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日米開戦当時の満州国の石油
日米開戦当時の満州国の石油 日本の歴史の教科書には日本の石油不足が深刻になり、それが直接の動機で開戦になったとかいてあります。しかし、満州国の奉天で石油がとれており、それでまかなえたのではないかというのが私の疑問です。実際はどうだったのでしょうか?
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『満州国の奉天で石油がとれており』 というのは何の資料に書いてあったのでしょう? 満洲国に油田は存在しなかったと記憶します。 戦後、「中国東北部」となった旧満洲国では、大慶油田と総称される油田が発見・開発されました。 昭和16年の日本は「原油500万キロリットル」があれば何とかやって行けました。 大慶油田では、最盛期には数千万キロリットルの原油が産出したようですので、戦前に大慶油田が発見・開発されていれば、南方の資源、特に石油を得るために昭和16年12月に米英蘭の三国相手に戦争を始める必要はなかったでしょう。 しかし、現実問題として、戦前に満洲国で油田を開発するのは困難だったようです。 下記の質問のベストアンサーで詳細に解説されています。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1233075047
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- k16399638
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2番さんのリンク以上のことを回答できませんが、漫談として。 実は満鉄も石油がでないか満州国内をさがしていました。おそらく発見したら、時期にもよれますが技術的にはかなりの確率で掘れた、でしょう。 ところが、いまの大慶油田のある場所の地質調査をミスってしまい、調査地図に 「微油地」 と。 これを見つけていたらどうなったかわかりません。ただ、質のよくない油田なので、発見即バンザイ、でもなかったかもしれません。
- zep19
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はじめまして 石油でなく、油頁岩(ゆけつがん)を原料とする頁岩油の間違いでないでしょうか? 油頁岩は撫順(フーシュン)炭鉱の炭層上部で採掘されます 満洲国の産業五ヶ年計画の数値目標表の項目は次の通りです 銑鉄、鋼塊、鋼材、石炭、石炭液化、頁岩油、アルミニウム、自動車、飛行機、電力、水稲、小麦、大豆、洋麻、綿羊、馬、鉄道 【満洲国史(総論)】 となっています 確か中国東北部(旧満洲国)の地域で石油が発見採掘されたのは戦後と思われます