「国語力」とは?
世間で、都合のいいように解釈されている言葉の一つに「国語力」という言葉があると思います。
国語力とは―――
ある人は「あらゆる立場の人と、コミュニケーションをきちんと取ることができる能力」、またある人は「語彙力に尽きる」、またある人は「文章を正しく読んで理解する力」と、バラバラなことを仰います。さらには「それら全部だ」と仰る方もいらっしゃいます。
要するに、「国語力」という言葉自体の響きが先行して、その意味をきちんと定義しないまま「国語力が大事だ」と言っているような状態のように感じます。
「最近の若者は国語力がない」と批判し、「英語なんか教える前に国語を大切にしたらどうだ」と仰る方も多いようです。確かに最近の若者(自分もその一人ですが)は、言葉の乱れに代表されるように、色々な部分で国語力不足が指摘されているのは事実です。
そこで、
(1) あなたが考える「国語力」とはどのようなものですか?
(2) コミュニケーション(インターネットでのコミュニケーション含む)のなかで、相手に「国語力がない」と感じるのはどのようなときですか?
(3) 若者に求められる「国語力」とはどのようなものだと思いますか?
※OKWaveのガイドラインに従い、議論を目的としていません。意見の収集を目的としています。
※主観的・感覚的な意見でも全く構いません。
※どの質問に対する答えなのかわかりやすいよう、質問番号をつけて解答してくださるとありがたいです。
※(1)~(3)の質問以外にも、語りたいことがあれば書いていただいて構いません。
お礼
丁寧かつ学術的な解説ありがとうございました。 私の個人的意見としては、第二次大戦後国語表記を わざわざ実際の発音に合わせる必要はなかったと思っています。 今後も発音は変化し続けるわけですし、文字を記号として 考えて固定化するべきだと思います。