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「国語力」とは?

世間で、都合のいいように解釈されている言葉の一つに「国語力」という言葉があると思います。 国語力とは――― ある人は「あらゆる立場の人と、コミュニケーションをきちんと取ることができる能力」、またある人は「語彙力に尽きる」、またある人は「文章を正しく読んで理解する力」と、バラバラなことを仰います。さらには「それら全部だ」と仰る方もいらっしゃいます。 要するに、「国語力」という言葉自体の響きが先行して、その意味をきちんと定義しないまま「国語力が大事だ」と言っているような状態のように感じます。 「最近の若者は国語力がない」と批判し、「英語なんか教える前に国語を大切にしたらどうだ」と仰る方も多いようです。確かに最近の若者(自分もその一人ですが)は、言葉の乱れに代表されるように、色々な部分で国語力不足が指摘されているのは事実です。 そこで、 (1) あなたが考える「国語力」とはどのようなものですか? (2) コミュニケーション(インターネットでのコミュニケーション含む)のなかで、相手に「国語力がない」と感じるのはどのようなときですか? (3) 若者に求められる「国語力」とはどのようなものだと思いますか? ※OKWaveのガイドラインに従い、議論を目的としていません。意見の収集を目的としています。 ※主観的・感覚的な意見でも全く構いません。 ※どの質問に対する答えなのかわかりやすいよう、質問番号をつけて解答してくださるとありがたいです。 ※(1)~(3)の質問以外にも、語りたいことがあれば書いていただいて構いません。

みんなの回答

noname#139802
noname#139802
回答No.5

(1)聞き手に正しく・わかりやすく自分の考えを伝えること。 (2)わざと難解な漢字を使用したり、わけわからん言いまわしをしたり(政治家に多い)、普段つかわない漢字や古文からの引用をして得意になる人を見た時、コイツあほだなと思う。ここの回答にある、無意味な長文にはマジイラつく(笑)。 (3)まずは日本語を正しく使う努力をすること。自分の考えを聞き手に「簡潔にわかりやすく」伝えることができることが大切だと思う。 外国語は、そこから第二の言葉として習えばよい。 バイリンガルの話している内容を、日本語に置き換えればいかに彼らの考えが貧しいかが良くわかる。注*(全てのバイリンガルをさしているわけではありません)

STI-since2007
質問者

お礼

>(1)、(2) 解答者様のように仰る方は多いですね。ちなみに私も無意味な長文を書いてしまう方の人間です…。考えてみれば端的に話すことも得意でないしな…。反省します。 >(3)   「簡潔にわかりやすく」というのが大切なのはわかりますが、なかなか難しいことですね。わかりやすく、誤解のない表現をしようと思えば冗長な文章になりますから、加減も大事だと思います。 外国語を学習するとき、基盤になるのは日本語だと私も思います。確かに「考えを練る力」というのは日本語力にある程度比例すると考えると、バイリンガルの考えが貧しいのも理解できます。 ご回答ありがとうございました。

  • danke3
  • ベストアンサー率38% (556/1455)
回答No.4

1.まっとうな人が使うまっとうな日本語の力量 2.犯罪者でもないのに「やばい」を使う人、  アナウンサーまでもが誤用する「敷居が高い」をTVなどで視聴した時  (「敷居が低くなった」もよく聞きます-元々、敷居は45~60mmの段差程度   それなのに、なぜ「敷居が高い」と言うのか知らないんでしょうねえ)  問題・課題が「山積(さんせき)」と言うべきところを「やまづみ」と  言っている場面、異例の寒波と言う人、「熊」のアクセントがおかしい人、  人の生き方を「生きざま」という人 (自分の生き方を自嘲して言うのなら、おかしくはないけれど・・・)  等々、誤用や本来は悪い意味であったり、まっとうな人の使うべきでない言葉を  いい意味で使う人を見た時 3.「求められる」と言うより、前の世代が伝えていくべきものだと思います

STI-since2007
質問者

お礼

>1.、2.  正直なところ、私も日常会話で「やばい」を多用しますし、「生きざま」とか「山積み」とか平気で喋っていたような気がします…。辞書を引っ張り出して勉強してきましたが、私の国語力のなさを痛感させられます。  まっとうな日本語を使うためには、それなりの努力が必要ですね。これからも勉強したいと思います。 >(3)  「正しい日本語」を前の世代が、正確に伝えていくというのは難しいのかもしれません。社会が変化するのに伴い、言葉も変化するというのは、自然なことだと思っていますから、当然昔は「誤り」だったものが、今では「正しい」とされることも出てきてしまうのではと思います。 (広辞苑では、「舌鼓」を「したづつみ」でも良いと表記していること、「イケメン」を「イケ面」と表記していることなど、色々と話題になっていましたね。) ご回答ありがとうございました。 勉強になりました。

  • docomof08
  • ベストアンサー率12% (82/643)
回答No.3

(1)抽象的ですが、言葉を大切にする気持ちを持って使ってれば身に付くもの、という気がします。 語彙力?の有無は、個人的にはあまり関係ないと思います。 難しい言葉を知ってても、受け手が「?」と思うようなら使わない方が良いと思うし。 難しい漢字もパソコン等で変換すれば出ますが、読む側が「?」になる可能性があれば使わない方が良いと思います。 言葉や単語を間違って覚えたり使ったりしない、書く場合は誤字・脱字を見直す事…の方が大事ではないでしょうか。 言葉は意思を伝える道具なので、「他人に伝える」事を最優先で考えるべきかなと思います。 国語力の定義としては変だけど、サービス精神を持つことが大事かと。 報道番組で、解説者が専門的な言葉で説明しても私には理解できず、アナウンサーが 「つまりこういう事ですね」と言い換えてくれるとわかった気になったりします。 (自分の理解力の問題かもですが) こういう時のアナウンサーの力が、国語力ではないかと思います。 (2)読むには難しすぎる漢字や、一般的にこの言葉は漢字では表記しない! …と思われる漢字を使う方。 略語を多用する方。その件に詳しい仲間内でならアリですけど。 (3)最近の若者は国語力がない、と思いません。 私は若者じゃないけど、私の親世代でも国語力がない…というより、言葉を大切にしないなと感じさせる方もたくさんいるので。

STI-since2007
質問者

お礼

>(1) 「国語力の定義としては変だけど、サービス精神を持つことが大事」、なるほどな、と思いました。私も相手に伝えることができて初めてコミュニケーションが成立すると思っています。よくこのことを言葉のキャッチボールと表現していますが、いい球を投げるのはそれなりに技術が必要なことで、その技術こそが国語力なのかもしれませんな。しかし一般人相手に豪速球を投げて自己満足する方もいらっしゃるわけで… >(2) これも(1)と同様ですね。 >(3) 言葉を大切にする、ということはよく言われることですが意外と難しいことのように思っています。昔から「言葉の乱れ」に関する議論はあったようですから、どの世代にも言葉を大切にしようとする人、しない人、できない人、いろいろいるのかもしれません。 ご回答ありがとうございました。

  • wa335
  • ベストアンサー率15% (25/161)
回答No.2

(1) 文章を正しく読んで理解する力 (2) 人の話をまったく聞いてない奴 (3) 将来的な事を視野に入れて、国語より英語に力を入れるべきと考えています しかしその一方で国語力が低下すると批判してる人が居ますが 国語力は最低限の読み書きが出来れば良いと考えています。 しかし「相手の文章をしっかり読まない奴!」「人の話をまったく聞いてない奴!」 は論外です。 外国人だと、他国の言葉を2カ国もしくは3カ国と喋れる人がいて素晴らしいと思ってます。 日本はちょっと閉鎖的だなぁ~と感じますね ※もし誤字脱字があったらゴメンなぁ~www  そんな俺こそ、語学力が足りないかもね(笑)

STI-since2007
質問者

お礼

>(1) なるほど、いわゆる読解力とかいうやつですな。 >(2) 確かに。まあ国語力以前の問題のような気もしますが。 >(3) おそらく英語は、世界共通語になっていくことでしょう。そこから考えて、英語に力を入れるべきというのはやはり当然のながれでしょう。しかしながら、文章をしっかり読む、人の話をきちんと聞く、というのはやはり国語での訓練が必要、というような気もいたします。 ご回答ありがとうございました。 こちらこそ誤字脱字があったらごめんなさい。

noname#133960
noname#133960
回答No.1

こんばんは。 (1)ー1 語彙数は重要ですが、その指すところをしっかり理解できていること。 例えば、ある人の知っている語彙が仮に2万とします。一方でまた別の人の知っている語彙が1万8000ととします。この場合に、前者の方が国語力があるとは一概には言えず、その内、ちゃんと理解している語彙がいくつなのか、そういう意味での語彙力、適した場面で使える語彙の数が多いことは国語力の一つと思います。 (1)-2 コミュニケーション力は聞く面に関しては、相手の言うことをしっかり理解できるということは国語力の一つと言えると考えます。ただし、口頭での応対の場合は話し下手の人もいるため、しっかり返答できるかどうかまでは必ずしも国語力の判断には含まれないと思います。 (1)-3 外国語の力は国語力以上にはならないと言われます。ですので、外国語の運用能力が高い人は一定以上の国語力はあると考えられると思います、一方で、外国語の力が現段階で低いからと言って、国語力が低いとは断定はできませんが。 私は視点によって国語力というのは色々あると思っていて、世間で言われているのはやはりその人その人の勝手な解釈が大きいと思っています。 (2)質問の意図が全く理解されていない場合。こちらの言い方、話し方にも問題がある場合もあるかもしれませんが、特別難しい言い回しを使っていない場面、またインターネット上のように読み返しすれば、まず勘違いしようのないような文章でもとんちんかんな受け答えをされる時、ああ、この人は国語力がないなあ、と思います。ま、早とちりってこともあるでしょうけど。後は、何を話しても同じような返事しかしない人はそういう言い方しか知らないのかなと思うことはあります。 (3)特に若者だからという区別は必要なく、お年寄りにも必要とされるレベルでいいとは思います、国語力そのものに関しては。ただ、若い人は(一応私も20代ですが)、格好つけているのか、必要以上に英語などからの外来語を使うべ面が見られr、しかもちゃんと意味を理解して使っているのかと疑問に思う場面もあります。外来語と本来の日本語とで意味の上で差別化されるものは外来語も併用すべきかもしれませんが、そうでない、単に英語の方が格好いいみたいな使い方はできるだけ避けるべきだと思っています。言葉と言うのは相手に伝えるために使うわけですから、通じないのでは意味がありません、若者の間で俗語的に使うならともかく、老若男女が見ているであろうテレビの中のタレントなどが使っている場面では首を傾げたくなります。 (他)私は「言葉の乱れ」は国語力とは関係ないと考えます、あれはいつの時代でもお年寄りが若者にいうことですから、もしそれが正しいのであれば人類の国語力は現在地に堕ちているはずです。ただ、現在はインターネットやテレビなどの普及でそのような「若者言葉」が広く知られるようになったので、問題視されているだけのことだと思います。言葉なんてのは放って置けば簡単で使いやすい方に変わっていくものですし、科学が便利な方向を求めて進歩していくのと似たようなものだと思っています。 長々とすみませんでした。少しでも参考になれば幸いです。    

STI-since2007
質問者

お礼

もしかすると難しくて面倒な質問かな、とも思いましたが、解答いただけてうれしく思います。ありがとうございます。 >(1)-1  適した場面で使える語彙の数が重要というのは全く同感です。場面場面で使う言葉は異なりますから、各人の語彙力には得意な場面・不得意な場面があるといってもいいでしょう。いつ使うんだ、という言葉ばかり覚えても仕方がないですし。  葉の由来とかまできちんと押さえておられる方は、まず間違いなく言葉の使い方を誤りませんね。そういう意味で、表面的な理解だけでなく、解答者様の仰るような「ちゃんと理解している語彙の数」というのは本質的な物差しになるかもしれませんね。 >(1)-2  私の考えでは、返答するのも国語力だと思っていますが、それでも解答者様の言うように「相手の言うことをしっかり理解できる」ということは重要だと思います。相手の発言の真意を読み取り、揚げ足取りや論破を目的とするのではなく、建設的な議論をしようとする態度までがコミュニケーション力だと私は考えております。 (3)-外国語の力は国語力以上にはならない、なるほど。第二言語で受け取った情報は頭の中で第一言語に一度なおして、第一言語で考え、まとめ、それを第二言語に直して、発信する、というようなことを考えると、やはり頭の中の「考え、まとめる部分」、いわば頭のCPUが使用する言語は「第一言語」でしょうな。ですから、CPUの質が高いと、第二言語でも質の高い情報を発信できる、といったところでしょうか。 >(2) たまにこのOKWaveでもありますね…。まあ、それはいいとしまして、私が(1)-2で述べたことと同様に、相手の発言の真意を読み取るということは大事だと思います。具体的に例を出すのは避けますが、会見、報道など、いたるところで質問者と回答者の「食い違い」が起こっていますね。  質問者様が仰るように、行間を読み取る必要すらない、誤解の余地のないような文章でも会話が食い違って、思うようにならないなんていう場合は、確かに国語力を疑うべきでしょうな。 >(3)  「このタスクにおける彼のレゾンデートルは、ムードメイキングかな」とか、でしょうか。確かに、恰好つけでしょうね。まさしく恰好つけて言うと「ペダンチック」。相手に伝わらなければコミュニケーションがとれませんから、「こんなの知ってて当然だろ」とか、「こんなのも知らないのか、お前は」とか、「どうだ、こんな言葉も知っててすごいだろう」とかいうような態度でカタカナ語を多用されると、確かに首をかしげたくなりますね。 (http://www5e.biglobe.ne.jp/~muraryo/page018.html より一部引用) >(他) 私もほぼ同意見です。古典の文章にみられたような古語のうち、まったく使われなくなったものが多いのと同じことだと考えています。 以上、ご回答より私なりに考えたことです。こちらこそ長々とすみません。大いに参考になりました。有難うございました。