン以外のスパゲティがほとんど存在しなかったのかは、分かりません。 江戸時代の人々は、肉の味っていうのをほとんど知らなかったのだと思います。70年代の日本人がミートソース以外のイタメシの味を知らなかったようにね。 それで、80年代にイタリアンがオシャレとなって爆発的に普及した感じで、明治維新になって世の中が大きく変わって「知ってるか?いま、肉を食うのが文明開化なんだぜ」という感じになって広まっていったんじゃないかなあと漠然と思っています。
お礼
回答ありがとうございます。狩猟で得られる鹿や猪といった獣肉は古代より絶える事なく食べられて来たみたいですね。日本には野生の牛は居なかったので牛肉を食す文化が広がらなかったのでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。一度読んでみたいと思います。
補足
皆さん、沢山のご回答ありがとうございました。