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三国志の馬謖ってどんな人だったんですか

三国志の馬謖ってどんな人だったんですか 彼が自分の才能に驕ったのは何故か 自己顕示欲は強かったんでしょうか 高いところに登って、自軍を敗北に追い込んだと言う表記はどんな謎を含んでいるんでしょう

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  • xiansui
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回答No.1

馬五兄弟の次男である馬謖は「白眉」の長兄馬良の才気にも劣らぬと評価されていました。 孔明が南方平定の時に馬謖は勅使の任に就いていた訳ですが、孔明が馬謖に助言を求めると、「屈服させるのではなく、心服させる事が肝要であり、心を攻めるは上計、城を攻めるは下計」と述べた事で、孔明は感心し参軍として従軍させます。 (孔明に才能を認められ深い信頼を得た事が、彼が才能に驕った原因かもしれませんね。) (ちなみに劉備は、「馬謖は才気に溢れるが、理論が実情に即しないので大任は任せるな」と孔明に注意していました。) 228年の魏・蜀の前哨戦が街亭付近で起きると予測した孔明は、先に街亭を占拠し魏を迎撃しようと考え、守備隊司令官に馬謖が立候補します。(この辺りにも彼の自信の一端が見て取れます。) 孔明は馬謖の実戦経験の少なさを不安がりましたが、副将に王平を就ける事で承諾します。 街亭に到着すると、孔明の「麓の街道筋を固めて敵を通すな。」という命令を無視し敵を見渡しやすい山上に布陣します。 王平は再三忠告したのですが、馬謖は兵法書の受け売り(高き所から低い所を見れば、その勢いは竹を裂くが如く)を信じて全く聞こうとしなかったのです。 侵攻してきた魏の張郃(チョウコウ)は馬謖の布陣を見て、水の手を制圧、蜀軍の炊事を不可能にして、包囲します。 後は、飢えから山を降って突撃してくる蜀軍を片っ端から殲滅していったのです。 馬謖は何とか逃げられたのですが、戦略上の要害であり兵糧集積の要地である街亭が魏に落ちた為、孔明は即時撤兵を決意するハメになります。 (余談ですが、話を聞かない馬謖にたまりかねた王平は、山の西の平地に布陣し孔明に布陣を図面化して送り、改めさせようとしたのですが間に合いませんでした。馬謖の敗戦時には 張郃(チョウコウ)に阻まれ救援できなかったのですが、孔明に申し開きをして許されています。) 漢中に帰った孔明は自ら馬謖を処刑し号泣します。(泣いて馬謖を斬るの由来です。)

townsx2
質問者

お礼

馬謖の驕りでしょうか 優秀な兄に囲まれ、背伸びしたのか少し才気走った発言が多いように思います 自己顕示欲は、認められないことへの裏返しですから 孔明が期待するほどの人物ではなかったんじゃないかと思います ばかほど高いところが好きとよく言われますが、ほくそえむ魏軍の将校が息を凝らしている情景とか 意気揚々と高いところへ登っていく馬謖の姿を想像すると笑いを隠せません。 わたしは意地悪でしょうかw 当時の様子は分りませんが、人を嘲笑う人が少なかったのでニュアンスが薄れて行ったのかなと 自分なりに想像してます

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