- ベストアンサー
『Yes, we can』の『can』は能力可能ですか?
- 『Yes, we can』はオバマ大統領が演説で使用した有名なフレーズで、『can』は日本語に訳すと能力可能か状況可能のどちらのニュアンスがあるのか疑問です。
- 日本語の可能表現は能力可能と状況可能の2つにわけられますが、『Yes, we can』の『can』は単純にどちらかに分類できるのか気になります。
- 能力可能と解釈しているが、他のニュアンスが含まれているのか知りたい。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
能力があっても、しない場合もありますよね。 そんな場合の喚起の言葉が、「yes、we can」だと思います。 例えば、教室で誰も掃除をしないと、ゴミだらけになって、それが当たり前になると、他のことも投げやりになって、教室掃除をしないだけのことが、だんだん他の事もおざなりになっていくことになるわけです。 掃除の時間に騒いでお喋りをしている⇒授業中も騒いでお喋りをするのが不自然ではなくなる。 先生もそれに対して、それが普通ということに慣れてしまい注意しない。 生徒は注意されないことに慣れてしまい、大人である親が言っても、聞かなくなるわけです。 それが非行につながり、大きな事件を起こして警察に捕まっても、「なんで駄目なんだよ いいじゃねーか 今まで言われたことはねーんだよ」となってしまう。 本当はやれる・能力がある のにしないので、しないのが当たり前・普通になってしまうわけです。 そのしないことが当たり前・普通の状態になっているところに、「我々はやればできます・できるんですよ・やりましょうよ・変えることができますよ」と刺激を与えるわけです。 しないことが当たり前となっている人が、言われて「あ そうか できるよな やれるよな 何で今までやらなかったのだろう」って意識が変わるわけです。 だからこの場合、 「私は泳ぐことができます。」「運転ができます」という能力に関することを言っているのではなく、、、、 「やればできるんですよ 私たちは」と意識をさせる。。。喚起を呼び起こすために canが使われているのだと。 we do とはちょっと印象が違いますよね。 canの方が強く訴える効果がある。 って思います。 ですが、何か障害があってできなかったわけですから、「できるのなら 今までどうしてできるのにしなかったのか」となり、問題意識を持つことができるようになるわけです。 で、canといわれて どうれば可能なことができるようになるか って考えるようになる。 つまりcanは意識づけとして使われているんじゃないかと。 で、たやすくできることにcanを使っても効果が無い。 今までやってこなかったが、やればできる可能性を持っていることに対して can と意識づけに使う。 「やれるか?」と聞かれて「やります」と答えるわけですが、「やる意志があるか?」という意味なので、「はい やる意志があります」 つまり yes i can となるわけです。 we の場合も「やろうよ」というか、、、そんな賛同を狙った発言だと思います。 という風に感じました。
その他の回答 (1)
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
言葉には聞く人と、言う人がいます、で同じ言葉でも、その時時で意味合いが違う,と思います。 この言葉には「やる気さえあれば誰にでも出来る」という能力可能の意味もあるし、 色々な制限とか束縛によって能力が十分延ばせなかった人達には「今ではその桎梏は取り去られた」という状況可能の意味もあると思います。 その両義性がオバマさんの(あるいはオバマさんの原稿書きの)うまいところでしょう。
お礼
なるほど、これは両方の意味を含んだ表現なのですね。 わかりました。 ご回答ありがとうございました。
お礼
単純にやれるだけの能力を持っているから「私達はできる」という意味ではなく、「私達はするんだ!」というdoを強くした表現ということでしょうか。 この『can』は「できる」ではなく「する!」というほうが意味に近いと。 なるほどです。そういうニュアンスもあるんですね。 勉強になりました。 ご回答ありがとうございました。