確かに、若さには、瑞々しいイメージもあります。
それが減ると言うことは、枯れてゆく→死ぬ。
という事かもしれません。
しかし、どんなに年を経た老木でも、春には瑞々しい若葉を出す。
逆に若木は、幹も枝のように細く、葉っぱも少ない。
若いと言うのは、若さ「しか」ないということ。
そういう状態では、成すものもなせない。
若い木に、実はつかん。
2、部屋のゴミ。
隅々まで完璧に掃除しても、一日経てば、不完全になる。たった一日の間にも、わずかに埃がたまる。
だけれども、掃除するときは徹底して掃除しないと、「気がすまない」という人は、いるだろう。
つまり、自分で決めた「決まりごと(部屋の角まできっちり、納得いくまで埃を取る、など。)」に、律儀に従っているというわけです。
それが、衛生的にどれだけ意味のあることかどうかは、他に検証方法があるとしても、この質問における、このこだわりの意味は、それが、その人の中で、「ニーズ化」していると言うことです。
きっちり、納得いくまで埃を取るということが、その人の中で、「必要な事」になっているのです。
ご飯粒を、一粒残らず食べる。
別に、一粒でおなかいっぱいになるわけではないし、野生動物を見ても分かるように、そんなことにこだわっている動物は、一部の人間以外に類を見ません。
「そうしないと気がすまない」ように、自分を、自分で作り変えているのです。
これが、「自分で自分のニーズをコントロールする」ということです。
だから、自分で自分を変えたのだから、今、また自分のニーズをコントロールすることは、できるのです。
必要と言うものを、自分で生み出していると言うことです。
それ(自分決めた決まりごと、ニーズ)がなければ、「今の自分は成り立たない」。
だけれども、明日の自分は、今の自分ではありません。今の自分が成り立たないからこそ、明日の自分が新たに成り立つともいえます。
だから、今必要だからと言って、目の前のことばかりに意識をやるのは、少し無用心です。
ゲーセンのメダルも、テストの点数を上げるのも、弓で的中率を上げるのも、ご飯を一粒残さず食べるのも、一日先を生きる自分のことが、見えていない(思慮に入っていない)。
目の前のことしか見えていない。
目の前に、すぐ現れているものしか見えていない。
打算がない。
一日先の、自分の糧を、今、得る。
一日先に必要なものを、今、得ることが、必要。
今日の晩に食べたものは、明日、ウンコに。
今日食べた物の栄養は、明日、使われるから。
今すぐ必要なんです!っていうのは、そんなにあることじゃない。緊急か、麻薬か、排泄か、そんなところです。
冷静に考えたら意味ないって行動をとる人は、自分で決めた決まりごとによって、「緊急事態」に落ちている人ということかもしれない。
それが社会にありふれているなら、社会が、社会自身で決めた決まりごとによって、「緊急事態」に落ちているって事かも。
日本がつぶれても、春は来るし、夏は暮れる。
メダルゲームでメダル破産しても、ヤクザは取り立てに来ない。
>何の得にもならないものを増やすのに努力する人がいます。
一人遊び、他人に何の徳がある?
俺が百発百中しても、他人に何の徳がある?
「すごいものを見た」って感慨くらいのもんだ。
イヌも猫も、そんなものには見向きもしない。
大事なのは、百発百中した事ではなく、メダルを大量に集めたことではなく、その百発百中の課程で、その人が、どんだけ成長したんですか?ってことです。
「100点?だから何?」ってことです。
本当に意味のあることは、結果を見なくても、実になってる。
冷静に考えると言うことは、そういうことだろうと思う。メダルとか、点数とかに目をやるのではなく、何処に意味が在るのかを、見抜ける態度。それが、冷静さだろうと思う。
それは、犬や猫には取れない態度だろう。
お礼
>ゲーセンのポイントに固執している人から見ればゲームのポイントは決して異議のないことではないんでしょうね。 No.3さんがおっしゃっているように >悪く言えば、ごまかし。 >よく言えば、一時しのぎ。 じゃないんでしょうか。それが意義? 考えてみれば人生無駄なものってのは多いですが 暇つぶしに「何かを増やす」って行動をすることはあっても 「何かを減らす」って行動には出ないですよね?