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弁慶という人物の性格について教えてください。
弁慶という人物の性格について教えてください。 なるべく長い方で。。。
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武蔵坊弁慶 皆さんお持ちの印象は「ごっつい」「怪力」というイメージが優先しますが、「安宅の関越え」での出来事では弁慶のこんな一端も見られます。 義経が頼朝と不仲になり、都落ちして奥州藤原氏のもとに身をよせることになった途上、義経一行は山伏に扮して安宅の関を越えようとしました。ところが一行は関守に見咎められ、「勧進帳を出せ」と言われます。もとより一行はそのようなものを持っていませんでしたが、弁慶は機転を利かせ、もともと寺で修行経験もあったことも幸いして持ち合わせの巻物を広げ、朗朗と読み上げていきます。この機転によって無事関を越えられそうにはなったのですが、「一行の中に常に傘で顔を覆っていて不自然な行動をする者が義経に非常に似ている」と部下が言い出したため、なおいっそう疑われてしまいます。だが、そこでも弁慶は機転を利かせ今度は手に持っていた杖で「お前が義経に似ているために、あらぬ疑いをかけられてしまったではないか!」とののしりながら主君である義経を何度も何度も殴りました。『いくらなんでも杖で主君をぶつ者はこの世にいるはずが無い』と関の者たちにそう思わせることに成功し、一行は無事に関を越えることが出来ました。そして弁慶は、無事関を越えられた後、主を殴った事について義経に泣きながら謝った、という内容です。 「安宅の関越え」において、かなり「頭の機転」が利く「弁慶」の一端が垣間見えます。また、主君「源義経」に対する忠誠心は並々ならぬものがあり、これも「安宅の関越え」の後の行動に、そこのところが強調されます。史実では時の関守は、義経一行である事を悟りながらも、そ知らぬふりをし、関を通したという事ですが、弁慶のとった行動には変わりは無く、やはり「頭の回転が速い」という弁慶像が目に見えます。 弁慶と言えば、もう一つの重大なエピソードがあります。次に掲げる文章がそれです。 義経一行は、奥州にたどり着き、藤原秀衡のもとへ身を寄せます。だが、秀衡が死ぬと、子の藤原泰衡は頼朝の威を恐れて、父の遺言を破り、義経主従を衣川館に急襲します。多数の敵勢を相手に弁慶は、義経を守って堂の入口に立って薙刀を振るって戦い、雨の様な敵の矢を受けて立ったまま死んだとされています。 そうです。「弁慶の立ち往生」です。これが果たして真実なのかどうかは定かではありませんが、弁慶の豪傑さ、忠誠心を考えた時、やはり真実に近い逸話なのではないか、と思われます。 「弁慶の性格」というテーマでまとめれば、「豪傑でありながらも、頭の回転が速く、主君に対する忠誠心は並々ならぬものがあり、情にほだされやすい」という事が言えるのではないでしょうか。
お礼
ありがとうございます。 大変勉強になりました。お陰さまで助かりました。