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神と魔神(または超能力者)の違いについて
- 神と魔神(または超能力者)の違いについて考えます。神は全知全能とされる一方、超能力者は怪人や魔神とも呼ばれます。しかし、超能力や力を持つこと自体は神や怪物とも共通するものです。ただし、人間に崇められることによって神とされ、嫌がられる存在は怪物とされます。つまり、神とは人間が想像で作り出した存在であり、実は絶対的な神の定義は存在しないのかもしれません。
- 神と魔神(または超能力者)の違いについて考えます。神は全知全能とされる一方、超能力者は怪人や魔神とも呼ばれます。しかし、超能力や力を持つこと自体は神や怪物とも共通するものです。ただし、人間に崇められることによって神になり、嫌がられる存在は怪物とされます。つまり、神とは人間の崇拝によって存在するものであり、神と怪物は本質的には同じかもしれません。
- 神と魔神(または超能力者)の違いについて考えます。神は全知全能とされ、超能力者は怪人や魔神とも呼ばれます。しかし、超能力や力を持つこと自体は神や怪物とも共通するものです。ただし、神とされるのは人間に崇められる存在であり、逆に嫌がられる存在は怪物とされます。神とは人間の信仰によって存在するものであるため、絶対的な神の定義は存在しないと言えます。
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多神教だと、強大な力すら必要条件ではなく、何らかの理由で崇拝を集めれば神、という側面はあります。その意味では妖怪とか怪物とかとの厳密な差はありません。 キリスト教が布教されると、土着の神は悪魔として貶められていったという歴史もありますしね。 ですが、キリスト教を始めとする一神教では、全知全能の桁が違います。 私たちは世界(と言うか、宇宙)なくして存在できませんが、一神教の場合、その神が存在するのに世界を必要とせず、私達が存在している世界を始めたり終わらせたりする権利と力を持っている存在であると言えると思います。 所詮言葉の上のことですから、その様な神を妖怪と言うことはもちろん可能です。 が、世界を始めたり終わらせたり出来る存在が妖怪と呼ぶのが適切かどうかとなると……。 神の存在は、もちろん証明出来ません。が、どのような存在を神と定義できるかというと、私には良く分かりません。 前述の通り、世界を始められる存在を妖怪に分類したって、それは一向に構わないわけですから。
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- tumaritou1
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神とは己の中にいて「全てを肯定している、自分の心」です。悪魔とは己の中にいて「全てを否定的に見ている、自分の心」です。 神とは自分(生きている全てのものも、含む)の生命維持機能を指しています。言葉を変えて云うなら「命自身の源」と言う言い方も可能と思います。 貴方が生まれた経緯で説明するなら、生命として生じた瞬間から、細胞分裂をする順番まで既に知っていれ「働き始める働き」の事です。その細胞分裂の順番に狂いが無い証明として、貴方は誕生しています。 貴方は生まれる前に、何も習わないにも拘らず、「不安や安心、或いは恐怖する事まで」既に知った状態で生まれています。是は貴方の中に「既に知り尽くして働いている機能が」存在しているからです。 生まれてからは、生命維持活動全てに於いて、働く事を知っているものとしての機能です。心臓でも肺でも、ホルモンでも、神経系統でも「その者」がうまく調節してくれています。呼吸の速さでも心臓の速さでも、その時々の状況に応じて「最適を維持しています。」 この者の存在は「自覚出来ようが、出来ないにしても」貴方が今生きている事実からして真実の事です。 貴方が意志の力で心臓を早くしたり遅くしたり出来ない事からも推察出来ると思います。 この事実を脳の医学的な見地からの、紹介文で汲み取ってもらいたいと思います。ウイキペデアからです。 『”ロジャースペリー 分離脳 ノーベル賞受賞者 受賞年:1981年 受賞部門:ノーベル生理学・医学賞 受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究 ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”』 この記事の事実を、自分の脳内から観察をする機会に恵まれた?脳科学者が語っている動画です。 URL:http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM 人間の脳内での活動は、全ての人に共通しているはずです、と言う事は、この動画と同じに活動している事を意味します。貴方の脳に於いても、例外ではない筈です。 禅に於いての「見性成仏」という意味は、この動画の中で語られている事を意味します。『自性(仏性)を知れ!』が禅における命題です。 自我意識たる左脳の論理脳が、人生を論理だけで割り切って、渡ってゆく事が出来ない事を『自覚する瞬間です。』 左脳の人格は、論理としての結果である『言葉』で考えて、言葉で表現して、言葉で納得して生きています。ですがこの言葉で割り切れない『或る世界』が他に存在するかも知れない、と予感しています。 この意味は、『言葉の世界』は有限の世界から人生を見ている事を意味します。割り切れる事を有限と定義しているからです。此処から人間の悩みが始まっています。 あらゆる疑問や悩みは、多かれ少なかれ『有限の世界観』から『永遠の世界観』へのギャップをその基にして始まっています。 このギャップを埋める役目が『宗教文化の発展の後押しをしてきた、人類の彼岸』としての『神や仏』の役割です。 是が釈迦が説く『仏性』であり、聖書における『神』の役割です。 具体的には『死にたくない自分』VS『永遠の命』です。このギャップが埋まる時『魂の救いが成就します。』 この動画の世界を『体得する時』西田哲学的には『絶対矛盾的自己同一』が完成します。この事を禅では『生死の問題が解決する.』と表現します。 キリスト教では『神と和解して、神の僕となる。』事を意味します。 神経症や、心を病む場合でも、自律神経失調症でも、完治した姿を示しています、『嗚呼このままで全てが整っていた。』事を了解するからです。 検査では、健常者と変わらずに、異常無しの結果ですので、異常が無い事を納得するだけだからです。言い替えるなら、『意識地獄』に落ちていた事は、自分が自分の『無意識への信頼を失っていた事』を納得するだけという意味になります。 無意識への信頼感は『涅槃』を意味します。もう心の中で『自分の心同士が相争う事をしなくなった。』事を意味するからです。 是が『自性を徹見する事』=『見性』=『神と和解する事』の効用です。 人間が障害と感じている『意識地獄』とは、自我意識単体で『無意識の自分』への信頼を失っているだけだからです。心も身体も行動も『全て忘れ果てている時』全て健康です。 健康になろうと『意識した瞬間から』病が始まっています。キーワードは『自分を忘れる』です。 意識する自分、意識しない自分の違いを知る事で、意識地獄は解消します。それが『悟り』の効用です。 メンタル面が弱いという意味は『意識する自分が』意識する自分のままで、無意識の力を借りようとしていないだけです、その結果『漠然とした不安が大きくなっています。』 漠然とした不安とは『無意識からの交替要請』という意味があるからです。
お礼
御回答有り難うございます。ですが、私が聞きたいことではないように思えます。
- ukiyotonbo
- ベストアンサー率11% (91/788)
神は全知全能です。トワの森を抜けて、アルデの谷に行くと出現することがあります。 超能力者は、自分の選択。勇者、魔法使い、超能力者、商人、農夫、漁師、職人、博打打ちなどなどの職業から自分で選ぶと言うことです。途中の転職もルール上は自由変更。超能力者なら商人からはじめてあとで超能力者になったらいいと思います。 そして怪人、怪獣、妖怪は敵キャラ、魔神はボスキャラ。 武器と魔法を駆使して倒しましょう。
お礼
御回答有り難うございます。 全知全能だったら神でしょうか? それは能力が高いことでありますが、それは神の絶対条件でしょうか? じゃあ、極悪人が全知全能だったら神なんでしょうかね? あがめ奉るため、わかりやすいために 神=全知全能 とした。 反面、それによって、神自体の真価はとても落ちてしまったように思えますがね。
神とは、普遍なる存在のことだと思います。
お礼
御回答有り難うございます。 ですが、普遍なる存在とはなんでしょうか? 逆に、普遍というのは相手から評価されてこそ、普遍だという話になるのであって 相手あっての位置づけです。 つまり 神=相手から位置づけられて、評価されて神となる=なら、相手が評価承認しないなら 神は魔神や魔王とおんなじだ、と思うのですが。
まだ伊勢神宮に行かれていないのでしたら、一度行ってみることをお勧めします。 神というものを肌で感じとることができると思います。 豊かな自然の中に、つつましく神が祀られています。 おおらかで静かで、心が安らぐ感じがします。 そこには「超」というものはありません。 自然というものの無言の説法を聞く感じがします。 妖怪でさえ、宇治橋を渡ればおとなしい猫になってしまう・・・ そんな感じがします。 なぜ、おとなしい猫になってしまうか・・は 行ってみれば分かります。 悠久の自然を感じとる時、超能力という言葉は虚しく消えていきます。 >神と魔神(または超能力者)はどこが違うのですか 超能力とは、超自然的能力でしょう 一部のそうした能力に固執すれば魔神、魔人、妖怪の類かもしれませんね 自然のもつ働きや運行という、最大というか、絶対というか、大きさに比べたら余りにも小さいものではないでしょうか 自然を象徴し祀った神に比べれば、魔神は猫みたいなものです。 神は滅びないが、魔神や超能力者はいつかは滅びる 滅びるというより、自然という大きな神の小さな一部分かもしれない・・・(自分もまた・・) そんなふうに思います。
お礼
御回答有り難うございます。 なかなか含蓄のあるご回答です。伊勢神宮にいったことはありませんので 行ってみたいと思います。 >>自然を象徴し祀った神に比べれば、魔神は猫みたいなものです。 >>神は滅びないが、魔神や超能力者はいつかは滅びる 伊勢神宮は天照大御神を祀っていると思います。 では、なぜ天照大御神は神なのでしょうか? なぜ、天照大御神は神になったのでしょうか? そもそもの話として、なんで『神』と言われるようになったのか不思議ですね・・・。
- koiprin
- ベストアンサー率23% (72/306)
日本では、昔から鬼=神でしたので、その通りです。 ちなみに童=鬼=神ですので、昔話の主人公(一寸法師、金太郎、酒呑童子など)は子どもが多く、聖徳太子も子供の姿のものが日本中で祀られています。 昔から怪異を神とするのが多神教の特徴ですね。 一神教の場合は、神は創造者であり、人が人として生活するために契約をしている存在ですので、その契約不履行の場合にノアの洪水のように人類は滅ぼされる運命にあるという点では、多神教の神よりも絶対的な力を持っています。 一神教の場合は、対立構造が、「神」対「その他」になってしまいますので、排他的ですから、妖怪の一種とはなりえません。 というより、そう信じている人たちがキリスト教徒やイスラム教徒やユダヤ教徒です。 あなたは多神教的な宗教観を持っているということです。
お礼
御回答有り難うございます。 >>一神教の場合は、神は創造者であり、人が人として生活するために契約をしている存在ですので、その契約不履行の場合にノアの洪水のように人類は滅ぼされる運命にあるという点では、多神教の神よりも絶対的な力を持っています。 >> 私は不思議なんですが、絶対的な力があれば神なんでしょうか? 創造したものなら、神なんでしょうか? 神という存在が定義づけられないから、ケタ違いの能力があることにして、崇め奉る。 だとしたら神はなんと、現実の利益・能力に結びついているもんだんでしょうか? 神=スーパー能力者 というのは崇め奉る側から行けば、とってもわかりやすい図式ですが よく考えて見れば、なんと薄っぺらな神なんでしょう。 契約の不履行に対して人類を滅ぼす、その能力がある、というのは、私には『魔王』『魔神』で あって、慈愛や優しや思いやりを感じることはできません。 一神教であっても多神教であっても同じ、ケタ違い能力があっても同じ。 そもそも、能力があることが神の定義なら、底の浅い、神様だな、という気がしますね・・。
- ふじ-さん おたま-さん(@OtamaFJWR)
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全知全能の神とは「絶対無」のことです。 量子論的世界観が「固有の神」は居ない事を、既に科学的に証明しています。 その「全知全能の絶対無にキズがつき、いい加減になる事」により、認識体としての宇宙(時間や空間や24次元まで含めて)を認識できる。そのキズとは量子論では「観測点」とも言うべきモノです。
お礼
御回答有り難うございます。 でも、おっしゃることがよくわかりませんので、もう少し平易に記載いただくと ありがたいです。
お礼
御回答有り難うございます。 >>何らかの理由で崇拝を集めれば神、という側面はあります。その意味では妖怪とか 怪物とかとの厳密な差はありません。 まさに、そのとおりだと思います。神とはそれ自体の存在で位置づけられるのではない。 相手から、崇拝されることによって、神となる。 神は、全知全能の桁が違います・・というのはごもっともですが ですが、そういうことになりますと、随分、神は現実的だな・・という気がします。 能力があれば、神なんでしょうか?なんとなく、私が思う神は、無力であっても 精神世界を支えることこそ、大切な気がします。能力がすごくあっても、それは スーパー超能力者なだけ、という気がしますね。それじゃあ、たいしたことないなあ、 それが、神なんでしょうかね?という気がします。