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名誉・体面とは何か
- 名誉・体面についての疑問や意味について考える
- 名誉とは自己の尊厳や誇りを大切にすることであり、傷つけられた場合は回復を求めることもある
- 体面に固執する振る舞いや恥を知らない行動は醜い姿に映えるが、自己の存在に誇りを持ちながら成り振り構わない態度もある
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(1) ほんとうにあるのか? 「本当」の意味を「実際に社会にあって影響をあたえているのか?」という意味では、おおいにあるといえます。 質問者様はそういう意味ではなく、いわゆる名誉とか体面は空しい(虚しい)ものであって、それを無視しても実質的な変化はないだろう、少なくともそういった行動が実際に犯罪に問われることはない(場合が多い)だろうということを仰りたいのだろうと思いますが、それもまた真実だろうと思います。天皇陛下、あるいは総理大臣の出す握手を無視することも可能であり、この場合大臣の体面が潰れるということはあっても、お互いにその事実を無視しあうことは可能です。 (2) あるとして 守らねばならないものなのか? 結局価値観の問題でしょう。名誉が経済活動に結びついていることは非常に多いですし、それが宝の山であるときは死に物狂いになってそれを守ることが頻繁に行われます。逆に体面を守るために多くのコストがかけられることもあります。これらもそれだけの価値がある名誉なのか?捨ててもいいのではないかと問い直せば、たとえば中元やら歳暮の経済活動が半減することにもなるでしょう。 (3) 根拠のないことがらによる誹謗中傷や 不当で過剰なわたくしごとの暴露でもない限り 名誉が問題になったという時点で その名誉にかかわる事柄では 自分のほうに非があると分かっているはず。つまりその間違いをそのまま認めれば済むことではないか? 仰るとおりです。これも価値観の問題でしょう。ことは簡単には済みませんね。かつてのさむらい階級のプライドが日本の社会に少なくない良質の秩序を与えていたことは事実です。 (4) どうも振り子は 昔のままに振り切りっぱなしであって 一向に変わる気配がないように感じますが どうですか? そんなことはないでしょう。もっとも、日本が本来あるべき中立精神を取り戻すにはまだまだ時間が必要であるとはおもいますが。 (5) 《傷つけられ害われる》という場合は むしろ名誉棄損といった犯罪を構成するような場合であって そうではないでしょう。犯罪にいたるまでの各段階で、価値観の差もあってひとは死ぬほど傷つく場合もあるということです。 (6) (あ)体面に固執する振る舞いも(い)恥も外聞もない行動も どちらも大きくは《成り振り構わざる振る舞い》であると思われます。 双方の基準点は大きく違います。どちらに同情するかはやはりそのひとの価値観の問題でしょう。 >けれども みづからの存在じたいに誇りをもって しかもあとは成り振り構わないぶっきらぼうという態度もあるかと思います。 これなら 体面は体面のほうが・また周りのほうが構うときには構うであろうから放っておける。のではないか? 仰るとおりですね。でも、敵はほおってはおきませんよ。必ず弱みに付け込んできます。びしっと反撃せねばならない最適のタイミングは絶対存在します。
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- Alkindus
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降りかかった火の粉は払うと仰っていました。
お礼
《絡み》のもんだいですか? 様子を見ていたら 質問が閉まっちゃった。 《火の粉》というほどのことでもないと思って 様子を見ていたわけです。 でも 行動方針に曲がりが出来てしまいましたね。事実を消すのは 容易ではありません。どうしましょう?
>どうも《名誉≒うぬぼれ》であるのではないか。このやぶにらみの姿勢でいます。 おしゃるように「名誉」といっても、虚栄心をさす場合と歴史や人生の中で得た経験則に殉ずる心をさす場合に最低でも2つに分けられると思います。 私は前者の場合においては質問者様の意見に近いです。 後者の場合は、正確に言えば、自然や社会や人間関係における共生のルールの理想を体現した者を名誉を極めた人間として比較することにより、自分を叱咤激励するためのものでしょうね。 さらに、前者は「名誉」は所有する・したものに感じるものですが、後者は自分がどこを向いて進んでいるかに感じるものだと思います。 >空想的では駄目か 十年前や十年後の、昨日食べたごちそうを空想して、今食べている食事を疎かにして体に負担をかけることは愚かです。 同じく、昨日の手柄に拘るのも心がけが悪いというものです。
お礼
申し訳ない思いです。回答No.2のコマアス8さんがかなり全体としてまとめてくださったと思うのですが ニキ00001さんのご回答ご見解の受け取りをまだうまくまとめ得ずにいてしまって。 お早うございます。ご回答をありがとうございます。 ★ おしゃるように「名誉」といっても、虚栄心をさす場合と歴史や人生の中で得た経験則に殉ずる心をさす場合に最低でも2つに分けられると思います。 ☆ ええ そういうことになるかと思います。問いの焦点は 負の側面に当てようとしていました。そして全体としての広い見方が必要だとの思いから主題を広げました。 ★ 私は前者の場合においては質問者様の意見に近いです。 ☆ ここまでの回答を見ても この負の側面の《名誉・体面》の扱いについては おおよそ常識ははっきりしていると言ってよいでしょうか。 この質問では もしもう少し開いているとすれば その具体的な分析や対処法を期待することにしたいとは考えます。 後者つまり負ではなく正当な名誉の側面についてはどうか? ★ 後者の場合は、正確に言えば、自然や社会や人間関係における共生のルールの理想を体現した者を名誉を極めた人間として比較することにより、自分を叱咤激励するためのものでしょうね。 ☆ たしかにいくつかの見方があるようだと思いました。このご見解は ○ いわゆる伝統 よき伝統〔としての生活態度や共同自治のやり方〕 ☆ であるように受け取ります。あるいは ○ 常識つまり――わたしは 共同主観と訳したりしていますが―― 知識 よりは知恵の要因。つまりむしろ判断力。 ☆ でしょうか。そしていわゆる《理念》を重くみるという要素をも含めておられるでしょうか。異存ありません。 この伝統〔とその発展〕としての側面については このいまの見方を決して否定するためではなくさらに広い幅があるかにも思われますのでもう少し開いていて 広くご回答を俟ちたいとも考えます。 ☆ ひとつの具体的な話を取り上げて 問い求めを深めて行ければと考えます。 ○ 質問趣旨の(8): やわらちゃんこと谷亮子は シドニーオリンピ ックのあと 国民栄誉賞を受けました。女子柔道で優勝を逃したにもか かわらず 女子マラソンで高橋尚子が国民栄誉賞を受けたのを捉えて 自分にもその資格があるのではないかと 自分から訴えてそれまでの 実績を楯にして 名誉を求めました。〔とわたしには映りました〕。 これについて どうもおかしい感じを拭えないのですが どうでし ょう? というのは 《運》というのは安易な言葉かも知れませんがそれでも 用いますが 実力と運とは たぶん相いたずさえてはたらくと思うから です。初めてのオリンピックで優勝するかどうか これはたとえ運であ っても 重要ではないか。できなければ 不名誉だと受け取って あた らしい展開に臨むべきではないか。と思うからです。 ☆ どうでしょう? ☆ 論点になるかどうか分かりませんが ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~ >空想的では駄目か 十年前や十年後の、昨日食べたごちそうを空想して、今食べている食事を疎かにして体に負担をかけることは愚かです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ この部分はまだよく読みとれません。《昨日食べた》が事実であれば それをひとつの判断材料とすることは 《空想的》ではないように考えるからです。次の部分は まったく同感です。 ★ 同じく、昨日の手柄に拘るのも心がけが悪いというものです。
- amenomurakumo
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bragelonne先生は、よく「武士の情けだ」と言っておられますが、ご先祖様は武士ですか?
お礼
ご投稿をありがとうございます。 先祖は分かりません。三代前までしか分かりません。武士であったりとかあるいは明治以降 公共の要職に就いていたりすれば それなりに伝えられていたでしょうから それを聞いていないということは そうではないと思います。 武士の情けというのは ときどき出て来ますね そう言われれば。互いのあいだに答えが出ないのに対話が長引いている場合 その長引きがわたしのほうからそうしているようであるけれども わたしが引き延ばしているのではないとはっきり分かっているときには そう言ったりしますね。 先生よばわりのあと むらくもの剣が出て来るというではないですよね。
- 雪中庵(@psytex)
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1.自己認識(自分自身の評価)を、自分ではできないほど認識力が 未発達(自我の目覚めが不完全)で、他の評価において安心する。 2.自己の生きる意志(自己の社会生命性の自覚=愛)が不完全で、 そうした自己チューな意識をして社会性に従わせるための お金や出世、虚栄心といった、他律的な二次的価値に支配される。 いずれにしても、真に生きる目的である「精神的充足量の最大化」に 於て重要なファクターである、認識性の発達をおろそかにした次善の 方策に過ぎない。
お礼
ご回答をありがとうございます。 あぁ わたしが回答No.1への応答で 《あやまちを犯したとき・失敗をしたときに 要らぬ体面をたもとうとして そのあやまちをどうしても認めない》という場合に焦点を当てて欲しいと言いましたから そのように負の側面について回答を寄せてもらったわけですね。 どうでしょう 体面にこだわるというのは 自分のことが分かっていないからではないか。もしそうとすれば守るべき自己の存在をしっかりと心得ていると言うよりも その自己の把握があやふやだから やみくもに体面を気にして ともかくも自己を守ろうとしている。それは 往々にして 体面というごとく自己の社会的なものだがその表面的な地位や評判だけの保守に走ってしまう。・・・ やや短絡するかたちですが もしそのうわっつらの行動がうわっつらのことに過ぎないときちんと分かるようになるには ★ 真に生きる目的である「精神的充足量の最大化」 ☆ を知ればいいでしょうか? それを実践すればいいでしょうか? それには どうすればよいでしょうね。サイテックスさんのご文章をよく読むことでしょうか? そうするともっと分かりやすくして欲しいという気持ちもあるのですが それは望めませんか?
何に名誉を思うか、名誉を重んじるときなのかという判断は難しいものがあります。 それが下手だった場合は、単なる虚栄心やヒーロー願望などになってしまうでしょう。 ですから、上手も下手も区別せずに「名誉」を考えることは有害ですらあります。 一兵卒が経験も無いのに「戦場での名誉」を語るのは滑稽であり命取りになりかねないし 大将が「名誉」を重んじなければ願望と衝動により行動し配下の信頼を失うでしょう。 自分の力量と状況を見極め、実現可能な範囲で最大限の「名誉」を重んじるしかないのかと思います。 ただ、ひとによっては偽善と映るでしょうね。 一兵卒が経験も無いのに「戦場での名誉」を空想的に語るようにね。
お礼
ご回答をありがとうございます。 わたしはまだ やぶにらみの姿勢でいます。つまり ★ ただ、ひとによっては偽善と映るでしょうね。 ☆ というごとくです。ま 《偽善》というのも これも 主観的な要素が強いように思いますので 言葉としては 趣旨説明にも書きましたように どうも《名誉≒うぬぼれ》であるのではないか。このやぶにらみの姿勢でいます。 ★ 一兵卒が経験も無いのに「戦場での名誉」を空想的に語るようにね。 ☆ 《空想的に》ではだめでしょうが――昔の時代に時間を戻して語りますが―― どんなに小さなことでも実際であったなら 手柄は手柄であるというふうにも ぎゃくに思うのです。 どうももしニキさんのご見解が 一般のそれであるとしますと わたしはそうとう天の邪鬼であるかに見えて来ますが まづ《名誉》は 本来のと言いましょうか ふつうのそれは あるとしたなら 結果としてあるものだと考えます。またその行為の中身に応じたそれなりの結果であって つまりは《よくやった》というご褒美のようなものではないか。言葉でたたえてもらうそのこと。そしてそれで もうおしまいとなるものではないか。です。 言いかえると あとは このふつうの名誉以外のものは なくてもいいものであって その名誉を追うときの姿勢 それにともなうウヌボレ ではないだろうかとうたがっているのです。 つまりなおいくつか事割り書きをつけなければなりませんが ★ 大将が「名誉」を重んじなければ願望と衝動により行動し配下の信頼を失うでしょう。 ☆ この場合の名誉というのは むしろ責任感とそれ(もしくはその地位)にともなう威厳のようなものだと捉えるのです。なぜなら 権限のより大きいそしてより高い地位にあるなら とうぜん 部下も多いでしょうし その作戦実行にあたって まづ作戦の中身じたいが重要度が高く その成功いかんが善きにつけ悪しきにつけ大きな影響をおよぼす。そのときの責任感や決断力の重みなのではないか です。 もしそうだとすれば 名誉つまりむしろ体面という名で呼ばれる名誉は その実質的な中身が限られてくるように思うのです。 で いま〔さらですが それでもいま〕趣旨説明を次の項目を重点的にあつかうというかたちに変えていただけないでしょうか? ○ 趣旨説明の(7) あやまちを犯したとき 失敗をしたとき このようなときにひとは名誉ないし体面をおもんじるということは必要ないのではないだろうか? すなわち ひとこと ごめんなさいと言って あらためればよいのではないか? ☆ あとで気がついたということです。これも わたしは体面重視派ではないので あっさりみとめ おわびして そのようにお願いしたいと思うのですが どうでしょう? たしかに 主題を広げていただいても何ら構いません。《失敗したときの体面の扱い》に焦点を当てつつ 幅広く論じてもらっても構いません。議論が豊かになるでしょう。 迷走あるいは右往左往していますが このように考えます。そして そのようにお願いいたしとう存じます。どうでしょう?
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お礼
コマアス8さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。 いやあ うまくまとまるものですね。回答No.1へのわたしの応答にあるように 心つもりでは初め 要するに《みとめるべき自分の間違いを是が非でも認めないというかたちで 体面を気にする》場合をほんとうは想定していたわけです。 あって無きがごとき体面のことを問うていたのですが 名誉の問題もあると思って両方をいっしょにして扱いました。 あっちへ行ったりこっちへ来たりで 要領をえなかったのですが うまくまとめてくださいましたね。 ★ かつてのさむらい階級のプライドが日本の社会に少なくない良質の秩序を与えていたことは事実です。 ☆ 武士の誇りは ・ 利害関係だけでは動かない ・ おのれの利益だけを求めることをいさぎよしとしない あるいはもっと根本的に ・ 利害関係をめぐる交渉は 徳をもって徳に応じるという基軸のもとに 損得を超える でしょうか。名誉と言うよりも これは こころざしでしょうか。ですからたぶん あやまちを犯したとき体面を捨てることにこだわることはないようにも思えます。上の誇りが傷つくことのほうをこだわるというようにして。 よって ★ いわゆる名誉とか体面は空しい(虚しい)ものであって、それを無視しても実質的な変化はないだろう、 ☆ と言葉にしてもらいました。次の例は ただ 極端ではないですか? ★ 天皇陛下、あるいは総理大臣の出す握手を無視することも可能であり、この場合大臣の体面が潰れるということはあっても、お互いにその事実を無視しあうことは可能です。 ☆ 握手をすることが 自分の志を傷つけるとも思えないのですが どうでしょう? あるいは それが理論的に自由なのだということを示す例示であるかとも思われます。そうしますと そのとおりにするとして たぶんただしその握手をしないことの説明は 明らかにする必要があると思いました。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ (2) あるとして 守らねばならないものなのか? 結局価値観の問題でしょう。名誉が経済活動に結びついていることは非常に多いですし・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ これはそのものとして 現実の一部であるということで。つまり 必然の王国の中にあっては その必然性をまぬかれることは残念ながら 至難のわざです。 ★ 日本が本来あるべき中立精神を取り戻すにはまだまだ時間が必要であるとはおもいますが ☆ 日本も 体面固持の傾向から振り子もそれの自由の側へ振ったということですね。民主主義 あるいは 単純にアメリカ化でしょうか。 わたしは 振り子が社会の一部分において昔のままである姿が目の前にちらつきました。それは 強固であるように感じています。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~ (5) 《傷つけられ害われる》という場合は むしろ名誉棄損といった犯罪を構成するような場合であって そうではないでしょう。( a )犯罪にいたるまでの各段階で、( b )価値観の差もあってひとは死ぬほど傷つく場合もあるということです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ( a )はそのように段階別に分析する必要があるかも知れないですね。( b )はどうでしょう? その体面をめぐる《価値観の差》を ここでは問題にしているということもあって 一概にはそのままを受け容れがたいようにも思います。 というのも 《死ぬほど傷つく場合》というのが ひょっとすると 勘違いであるということが無きにしもあらずと思えています。プライドの高いひとは どうしてもこちらから会釈の一つでもしないと それだけで 傷つくと言いますか すでに怒りあるいは蔑みが起きているように思えます。 細かく分析するのがよいかと。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ (6) (あ)体面に固執する振る舞いも(い)恥も外聞もない行動も どちらも大きくは《成り振り構わざる振る舞い》であると思われます。 双方の基準点は大きく違います。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ そうかも知れません。少なくともさらに分析の要ありです。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~ >・・・ぶっきらぼう・・・ でも、敵はほおってはおきませんよ。必ず弱みに付け込んできます。びしっと反撃せねばならない最適のタイミングは絶対存在します。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ なるほど。たしかに理論のほうをまづは固めたいと思っていました。昔のままの体面固持の現実におけるもんだいを上で言っていたというのに。 ありがとうございました。