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「意味」ではなく「強度」を重視した生き方では強い充足感の反動で強いもの
「意味」ではなく「強度」を重視した生き方では強い充足感の反動で強いもの悲しさも感じてしまうようです。 わかりやすく言えば、躁鬱みたいなもんでしょうか・・・ 一方、「意味」重視の生き方は、(理解することは可能かどうかは別にして)全体としての世界の文脈の中で決まってきますから、いい意味で安定的、悪い意味でメリハリのないものになります。 これら一長一短ある生き方を現代に合わせて調和のとれたものにするにはどうすればいいでしょうか。
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niki00001 さん 僕なりに書いてみますね^^ ・慈悲喜捨の生き方をお勧めします。 自他の幸せを願う生き方です。 訓練法としては慈悲の瞑想があります。 自他の役にたつように生き始まると、充実感も生まれます。 この充実感に反動はないと思います。 ・「希望」的生き方から「必要」的生き方へ 必要か否かで、物事を観る癖をつけると、人生の苦しみは減るものと思います。 必要なことを優先順位上からこなせば、充実感もあるでしょう。 ・足るを知る 得るものについて、標準値が高すぎるとほとんどの機会に不満を抱き苦しむことになります。なので、最低限これだけあればハッピーだというような基準を出来るだけ低くして、日々自分に言い聞かせると、結構気楽に生きれますよ。衣食住薬等々。 ・上記のことを鑑みて、言葉や身体の行為を決めていく ・以上のことを容易に実践するため気づきの養成(ヴィパッサナー) 以上が初期仏教から僕が読み取った生き方ですw お試しあれ♪
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- 雪中庵(@psytex)
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とはいえ、あなたの見ている「宇宙」は、意味の集合です。 「認識を深める必要はない」というのは、環境との相互作用を怠り、 二次的に派生した社会的情報に依存して他律的に生きる=流されて 生きる(「強度」への条件反射)、という事です。 まぁ、あなたの体の中の多くの体細胞は、そうして環境との個別の 対応をやめ、神経系やホルモンによって条件反射的(他律的)に アクションをとる歯車となることで、あなたは成立しているのです から、それは必ずしも悪いとばかりは言えません。
お礼
回答ありがとうございます。 調和が大事ということでしょうね。難しいです。
お礼
回答ありがとうございます。 maggaさんの「♪」は初めて見ました。 ありがとうございます^^ 私も仏陀の足跡からヒントを得られると思っています。 参考にさせていただきます。